私の嫌いな時間

弁護士 辻本 恵太

 嫌いな時間を2つ挙げてみた。
 2つというのが,また,半端である。せめて3つにした方が印象が良いのは分っているが,無理に3つにしないところがご愛敬。

1 考えたいことと違うことを考えなければならない時間

 正直,好き勝手,考えていたい。私は,とにかく考えることが大好きであるが,しばらくすると,考えていることは色々なところに展開していく。
 私は,自分で,ある結論に向かって話をしているうちに,途中で,次々と新たに浮かんだことをはさんで話を展開し,気が付いたら,言おうとしていた結論自体を忘れてしまうなんてことがある。ひどい話だ。
 私は,集中すると周囲が真っ白になるほど集中するのだが,反対に,相手の話が退屈だったり,ありきたりの話の繰り返しだったりすると,せめて頭の中だけは,別のことを考えて楽しみたい。のんびりしている時間は好きだし,何かを想像したり考えたりできればどこでも楽しく居られるが,とにかく退屈な時間は勘弁してほしい。
 時間は有限なので,退屈な場面では,せめて頭だけでも,別のことを考えさせてほしいと思う(とはいえ,避けようとすれば,そういう状況に陥ることは,あまりない)

2 探す時間

 これが何よりも嫌いである。私の人生から「探す」という時間を無くして欲しい。
 ゴルフで自分で打ったボールを探すのも嫌いだし,自分の携帯電話などをどこに置いたのか分らなくて探すというのは,大嫌いである。

 私は,昔から色んな物を無くしてきた。
 探して出てくることも勿論あるが,無くなることもある。
 どうして無くなるのか?と聞かれる。自分が聞きたいくらいだし,正直,これは解決が難しい。なぜならば,いつの間にか,無意識のうち,そこかしこに物を置いてしまうために物を無くしてしまうのだが,無くさないように注意を払おうとしても,注意を払うタイミングが特定できないからである。強いていえば,外にいる間,ずっと注意しなければならない。私には到底できない。

ともあれ,私は,物を無くす。

 これは所与の事実と考える。
 そうすると,発想とすれば,物を無くしたときのデメリットを抑えるしかない。
 まず,物を無くしたときのデメリットの1つは,精神的ショックである。大事な物を無くしたことによるショック。これを少なくするためには,そもそも大事な物を持ち運ばないのが一番である。そうすれば,当然,無くすこともない。自分の鞄にはあまり物が入っていない。また,ショックを受けにくいように精神力を鍛えるのも良い。まあ,しょうがないか,と思える方が良い。私は,物を無くす回数が多かった分,ショックを受けにくい気がする。
 ただ,物を無くしたときの最大のデメリットは,諦めずに探す時間である。これがとにかく嫌である。実はここにあるんじゃないかとか,もう少し探したら見つかるんじゃないかとか。私も,探す時間が大嫌いなのに,ついつい探してしまう。そういえば,司法試験の受験時代,無くしたペンケースを探すのが嫌いだったので,全く同じ蛍光ペンやシャーペンなどを入れた全く同じペンケースを予備に1セット用意していた。使っていたペンケースが無くなると,すぐに予備のペンケースを使えるようにしていたため,あまり真剣に無くしたペンケースを探さなくてすんだ。

弁護士業では・・・

 弁護士業でも,①資料を探す,②情報を探す,③ファイルを探す,④入力する位置を探すという時間が最も嫌いな時間である。
 いわば情報へのアクセスタイムは,無駄以外の何物でも無い。
 自分は,情報の性質などに応じて,保管,保存方法を整理したり,社内ルールを決めて運用し,あるいは,ツールを工夫することで,「探す」という時間をできる限り少なくするように努めているが,まだまだ,少なくしたい。
 そうすれば,考える時間に集中できる。
 参考にならない,つれづれなるブログでした。

(了)