(参考判例)平成 18 年 9 月 25 日知財高裁判決〔特許権侵害差止等請求控訴事件 〔椅子式マッサージ機事件〕〕
特許法 102 条 1 項ただし書の事情および同条 2 項の推定覆滅事由


4 「第5 当裁判所の判断」

 「控訴人は,無効理由b及びdについての審決の判断の誤りを主張するところ,まず,無効理由dについて検討する。
 1 無効理由dについて
  (1) 本件特許請求の範囲及び発明の詳細な説明(甲23)によれば,本件発明5に係る椅子式エアーマッサージ機は,「腿部を含む脚部,尻部の筋肉をストレッチしつつマッサージをする」(段落【0003】)ことを課題とし,「座部用袋体への圧搾空気の給排気動作に同期させて前記脚用袋体への給排気を行う動作モードにおいて,前記脚用袋体が膨脹して使用者の脚部を挟持した状態で,前記座部用袋体が使用者を押し上げるように膨脹する」(請求項1)との構成をとることにより,「座部用袋体が膨脹して身体が上方に持ち上げられるとき,膨脹した脚用袋体によって脚部はその両側から挟持されているので,腿部および尻部の筋肉は引き伸ばされることになり,ストレッチされつつマッサージがされる」(段落【0005】)との作用を有するものであると認められる。
  (2) 乙80,4,151に記載された発明に関する審決の認定については,当事者間に争いはない。乙80には,指圧頭部付きの蛇腹状伸縮筒を指圧手段として用い,内壁面に蛇腹状伸縮筒が配された脚載置部を備え,座部にも蛇腹状伸縮筒が配された指圧装置が開示されている。また,乙4(意匠公報)には,使用者の左右の脚部をそれぞれその両側及び後側から包囲する凹状の脚載置部を備えた指圧椅子が開示され,乙151には,空気袋体に圧搾空気が供給されて,足先,足首,ふくらはぎ,ふとももの順に圧迫するエアーマッサージ機が開示されている。
  (3) 審決は,本件発明5と乙80発明とは,本件発明5のエアーマッサージ機は「座部用袋体への圧搾空気の給排気動作に同期させて脚用袋体への給排気を行う動作モードにおいて,前記脚用袋体が膨脹して使用者の脚部を挟持した状態で,前記座部用袋体が使用者を押し上げるように膨脹する」との構成を備えているのに対し,乙80の指圧装置はそのような構成を備えていない点で相違すると認定した。この点についても当事者間に争いはない。
  (4) そこで,上記相違点に関する審決の判断について検討する。
   ア 本件発明5と乙80発明とは,その押圧手段が本件発明5では袋体であるのに対し,乙80発明では蛇腹状伸縮筒である点で相違するが,審決も指摘しているとおり,マッサージ装置として蛇腹状伸縮筒を用いたものと袋体を用いたものは,いずれも周知である。したがって,乙80の指圧装置の蛇腹状伸縮筒を袋体に置換することは,当業者が必要に応じ適宜なし得るということができる。
   イ 乙4には,使用者の左右の脚部をそれぞれその両側及び後側から包囲する凹状の脚載置部を備えた指圧椅子が開示されていることは,前記判示のとおりである。乙80と乙4はいずれも指圧装置という同一分野に関する発明であるから,乙80の指圧装置の押圧手段を袋体に置換し,乙4に記載された脚載置部の構成を乙80発明に適用することについて,阻害要因は認められない。乙80の指圧装置に乙4の脚載置部を適用した場合,乙151発明にも示されているとおり,ふくらはぎ部を包み込むようにして押圧することは周知のマッサージ方法であるから,脚載置部の左右各脚の後部及び両側壁に袋体を配することは当業者であれば適宜なし得る事項であり,脚載置部をこのように構成した上で,同部分の袋体に圧搾空気を送り込んだ場合,「脚用袋体が膨脹して使用者の脚部が挟持した状態」となることは明らかである。したがって,本件発明5の「脚用袋体が膨脹して使用者の脚部が挟持した状態」との構成は,当業者が,乙80,4,151記載の発明及び周知技術に基づき,容易に想到し得たものというべきである。
   ウ 同様に,乙80の指圧装置の座部には蛇腹状伸縮筒が配設されていると認められるが,この蛇腹状伸縮筒を袋体に置換した上で,その数や配置を適宜変更し,圧搾空気を送り込んだ場合に,「座部用袋体が使用者を押し上げるように膨脹する」ことも明らかである。したがって,「座部用袋体が使用者を押し上げるように膨脹する」との構成についても,当業者であれば容易に想到することができるというべきである。
   エ しかしながら,「座部用袋体への圧搾空気の給排気動作に同期させて前記脚用袋体への給排気を行う動作モードにおいて,前記脚用袋体が膨脹して使用者の脚部が挟持した状態で,座部用袋体が使用者を押し上げるように膨脹する」との構成が,乙80,4,151に記載された発明及び周知技術に基づき,当業者であれば容易に想到し得るものであるということはできない。
 この点,控訴人は,乙80,4,151には,本件発明5と同様の課題,効果が記載されていないことは認めつつも,乙80の指圧装置において蛇腹状伸縮筒が膨脹する順序を変更することは,当業者が適宜なし得ることであるから,脚載置部の伸縮筒と座部の伸縮筒とを同時に膨脹させるなどして,本件発明5の「脚用袋体が膨脹して使用者の脚部が挟持した状態で,座部用袋体が使用者を押し上げるように膨脹する」との構成にすることは,当業者であれば容易に想到し得ることであり,課題や効果の記載がないことを理由にして本件発明5の容易想到性を否定した審決の判断は誤りであると主張する。
 しかしながら,乙80の指圧装置において蛇腹状伸縮筒が膨脹する順序を変更することは,当業者が適宜なし得ることであるとしても,乙80には,首筋,背部,腕部,大腿部,脚部等を順次繰り返して指圧することが開示されているにすぎないのであるから,乙80の指圧装置の蛇腹状伸縮筒の膨脹順序を変更したとしても,マッサージの対象となる部位が異なるタイミングで押圧されるにとどまり,本件発明5と同様のストレッチ効果を奏するものではないことは明らかである。
 また,仮に,指圧装置において複数の押圧部位を同時に膨脹させることが当業者にとって容易に想到し得るものであるとの控訴人の見解を採用したとしても,本件発明5が課題,効果としているストレッチは,袋体や蛇腹状伸縮筒により身体の各部位を押圧するマッサージとはその作用が明らかに異なり,しかもマッサージ効果に加えてストレッチ効果を奏するには単に複数の押圧部位を同時に押圧するだけでは足りず,複数の押圧部位が協働して作動することが必要となるのであるから,乙80の伸縮筒の膨脹順序として考え得る多数の組合せの中から本件発明5と同様の作用効果を奏する構成を採用することが当業者にとって容易であるというには,本件発明5と同様の課題や効果が乙80,4,151に開示ないし示唆されていることを要するというべきである。本件発明5と同様の課題,効果についての開示ないし示唆は,乙80,4,151の記載からは認められず,そのような課題,効果が周知の事項であると認めるに足る的確な証拠もない。
 なお,控訴人は,本件発明5における「ストレッチ」との用語は「手軽に筋肉を伸ばす程度」との意味に理解すべきであると主張するが,本件発明5は脚部を挟持した状態で座部を押し上げるものであるから,その筋肉を引き伸ばす程度は,たとえば脚部の自重により脚部や腿部の筋肉が引き伸ばされる場合とは異なるというべきであり,また,仮に控訴人のような意味に理解し得ると仮定しても,乙80,4,151にその開示ないし示唆がないことに変わりはないのであるから,進歩性についての上記結論を左右するものではない。
 以上によれば,本件発明5の「脚用袋体が膨脹して使用者の脚部が挟持した状態で,座部用袋体が使用者を押し上げるように膨脹する」との構成が,乙80,4,151に記載された発明及び周知技術に基づき容易に想到し得たものであるということはできない。
 2 無効理由bについて
 乙80,4,151に記載された発明及び周知技術に基づく無効理由dについての控訴人主張に理由がない以上,乙80,4に記載の発明及び周知技術のみに基づく無効理由bについての控訴人主張に理由がないことは明らかである。」