(参考判例)平成27年11月19日知財高裁判決〔特許権侵害行為差止等請求控訴事件〕
特許法102条1項ただし書の事情および同条2項の推定覆滅事由


第3 争点に対する当事者の主張

 以下のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」の第3の1及び2に記載のとおりであるから,これを引用する。
 1 争点(1)(被告製品1が本件発明1の技術的範囲に属するか)について
 〔控訴人の主張〕
  (1) 「上記所定の閾値を…大きい値に設定した」(構成要件G)の充足性について
   ア 原判決の解釈について
 原判決は,単に「所定の閾値」が「濃度差等の範囲」(「濃度差或いは濃度に相関するパラメータ値の差の範囲」)よりも結果的に大きいものであることでは足りず,その単位が同一であり,大小関係が積極的に設定されているものであることを要するとする。
 しかし,以下のとおり,原判決の上記解釈には根拠がない。
 (ア) 乙10文献(特開平6-115050号公報)との関係
  a 本件発明1における印刷欠陥検出手段
 本件発明1において,「印刷欠陥」とは,「インキが付くべきところにインキが付いていなかったり,インキが付きすぎて絵柄が潰れてしまっていたりするような,通常の濃度制御では対処できない異常」を指している(【0004】)。したがって,印刷欠陥検出は,濃度制御とは別の制御であって,濃度調整では対処できない場合に,印刷欠陥として検出するというものではない。
 本件発明1における印刷欠陥検出手段は,「画素単位及び所定画素数のブロック単位」での比較を行うものであり,「所定の閾値」は,画素単位及び所定画素数のブロック単位での比較に用いられる閾値であるが,印刷欠陥検出は,比較単位がインキキー開度制御に比べて格段に狭いことから,通常の濃度制御では検出することができない印刷欠陥を検出することができる。
 以上のとおり,印刷欠陥検出とインキキー開度制御は,制御の目的や検知の対象,範囲等において,全く異なる制御である。
  b 乙10文献における印刷濃度の適正・不適正の判断
 乙10文献における印刷濃度の適正・不適正の判断は,コラム毎の濃度レベルを判断するものである(【0048】)。
 ここで,「コラム」は,本件発明1における「インキキーの幅単位」に相当するから(【0019】),印刷濃度の適正・不適正の判断は,印刷画線の濃度レベルをインキキーの幅単位で比較するものである。
 コラム毎(インキキーの幅単位)の濃度レベルの判定では,「インキが付くべきでないところに付いている場合」や「インキが付くべきところに付いていない場合」等の本件発明1にいう印刷欠陥を検出することはできない。
 そして,乙10文献には,印刷濃度が許容指定値範囲内にない場合には,不良印刷紙として排出することが記載されているものの,これと並列して,インキポンプ送出し量を調整することも記載されていることから,許容指定値は,許容指定値範囲外になったら濃度制御を開始するための閾値であって,印刷欠陥を検出する所定の閾値でないことは明らかである。なお,【0052】には,「コラム間の濃度のばらつき」を小さくするように制御することが記載されているのであって,本件発明1の構成要件Fのように,印刷絵柄データと見本絵柄データとを比較するものではない。
 以上のとおり,乙10文献に記載されているのは,コラム毎に濃度を測定し,原画情報との差分が許容指定値範囲外なら濃度が不適正と判断し,不良紙とするか,インキポンプ送出し量を調整し,許容指定値範囲内なら濃度が適正と判断すること,濃度が適正と判断された場合であっても,コラム間で濃度ばらつきがある場合には,ばらつきを小さくするように制御することである。
  c 乙10文献と本件発明1との対比
 乙10文献における「印刷濃度の適正・不適正」と本件発明1における「印刷欠陥の有無」とは全く別物である。
 すなわち,乙10文献には,コラム毎(「インキキーの幅単位」に相当)に印刷濃度を測定し,濃度制御を行っていることしか記載されておらず,画素又は所定画素数のブロックの単位で比較することにより印刷欠陥を検出するという記載は一切ない。
 したがって,乙10文献には,本件発明1の「印刷欠陥検出手段」も,印刷欠陥を検出するための「所定の閾値」も存在しない。
  d 被控訴人の主張について
   ? 被控訴人は,乙10文献に,印刷欠陥を検出する手段が記載されている根拠として,【0003】,【0022】,【0048】,【0088】を挙げる。
 しかし,いずれの段落にも,コラム毎に印刷濃度の比較を行うことしか記載されておらず,ラインセンサの画素単位或いは所定画素数のブロック単位での比較を行う印刷欠陥検出手段(構成要件E)は全く記載されていない。
 乙10文献において,「コラム」の用語は,特許請求の範囲の「印刷単位」の具体例として示されたものであるが(【0019】,【0021】,【0022】,【0045】等),「印刷単位」とは,インキ送り量を制御する単位となる領域であるから(請求項14,17,【0115】),「コラム」は,インキ送り量を制御する単位(インキキー開度の制御の単位)であることは明らかである。
   ? 被控訴人は,本件発明1の印刷欠陥検出手段(構成要件E)の比較単位である「ブロック」について,「ブロックの大きさは任意である」と記載されていること(【0032】)をもって,印刷欠陥検出手段の比較単位には,「ブロック」をコラムのような印刷単位毎に設定したものも含まれる旨主張する。
 しかし,印刷欠陥検出手段及びインキキー開度制御手段における各比較対象は,印刷欠陥検出手段については「ラインセンサの画素単位或いは所定画素数のブロック単位」,インキキー開度制御手段について「インキキーの幅単位」というように,特許請求の範囲の文言上明確に異なること,印刷欠陥は,通常の濃度制御では対処できない異常であり(【0004】),印刷欠陥を検出するためには,「ラインセンサの画素単位或いは所定画素数のブロック単位」での比較を行う必要があることに照らし,「ブロックの大きさは任意である」(【0032】)との記載は,印刷欠陥検出手段がその機能を果たすことができるという範囲内で,「任意」の大きさであってもよいことを述べたものであり,コラムのような印刷単位(インキキーの幅単位)の大きさまで含まないことは明らかである。
  e 以上のとおり,乙10文献の存在は,構成要件Gを限定解釈する理由にはならない。
 (イ) 本件明細書1の記載
  a 特許請求の範囲には,「所定の閾値」と「濃度差等の範囲」については,前者を後者よりも「大きい値に設定した」との記載があるのみであり,発明の詳細な説明においても,「上記の閾値は,…による濃度制御において通常生じる濃度差の範囲よりも,格段に大きい値に設定されている。」との記載があるのみである(【0033】)。
 請求項1の「設定した」は,【0033】の上記記載に基づくものであり,本件発明1が物の発明である以上,当該装置において,「所定の閾値」が「濃度差等の範囲」よりも大きな値に設定された状態になっていれば,構成要件Gを充足することは明らかである。
  b 本件明細書1には,「所定の閾値」と「濃度差等の範囲」が,同一のデータ形式でなければならないこと,同一の単位によって設定されること及び前者を後者よりも数字として大きい値に設定することは,一切記載されていない。本件明細書1には,実施形態として,見本絵柄データと印刷絵柄データが同内容のデータに変換された上でそれぞれのデータ記憶部に記憶されている例が記載されているが,本件発明1の技術的範囲は,一実施例の範囲に限定されるものではない。
  c 以上のとおり,本件明細書1には,「所定の閾値」と「濃度差等の範囲」のデータ形式及び単位が同一でなければならないとする合理的根拠は全くなく,まして意識的に大小を設定しなければならないなどという限定もない。本件発明1においては,「所定の閾値」が「濃度差等の範囲」よりも客観的に見て大きな値に設定されていれば構成要件Gの充足性を肯定するには十分である。
 スペクトル値,網点面積率,濃度及び色座標値は,画像情報を表現する異なるデータ形式であり,これらの間の変換は,当業者が必要に応じて行う事項にすぎない。データ形式の異なるデータ間で,データ形式を相互に容易に変換可能である以上(【0025】,【0026】),そもそもデータ形式及び単位の違いは,各データの大小関係を考える上で全く問題とならない。
 (ウ) 構成要件Gの技術的意義
 そもそも,特許請求の範囲に「当然の事項を確認的に記載」してはならないという規則はない。
 また,構成要件G以外に従来技術との相違点が存在しないのであれば,従来技術との対比の観点から,当然の事項を確認的に記載したものとは解し得ない可能性もあるが,同じラインセンサ(構成要件A)で読み取った印刷絵柄データを,印刷欠陥検出手段(構成要件E)にも,インキキー開度制御手段(構成要件F)にも活用する構成が従来には存在しなかった新しい構成であって,構成要件Gのみが本件発明1と従来技術との相違点を構成するわけではない。
 構成要件Gは,上記新規の構成に伴って,印刷欠陥検出手段で用いる「所定の閾値」とインキキー開度制御手段で制御する「濃度差等の範囲」との大小関係を具体的な構成として記載したものである。
 控訴人は,意見書(乙5)においても,引用文献には同じラインセンサで読み取った印刷絵柄を濃度制御と印刷欠陥検出に用いることについての記載や示唆がないことを明確に主張した上で,引用文献には,閾値についての記載や示唆がないことを主張している。
   イ 構成要件Gの意義
 構成要件Gは,印刷欠陥を検出するための「所定の閾値」とインキキー開度制御のための「濃度差或いは濃度に相関するパラメータ値の差の範囲」(「濃度差等の範囲」)の大小関係が,「所定の閾値」>「濃度差或いは濃度に相関するパラメータ値の差の範囲」であることを規定したものである。
 本件発明1は物の発明であるから,「上記所定の閾値を…よりも大きい値に設定した」とは,そのような値に設定がなされた物の構成を有することと解すべきである。
 構成要件Gの解釈にあたって,閾値を設定する過程における「積極的に設定するか否か」という設定者の主観までも必要とする原判決の判断は失当である。
   ウ 被告製品1の充足性
 被控訴人は,「同一のデータの組合せの比較を2つの機能に共用する場合,当然に「印刷欠陥の閾値>濃度制御において通常生じる濃度差の範囲」となる」旨主張していることから,被告製品1においても,上記大小関係を有することは明らかである。
 構成要件Gは,「所定の閾値」が「濃度差の範囲」よりも大きい値になっていれば足りると文言通りに解釈すべきであるから,被告製品1は,構成要件Gを充足する。
  (2) 「見本絵柄データ」(構成要件C~F)の充足性について
   ア 原判決における判断は正当である。
 本件明細書1には,「印刷絵柄データ」と比較される「見本絵柄データ」として,製版データと見本印刷物データを併用する構成(以下「併用構成」という。)を排除する記載はなく,また,本件発明1の技術的意義を考慮しても,併用構成は排除されない。
 したがって,被告製品1は,「見本絵柄データ」(構成要件C~F)を充足する。
   イ 被控訴人の主張について
 (ア) 被控訴人は,併用構成は,必ずデータ変換を伴うこととなって,データ変換装置の追加により設置スペースやコストの増加を招くことになるから,本件発明1の解決課題との関係で,併用構成は排除される旨主張する。
 しかし,データの変換はソフトウェアにより行えるから,特別な装置を要しない(【0025】)。
 (イ) 被控訴人は,製版データと見本印刷物データ(OKシートデータ)とでは,画像品質が全く異なるので,たとえ最終的にデータ変換により同一単位に揃えるとしても,「所定の閾値」と「濃度差等の範囲」の大小設定の前提を欠くことになる旨主張する。
 しかし,実際には,OKシートデータも「所望の印刷品質を備えた見本印刷物」(【0038】)である以上,印刷品質管理の観点からは,製版データと,ほぼ同一の品質を備えており,印刷欠陥検出の閾値と濃度制御の濃度差等の範囲の大小関係に影響があるほどの劣化はあり得ず,被控訴人の主張するような大小関係の逆転などあり得ない。
  (3) 「インキキー幅単位での比較」(構成要件F)の充足性について
 原判決における判断は正当である。
 被告製品1では,インキキーの幅単位で差分の平均をとって比較を行っているから,構成要件Fを充足する。
 被告製品1において,印刷濃度は,インキキーの開度によりインキキーの幅単位で決まるのであるから,制御の指標となる濃度の比較も当然にインキキーの幅単位でなされる必要があり,この観点からも,被告製品1が構成要件Fを充足することは明らかである。
  (4) 小括
 以上のとおり,被告製品1は,本件発明1の構成要件AないしHをいずれも充足するから,本件発明1の技術的範囲に属する。
 〔被控訴人の主張〕
  (1) 「上記所定の閾値を…大きい値に設定した」(構成要件G)の充足性について
   ア 原判決の解釈について
 原判決における構成要件Gの解釈は,以下のとおり,正当である。
 (ア) 乙10文献との関係
  a 本件発明1の内容
 本件発明1は,「見本絵柄データ」と「印刷絵柄データ」とを比較し,その濃度差等の大きさに応じて,印刷欠陥を検出する印刷欠陥検出手段と,インキキーの開度を制御して印刷絵柄の濃度を制御するインキキー開度制御手段とを備え,「印刷絵柄データ」を,インキキー開度の調整のみならず,印刷欠陥の検出にも有効活用するための工夫として,構成要件G(印刷欠陥検出に用いる所定の閾値を,インキキー開度制御手段による濃度制御において生じる濃度差等の範囲よりも大きい値に設定する構成)を採用し,印刷欠陥検出手段とインキキー開度制御手段の統合を可能としたものである(【0010】)。
 ここで「印刷欠陥」とは,インキが付くべきところにインキが付いていなかったり,インキが付きすぎて絵柄が潰れてしまったりしているような,通常濃度調整では対処できない異常を指すから(【0004】),印刷欠陥検出に用いる所定の閾値が,インキキー開度制御手段による濃度制御において生じる濃度差等の範囲よりも客観的に大きい値となることは,自明のことである。
  b 乙10文献における印刷濃度の適正・不適正の判断
 乙10文献の印刷検査装置では,印刷胴の後に配置した撮像機が撮影する画像に基づき,印刷紙面の印刷画線濃度を測定した上で,原画情報から測定した画線濃度と比較するものであり(【0032】等),原画情報としては,ⅰ)版下,版パターンフィルムネガ,コンピュータ組版の最終信号,ファクシミリの出力信号などから得られる製版データのほか,ⅱ)先行して印刷された紙面から得られるOKシートデータが含まれる(【0041】,【0044】等)。
 そして,①コラムのような印刷単位毎の上記比較結果が許容指定値範囲内になければ,印刷濃度が不適正であると判断し,不良印刷紙として排出等することにより,濃度不適正,しみ,汚点などの欠陥を検出する手段(【0003】,【0022】,【0048】,【0088】等)と,②上記印刷単位毎の印刷濃度が適正範囲内にあっても,印刷紙面全体として,印刷単位間の濃度ばらつきが許容できない場合にはこれが小さくなるようにインキポンプ送出し量等を制御する手段(【0023】,【0052】等)とが設けられている(【0102】等)。
 以上のとおり,乙10文献には,見本絵柄データとして,ⅰ)製版データ又はⅱ)OKシートデータを用いて,撮像機が撮影する印刷絵柄データと比較することにより,①印刷欠陥の検出と②インキキー開度の調整の両方を行う印刷検査装置が開示されており,①の処理における許容指定値は,②の処理を行う範囲よりも客観的に大きくなる。
  c 構成要件Gの解釈
 乙10文献の存在を前提とすれば,本件発明1が新規性を有するためには,構成要件Gは,印刷欠陥検出及びインキキー開度制御を同一の比較単位(濃度又は濃度に相関するパラメータ値)で行うことを前提として,印刷欠陥検出の閾値とインキキー開度制御の濃度差等の範囲を相互に関連づけ,前者が後者よりも大きい数値にあらかじめ意識的に設定されている場合を指すと解釈される必要がある。
  d 控訴人の主張について
   ? 控訴人は,乙10文献の印刷検査装置は,コラム毎の濃度レベルを判断するものであるのに対し,本件発明1の印刷欠陥検出手段は「画素単位或いは所定画素数のブロック単位」で比較するものであるから,乙10文献には,本件発明1でいう「印刷欠陥検出手段」が存在しない旨主張する。
 しかし,乙10文献には,例えば【請求項3】に「印刷紙面の所定範囲内の印刷画線濃度を測定し」と記載されており,【0021】,【0022】にも「コラムのような印刷単位毎に」と記載されているように,控訴人が指摘する「コラム」単位での比較は一実施例の記載にすぎず,印刷欠陥検出やインキキー開度制御の比較領域の単位が「コラム」に限定されるものではない。また,「コラム」は,「例えばコラム毎にインキポンプが配置される」(【0019】)とあるように,インキキーの幅単位に限定されない任意の印刷単位である。
 本件発明1の「印刷欠陥検出手段」と「インキキー開度制御手段」は,いずれも「濃度」の比較に基づく制御を行うものであり,本件明細書1には,所定画素数の「ブロックの大きさは任意である」(【0032】)と記載されていることから,本件発明1の「印刷欠陥検出手段」には,比較領域である「ブロック」をコラムのような印刷単位毎に設定したものも含まれる。もともと,「ブロック」の大きさについては,単純に小さければよいものでもなく,その時点での検査装置の具体的構成やコストパフォーマンス,印刷物に求められる精度の高さ等を踏まえながら,当業者が適宜決定するものである(乙30)。
   ? 控訴人は,乙10文献における,インキキー開度制御は,【0052】の記載に照らし,「コラム間の濃度のばらつき」を小さくするためのものであって,本件発明1の構成要件Fのように印刷絵柄データと見本絵柄データとを比較するものではない旨主張する。
 しかし,【0053】では「このために,本発明では,前記比較結果の各々が許容指定範囲内のどこにあるかを比較し,この比較結果のばらつきが同一紙面内で大きいときは,このばらつきを小さくするように,インキ送り量や湿し水量をさらに制御する」と記載されている。そして,見本絵柄データの目標濃度から最も離れた濃度のコラムに他のコラムの濃度を揃えても濃度調整として意味がないことは明らかであるから,乙10文献においても,各コラムにおける印刷絵柄データと見本絵柄データとの比較結果を踏まえて,印刷紙面全体として,より目標濃度に近づける方向で濃度のばらつきを制御すべく各コラムのインキキー開度の大小を制御することは,明らかである。
 (イ) 上記解釈が本件明細書1の記載や構成要件Gの技術的意義からも裏付けられるものであることは,原判決における判示のとおりである。
   イ 被告製品1の充足性
 否認する。
 被告製品1は,紙面監視手段における不良紙判定用閾値と,濃度判定手段における濃度差等の範囲が,前者はRGBの各スペクトル値,後者はCMYKの網点面積率という異なる単位において,相互に関連づけられることなく設定されているものであるから,構成要件Gを充足しない。
  (2) 「見本絵柄データ」(構成要件C~F)の充足性について
   ア 原判決の解釈について
 原判決は,「見本絵柄データ」として,製版データと見本印刷物データを併用する併用構成も許容されるとするが,以下のとおり,誤りである。
 (ア) 請求項7について
 本件特許1に係る当初明細書(乙11)における特許請求の範囲には,2種類の見本絵柄データを併用する構成は含まれておらず,また,発明の詳細な説明中にも,併用の可能性を示唆する記載は存しない。
 しかし,補正後の請求項7には,「請求項1~6の何れか1項に記載の印刷物の品質管理装置」と記載されており,請求項6に従属する内容となっている。
 仮に,本件発明1において併用構成が許容されるとすれば,かかる補正は,当初の出願範囲を超えるものであって,特許法17条の2第3項の規定する補正要件に違反するとともに,同法36条6項1号の規定するサポート要件にも違反することになる。
 (イ) 構成要件Gとの関係で,印刷欠陥検出手段とインキキー開度制御手段でそれぞれ比較される見本絵柄データと印刷絵柄データのデータ形式を最終的には統一する必要があることから,データ形式の異なる2種類の見本絵柄データを併用することは,必ずデータ変換を伴うことになる。
 したがって,併用構成を採用した場合,データ変換装置の追加により,設置スペースやコストの増加を招くことになる。
 (ウ) 製版データと見本印刷物データの品質の相違「製版データ」という要求品質として完璧なものと,そこから版の作成,用紙への印刷及び用紙上の印刷結果の読み取りという過程を経て大きく画像品質が劣化した「OKシートデータ」とでは,その画像品質において全く異なるものである。
 このため,見本絵柄データと印刷絵柄データとの間との比較において通常生じ得る最大濃度差等も,印刷絵柄データと同じく画質の劣化した印刷物からラインセンサで読み取られる「OKシートデータ」を見本絵柄データとして用いる場合には小さくなるのに対し,劣化のない「製版データ」を見本絵柄データに用いる場合には大きくなり,両者は異なる比較となる。
 そして,具体的な閾値等の設定というのは,その前提となる最大濃度差等に左右されるところ,「OKシートデータ」を用いた最大濃度差等が小さい中での設定(閾値や濃度差等の範囲の数値はいずれも小さくなる)と,「製版データ」を用いた最大濃度差等が大きい中での設定(閾値や濃度差等の範囲の数値はいずれも大きくなる)とは,自ずと閾値等のレンジが異なってくる。
 そうすると,併用構成を認めると,「OKシートデータを用いた印刷欠陥検出手段の閾値<製版データを用いたインキキー開度制御手段に用いる濃度差等の範囲」となる場合も生じ得る。
 しかし,このような場合に,個々の比較における最大濃度差等に応じて閾値等を換算するなど,相対的に大小設定を行うような記載は,本件明細書1のどこにも見当たらない。
 (エ) 以上によれば,本件発明1は,併用構成を予定していないと解すべきである。
   イ 被告製品1の充足性
 被告製品1では,「見本絵柄データ」として,製版データと見本印刷物データとを併用しているから,構成要件CないしFを充足しない。
  (3) 「インキキー幅単位での比較」(構成要件F)の充足性について
   ア 原判決の解釈について
 原判決は,「インキキー幅単位での比較」について,印刷絵柄データと見本絵柄データとの濃度差が,最終的にインキキーの幅毎に計算されていると評価できれば足りるとする。
 しかし,かかる解釈は,構成要件Fにおいて,濃度差等の「計算」のみならず「比較」についても「インキキーの幅単位」で行われることが明記されているのに反する上,データの比較領域の単位が,印刷欠陥検出手段では「ラインセンサの画素単位或いは所定画素数のブロック単位」と,インキキー開度制御手段では「インキキーの幅単位」と,文言上明確に書き分けられていることに照らしても妥当でない。
   イ 被告製品1の充足性
 被告製品1では,見本絵柄データと印刷絵柄データとを「インキキーの幅単位で比較」していないから,本件発明1の構成要件Eを充足しない。
  (4) 小括
 以上のとおり,被告製品1は,本件発明1の構成要件CないしGを充足しないから,本件発明1の技術的範囲に属しない。
 2 争点(2)(本件特許1は特許無効審判により無効にされるべきものか)について
 〔被控訴人の主張〕
 本件特許1は,以下の無効理由を有し,特許無効審判により無効にされるべきものであるから,控訴人は,被控訴人に対し,その権利を行使することができない(特許法104条の3)。
  (1) 新規性の欠如について
 本件発明1は,その出願前に頒布された刊行物である乙10文献に記載された発明と同一であって新規性がない。
  (2) 補正要件及びサポート要件違反について
 本件特許1に係る当初明細書(乙11)における特許請求の範囲には,2種類の見本絵柄データを併用する構成は含まれておらず,また,発明の詳細な説明中にも,併用の可能性を示唆する記載は存しないが,補正後の請求項7は,請求項6に従属し,併用構成を規定するものとなっている。
 したがって,本件発明1は,補正要件及びサポート要件に違反する。
 〔控訴人の主張〕
  (1) 新規性の欠如について
 本件発明1は,印刷欠陥検出手段とインキキー開度制御手段の2つの手段を有し,各手段において異なる方法で濃度差等を比較する技術であるのに対し,乙10文献に記載された発明は,コラム単位(「インキキー幅単位」に相当)の比較で濃度制御を行うのみであり,単一の比較手段しか有していない。
 乙10文献には,本件発明1の「印刷欠陥検出手段」が記載されていない以上,印刷欠陥検出手段における「所定の閾値」も,「所定の閾値」と「濃度差等の範囲」との大小関係も記載されていないのであるから,乙10文献記載の発明と本件発明1が同一であるはずがない。
  (2) 補正要件及びサポート要件違反について
   ア 補正要件違反について
 当初明細書(乙11)においても,見本絵柄データとして製版データとOKシートを併用する構成は記載されている。
 すなわち,補正後の請求項6は,補正前の請求項8に対応するところ(乙5),見本絵柄データとして製版データを利用する補正前の請求項8に従属した請求項12においては「所望の印刷品質を備えた見本印刷物」(OKシート)をラインセンサで読み取って見本絵柄データを取得することが記載されているから,請求項12は併用構成を記載している。
 そして,当初明細書には,併用構成を排除する趣旨の記載はない。
 したがって,請求項7に係る補正は,新たな技術的事項を導入するものではなく,補正要件違反の主張は失当である。
   イ サポート要件違反について
 併用構成を採用したとしても,装置が物理的に増加し,スペースやコストの増加をもたらすものではないから,本件発明1の解決課題との関係で,被控訴人の主張する限定解釈が導かれるものではない。
 本件明細書1の【0020】の記載は,製版データ及び見本印刷物データを見本絵柄データとして取得する方法が,いずれも見本絵柄データの取得方法として「好ましい」ものとして挙げられているにすぎず,いずれか一方のみを用いる構成に限定する趣旨までも含むものではないし,その他,本件明細書1には,併用構成を排除するような記載は存しない。
 したがって,請求項7に記載された発明(併用構成)は,本件明細書1の発明の詳細な説明に記載されたものであるから,サポート要件違反の主張は失当である。
 3 争点(3)(本件特許権1の侵害に基づく損害額)について
 〔控訴人の主張〕
  (1) 特許法102条3項に基づく損害額
 被控訴人は,遅くとも平成18年4月7日から平成23年5月末日までの間に,被告製品1の製造,販売等により,少なくとも11億2000万円を売り上げた。
 これにより,本件特許1の特許権者が受けるべき金銭の額は,1億3440万円を下らない。
  (2) 損害賠償請求権の承継
 控訴人は,三菱重工からの会社分割により,被控訴人に対する本件特許権1の侵害による損害賠償請求権(会社分割時までのもの)を承継した。
  (3) 小括
 よって,控訴人は,被控訴人に対し,本件特許権1に基づき,不法行為(民法709条)に基づく損害賠償の一部として,500万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成23年7月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
 〔被控訴人の主張〕
 控訴人の主張は,否認ないし争う。
 4 争点(4)(被告製品2が本件訂正発明2の技術的範囲に属するか)について
 〔控訴人の主張〕
  (1) 構成要件Iについて
   ア 「版」の意義について
 本件特許2の請求項1は,「版」について限定を加えておらず,本件訂正明細書2の発明の詳細な説明にも「版」を限定する記載はない。また,CTP版もPS版の一種であり,刷版であることに変わりはない。
 したがって,「版」を限定解釈するべきではなく,「版」とは,刷版であればPS版,CTP版のいずれも含むと解するべきである。
   イ 被告製品2の充足性
 被告製品2は,構成要件Iを充足する。
  (2) 小括
 被告製品2は,本件発明2の構成要件IないしLを充足するから,本件発明2の技術的範囲に属する。
 〔被控訴人の主張〕
  (1) 構成要件Iについて
   ア 「版」の意義について
 (ア) 新聞印刷の分野で用いられるオフセット輪転機では,円筒状の版胴の円周面に沿って印刷版が取り付けられ,印圧を負荷してブランケット胴と接触・回転する構造を有するところ,この印刷版と版胴との相対位置が変化することを「版ずれ」という。
 本件訂正明細書2は,その出願当時から一般的に版ずれの課題があったかのように記載しているが,従来のPS版が使用されていた時代には,印刷版に「これまで,アルミニウムなどの金属を支持体とする平板印刷版では,一般に版伸びまたは版ずれなどによる色ずれは起こらないとされていた。」のであり(乙7の【0006】),実際にも,被控訴人製の新聞印刷用輪転機で版ずれの問題が起きたことはなかった(甲11)。
 ところが,平成8年以降のCTP版への変更に伴って,「版ずれ」が新たな問題として浮上してきたものである。
 (イ) この新たな「版ずれ」の技術課題を解決する発明は,乙7に係る特許出願(平成18年10月)当時,ほとんど存在しておらず,本件訂正発明2は,かかる「版ずれ」の技術課題を解決する発明として言及されていない(乙7)。
 これは,本件訂正発明2がPS版時代のほとんど起こりえなかった版ずれを課題とする発明であり,CTP版の時代の版ずれとは技術的課題が異なるためである。
 (ウ) 以上のように,まだCTP版が存在しなかった時代に出願された本件訂正発明2の構成要件Iにおける「版」とは,PS版のみを指すと解釈されるべきである。
   イ 被告製品2の充足性
 被告製品2は,CTP版の使用による版ずれに対応したものであり,構成要件Iを充足しない。
  (2) 小括
 被告製品2は,本件訂正発明2の構成要件Iを充足しないから,本件訂正発明2の技術的範囲に含まれない。
 5 争点(5)(本件特許2は特許無効審判により無効にされるべきものか)について
 〔被控訴人の主張〕
 本件訂正発明2は,以下のとおり,独立特許要件(特許法126条7項)違反の無効理由を有し,特許無効審判により無効にされるべきものであるから,控訴人は,被控訴人に対し,その権利を行使することができない(同法104条の3)。
  (1) 新規性の欠如について
   ア 本件特許2の出願前に頒布された刊行物である特開昭51-103506号公報(乙28。以下「乙28文献」という。)には,「版を装着して使用するオフセット輪転機版胴において,前記版胴の表面粗さRaをRa=7~25ミクロンに調整したことを特徴とするオフセット輪転機版胴」の構成が開示されている。
 そうすると,乙28文献に記載された発明の構成と本件訂正発明2の構成は,版胴の表面粗さが乙28文献に記載された発明では「Ra=7~25ミクロン」であるのに対して,本件訂正発明2では「6.0μm≦Rmax≦100μm」と記載されている点が異なるのみである。
   イ RaとRmaxの関係について
 RaとRmaxの関係について,「JIS 表面粗さの定義と表示 JIS-B-0601-1982」(乙2。以下「JIS規格」という。)では,「RaはRmax又はRzの1/4に等しいように記載されているが,この関係が成立するのは同じ高さの三角山が並んでいる場合だけで,一般の加工面では大約にしかあてはまらない。」とされている。「解説表1」によれば,Ra=12.5~25ミクロンの範囲は,「同じ高さの三角山」に該当する(▽)の範囲であって,「RaはRmax…の1/4に等しい関係が成立する」ものであり,これはRmax50~100μmに相当し,本件訂正発明2の「6.0μm≦Rmax≦100μm」の構成のうち,少なくとも「50μm≦Rmax≦100μm」の構成が開示されていることになる。上記相関関係については「Rmax=50~100S(Ra=12.5~25μmにほぼ相当)」として学術論文(乙32)にも技術常識として記載されている。
 また,日本工業規格によれば,表面粗さRmaxは,0.8μmを超えて6.3μm以下の場合は基準長さが0.8mm,6.3μmを超えて25μm以下の場合は2.5mm,25μmを超えて100μm以下の場合は8mmであり,この基準長さの範囲で求められるものである。版胴は,通常1620mmの長さがあり,版胴の表面粗さを0.8mm,2,5mm又は8mmの長さを基準とした表面粗さで版胴全長の表面粗さを規定できるのは,版胴の表面が極めて均一に加工されているからであって,版胴の表面粗さについては,全長にわたり大約「RaはRmax又はRzの1/4に等しい」という関係が成立するといえ,乙28文献には,大約「28μm≦Rmax≦100μm」の構成についても開示されているといえる。
 もともと,本件訂正発明2の「Rmax」の範囲は6.0μm≦Rmax≦100μmであって,加工的観点からの「厳密さ」は不要であることも明らかである。
 したがって,本件訂正発明2は,その規定するRmaxの範囲のうち少なくとも大半が公知であった。
   ウ 控訴人の主張について
 (ア) 控訴人は,乙28文献の特許請求の範囲に記載された「上記シリンダもしくはローラの表面粗さ」が「金属シリンダ固有の表面」の粗さを指す旨主張する。
  a しかし,乙28文献の特許請求の範囲は,「オフセットシリンダ,インプレッションシリンダ,フォルメシリンダ,ダンピングローラ等の印刷機用のシリンダおよびローラにおいて,」で始まることから,フォルメシリンダ(版胴)を含む「印刷機用のシリンダおよびローラ」の特徴が記載されていることは明らかである。また,「金属シリンダもしくはローラの表面は,…の分離しえない表面層を有し,」と記載されていることから,金属シリンダ若しくはローラの表面は表面層を含むものであることが明らかである。
 そして,「該表面層と金属シリンダもしくはローラとの間には,…少なくとも一つの中間層を設け,」と記載されていることから,中間層が表面層と金属シリンダ若しくはローラの間の層として設けられていることが分かる。
 そうすると,「かつ上記シリンダもしくはローラの表面粗さを」の「上記シリンダもしくはローラ」は,「金属シリンダもしくはローラ」であり,「表面粗さ」は,上述のように表面層を含む「金属シリンダもしくはローラの表面粗さ」を指すことは明らかである。
 したがって,乙28文献に記載された発明は,金属製のシリンダ若しくはローラ本体に中間層を設け,さらに表面層を設けてなる,フォルメシリンダ(版胴)を含む「印刷機用のシリンダおよびローラ」の表面粗さをRa=7~25ミクロンとした発明である。
  b 乙28文献には,乙28文献に記載された発明は,フォルメシリンダ等の表面が「水,印刷染料,および印刷機上で印刷のため使用される種々の化学薬品と接触する。」ことから「表面の耐腐食性」の高さが要求されるという技術に関する発明であることが記載されており,乙28文献に記載された発明の構成により,「本発明による上記の層を具えたシリンダおよびローラの表面は極めて耐食性が高く,印刷技術に使用する化学薬品の影響に強く,それ故シリンダの寿命は延長される。」との効果を奏することが記載されている。
 この「印刷技術に使用する化学薬品の影響に強く」の記載から明らかなように,「シリンダおよびローラの表面」は,控訴人が主張するような「金属シリンダ固有の表面」ではなく,シリンダまたはローラが化学薬品と接する表面層の最外殻の面を指すことは明らかである。
 (イ) 控訴人は,乙28文献に記載された発明は,インプレッションシリンダについてのものである旨主張する。
 しかしながら,乙28文献の特許請求の範囲には,インプレッションシリンダに限定された発明である旨の記載は一切ない。
 また,乙28文献に記載された発明の構成によれば,シリンダの耐腐食性を満足することが記載されているが,これはインプレッションシリンダに限らず,フォルメシリンダも含む「印刷機用のシリンダおよびローラ」全般についての効果であることは明らかである。これに対し,インプレッションシリンダの「特別の要請」,すなわち,シリンダ表面にインクを蓄積させない要請については,「本発明のように,多色印刷機および紙シートの両面印刷機のためのインプレッションシリンダ用のシリンダの表面層を粗にすると,紙上の乾いていない印刷物のインクが擦りつけられるおそれは減ぜられる利点がある。」との効果が記載されている。
   エ 以上によれば,乙28文献には,「版を装着して使用するオフセット輪転機版胴において,前記版胴の表面粗さRaをRa=7~25ミクロンに調整したことを特徴とするオフセット輪転機版胴」の構成が開示されており,本件訂正発明2の版胴の表面粗さRmaxの数値範囲に係る構成(「6.0μm≦Rmax≦100μm」)のうち,少なくとも「50μm≦Rmax≦100μm」の構成,又は大約「28μm≦Rmax≦100μm」の構成についても開示されていると認められるから,乙28文献に記載された発明と本件訂正発明2とは同一であり,本件訂正発明2は新規性が欠如する。
  (2) 進歩性の欠如について
   ア 本件特許2の出願前に,表面粗さが2.47~4.02μmの版胴(乙16,17。表面粗さRmaxを1.5μmと設計した(乙15),東日印刷向けの被控訴人製の版胴)が存在した。
   イ 本件訂正発明2は,耐食性,耐摩耗性,汚れ除去性等を高めるために,版胴の表面粗さを極力平滑(Rmax<1.0μm)に調整した結果,版との間に版ずれトラブルを生じることになったので,版胴表面のRmax値を大きくすることによって,耐食性,耐摩耗性,汚れ除去性を維持しながら版ずれトラブルを防止する発明である。
   ウ 従来,表面粗さの粗い版胴が用いられていたが,印刷機の機械精度を上げる一環として,版胴表面が「研削」されるようになり,さらに控訴人では「研磨」加工を行うことによりRmax<1.0μmに調整されるようになっていたものであるが,このように版胴の表面粗さを少なくする改良が行き過ぎれば,その上に装着される版との間の摩擦係数を低下させ,版ずれトラブルが起こりやすくなることは当然である。
 この点,特開昭57―156296号公報(乙29。以下「乙29文献」という。)には,版ずれトラブル防止を目的として,金属製の版ではないものの,版胴との接触面となる版の裏面の(具体的な表面粗さの種類は特定されていないがJIS規格による)表面粗さを20μm以上,好ましくは25~100μmとすることにより,版胴へのフィット性を向上させ,印刷中に版胴との間にズレや歪みを生じにくくした技術が開示されている。かかる技術は,版と版胴のズレが,版の裏面と版胴の表面との摩擦係数に影響されるとの知見に基づくものであり,本件訂正発明2と同じ解決原理に基づくものである。
 以上のとおり,本件訂正発明2は,版ずれトラブルの原因が版と版胴との摩擦係数にあることが,版胴表面と相対する版の裏側の表面を粗くした乙29文献などで広く知られ,表面粗さが2.47~4.02μmの版胴(乙16,17。表面粗さRmaxを1.5μmと設計した(乙15),東日印刷向けの被控訴人製の版胴)が存在した状況において,版胴の表面をRmax≧6.0μmと更に粗くしたにすぎないものであって,その表面粗さに関する数値の上限値及び下限値の設定において,公知技術と別異の目的もなければ,公知技術とは明らかに異なる作用効果を奏するものではない。
 したがって,版胴の表面粗さをどの程度にするかは,版胴が版ずれトラブルを起こすことなく正常に稼働しつつ,耐食性,耐摩耗性,汚れ除去性等の要請も考慮して,当業者が設計するものであるから,本件訂正発明2は,摩擦係数による版ずれ防止と印刷品質の向上とのバランスにおいて表面粗さの臨界値を特定することにその技術的意義があり,本件訂正発明2に進歩性が認められるためには,Rmaxの数値範囲に臨界的意義が必要である。
   エ 本件訂正明細書2には,【図2】のグラフ及びその説明(【0009】)が示されているが,Rmaxをいかなる値にした版胴をいくつ実験に用いたのか,図2の3つの丸印からなぜ実線のグラフが得られるのか,いかなる条件をどのように変更して破線のグラフ及び「実験条件によるデータの変更範囲」が得られたのかについては開示・示唆がない。また,「Rmax>100μmでは,版胴の寸法精度や汚れ除去特性に問題が生じることが考えられる」(【0010】)との記載からも明らかなとおり,上限値については実験例がないようである。そうすると,【図2】のグラフは根拠のないものであり,発明の詳細な説明には,Rmaxの上限値及び下限値の臨界的意義を基礎付ける実験例や理論的根拠の記載がないということになる。
 本件訂正明細書2の【0011】には,「Rmax≒6.0μm」の値が実験結果として記載されているが,この実験が【図2】記載の実験例の一部であるのかどうかすら明確ではなく,使用した版胴が4枚であるのに破線が2本であることの説明も一切ない。本件訂正発明2のRmaxの下限値である「6.0μm≦Rmax」の臨界的意義も不明である。
   オ 以上によれば,本件特許2の出願前に表面粗さを2.47~4.02μmとした版胴(版としてPS版を使用)で版ずれトラブルがなかった被控訴人製の版胴(乙15~17)を主引用例として,これに版と版胴のズレが版の裏面と版胴の表面との摩擦係数に影響されるとの知見に基づき版ずれ防止のために版の裏面の表面粗さを20μm以上,好ましくは25~100μmとした乙29文献を組み合わせれば,本件訂正発明2は容易に想到することができ,進歩性に欠ける。
  (3) 記載要件違反について
   ア サポート要件違反について
 前記(2)ウ記載のとおり,本件訂正明細書2には,Rmaxの範囲の記載と得られる版ずれ防止効果との関係の技術的意味に関し,本件訂正発明2に接した当業者が,本件訂正発明2に示されたRmaxの範囲であれば,所望の(上限値及び下限値において従来技術との関係で臨界的意義があるような,異質又は顕著な)版ずれ防止効果が得られると認識できる程度の具体例を示した記載がされているものとはいえないから,本件訂正発明2に係る特許請求の範囲の記載は,発明の詳細な説明に記載したものであるとはいえず,特許法36条6項1号(サポート要件)に違反するものである。
   イ 実施可能要件違反について
 (ア) 本件訂正発明2は,オフセット輪転機版胴においてRmaxを6.0μm≦Rmax≦100μmの範囲に調整したことにより版ずれ防止効果を奏することを内容とするものであるところ,本件訂正明細書2には,版胴のどの部分をどのように計測してRmaxの値を算出するのか,また,どの部分のRmaxが本件訂正発明2の範囲内に入っていれば上記効果を奏することができるのかについて手がかりとなる記載は一切ない。
 (イ) 本件特許2の出願当時のJIS規格(乙2)において,最大高さRmaxは,「断面曲線から基準長さだけを抜き取った部分(「抜取り部分」)の平均線に平行な2直線で抜取り部分を挟んだとき,この2直線の間隔を断面曲線の縦倍率の方向に測定して,この値をマイクロメートル(μm)で表したものをいう。」と定義されており,また,Rmaxが100μm以下の場合の基準長さは8mmと定められているから,本件訂正発明2は,版胴のうち,基準長さである8mmについて計測した数値をクレームしたものということになる。
 本件訂正発明2が版を装着する部分の表面粗さを問題とするものであることが当業者にとって自明であるとしても,版胴表面の幅は約1800mm,周長は約1100mmもあり,このうち「版を装着する部分」といってもなお広範であるから,上記基準長さである8mmの取り方は無限に存在するというべきである。
 加えて,本件訂正発明2の出願当時において,研削加工精度の問題から,版胴の表面粗さを均一にすることは困難であり,実際,同じ版胴でも測定箇所により表面粗さにかなりのばらつきがみられることからすれば(乙16,17),このような表面粗さのばらつきにも配慮した測定方法の記載なくして,当業者が本件訂正発明2を実施することは不可能である。
 (ウ) 以上によれば,本件訂正発明2に係る発明の詳細な説明の記載は,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるとはいえず,特許法36条4項1号(実施可能要件)に違反する。
 〔控訴人の主張〕
  (1) 新規性の欠如について
   ア 本件訂正発明2と乙28文献に記載された発明とは,少なくとも以下の点で相違する。
 (ア) 課題の相違
 本件訂正発明2の課題は,版ずれ防止であるのに対し,乙28文献に記載された発明の課題は,耐腐食性の向上である。
 (イ) 表面粗さの単位の相違
 本件訂正発明2では,Rmaxで表面粗さを規定しているのに対し,乙28文献に記載された発明では,Raで表面粗さを規定している。
 本件訂正発明2は,版ずれの問題がRmaxに関係するという知見に基づいてされたものであり,Raではない。
 JIS規格(乙2)によれば,Raは「中心線平均粗さ」であって,「最大高さRmax」ではない。被控訴人は,RaがRmaxの1/4に等しい旨主張するが,JIS規格には,「…3種類の表示相互間には,恒等的な関係はあり得ない。したがって,三角記号の数との関係も,すべてを一般的に定めることはできない。」(17頁)と記載されているとおり,RaとRmaxは明確に異なるものである。RaとRmaxは求め方が全く異なり,単純に換算できるものではないから,乙28文献に,版胴の表面粗さRmaxを「6.0μm≦Rmax≦100μm」とすることが開示されていると解することはできない。
 (ウ) 表面粗さの部位の相違
 本件訂正発明2では,版がかかる版胴の最外表面の表面粗さを規定しているのに対し,乙28文献に記載された発明では,その特許請求の範囲の記載から明らかなように,金属シリンダ固有の表面の表面粗さを規定している。
 このことは,発明の詳細な説明中に,シリンダ固有の表面の表面粗さRaを規定することによる作用効果が記載されていることからも明らかである。
 乙28文献に記載された発明は,シリンダ固有の表面の表面粗さが最外表面に正確にコピーされるという誤った見解に基づいて,中間層や表面層を設ける前のシリンダの表面粗さを規定することとしたものである。
 (エ) フォルメシリンダとインプレッションシリンダの相違
 乙28文献に記載された発明が規定しているのは,紙と接触する「インプレッションシリンダ:圧胴」の表面粗さのみであり,版と接触する「フォルメシリンダ:版胴」については表面粗さが規定されていない点で,「フォルメシリンダ:版胴」の表面粗さを規定した本件訂正発明2とは異なる。
 乙28文献に記載された発明において表面粗さを規定しているのは,両面印刷機のための圧胴の場合のみである。それ以外のシリンダ又はローラーについては,乙28文献には,良好な表面性質となるよう,大概はみがかれていることが明記されており,版胴については表面粗さが規定されていない。
 このことは,乙28文献が,両面印刷機のためのインプレッションシリンダ(圧胴)の場合には,他のシリンダやローラとは異なる「特殊な要請」があることや,表面層を粗にしたときの効果がインプレッションシリンダ(圧胴)用のシリンダについてのみ記載されており,版胴における版ずれ防止効果は一切記載されていないことからも明らかである。
   イ 以上によれば,乙28文献には,フォルメシリンダ(版胴)の表面粗さに関する記載はなく,本件訂正発明2の構成要件K’の「該版胴の表面粗さRmaxを6.0μm≦Rmax≦100μmに調整した」が記載されていないので,乙28文献に記載された発明と本件訂正発明2とは同一性を欠き,乙28文献に基づく被控訴人の新規性欠如の主張は失当である。
  (2) 進歩性の欠如について
   ア 被控訴人は,版胴の表面粗さを2.47~4.02μmの版胴とした被控訴人製の版胴(乙15~17)を主引用例として,これに乙29文献を組み合わせれば,本件訂正発明2は容易に想到し得た旨主張する。
 しかし,乙15に係る版胴は,表面粗さがたまたま1.5μmと設計されたというだけであり,版ずれと表面粗さとの関係についての知見は全くない。
 そもそも,被控訴人が主張するとおり,乙15に係る版胴に版ずれトラブルがなかったとすれば,版ずれトラブルを防止するために表面粗さを変えるという動機付けは全く存在しないから,かかる版胴と乙29文献の組合せに基づく進歩性欠如の主張は失当である。
   イ 本件訂正発明2は,版ずれという課題が版胴の表面粗さRmaxと関係することを見出し,この知見に基づいて版胴の表面粗さRmaxを調整することにより版ずれ防止効果の高い版胴を完成させたものである。
 乙29文献には,このような知見は開示されておらず,乙29に記載された発明が,本件訂正発明2と同じ解決原理に基づくものであるとの被控訴人の主張は失当である。
 平織物(印刷版用基材)側だけの表面粗さを記載した乙29文献に基づいて,版胴の表面粗さRmaxを調整することにより版ずれ防止の効果があることを見いだすことは不可能である。
 また,乙29文献は,版胴ではなく,版胴にかけられる印刷版用基材の発明であり,印刷版用基材の裏面の表面粗さを規定したものである。
 したがって,乙15に係る版胴と乙29文献とを組み合わせても,版胴にかけられる印刷版用基材の裏面の表面粗さが規定されるだけであり,本件訂正発明2に想到し得ない。
   ウ 被控訴人は,本件訂正発明2が進歩性を有するには,数値範囲の上限及び下限につき臨界的意義が要求される旨主張する。
 しかし,乙29文献にも東日印刷向けの版胴(乙15)にも,版ずれという課題が版胴の表面粗さRmaxと関係することは記載されておらず,被控訴人の主張は失当である。
  (3) 記載要件違反について
   ア サポート要件違反について
 前記(2)ウのとおり,本件訂正発明2の数値範囲には臨界的意義は要求されない。
 そして,本件訂正明細書2には,Rmaxの数値範囲に関し,「Rmax≧100μmでは,版胴の寸法精度や汚れ除去特性に問題が生じることが考えられるので,Rmaxの上限値をRmax≦100μmとする」,「Rmax<1.0μmでは従来版胴に比べて版ずれ防止効果が小さいので,その下限をRmax≧1.0μmとする。」との記載がある。したがって,本件特許2にサポート要件に違反する点はない。
   イ 実施可能要件違反について
 本件訂正発明2は,版胴の版ずれ防止を技術的課題とする発明である以上,版を装着する部分のRmaxを問題としていることは当業者にとって自明であり,版胴のどの部分のRmaxであるかを全て具体的に明示しなかったからといって,本件特許2が実施可能要件に違反するものではない。
 6 争点(6)(本件特許権2の侵害に基づく損害額)について
 〔控訴人の主張〕
 特許法102条1項ないし3項に基づく損害賠償額のうち最も高い金額が,本件特許権2の侵害による損害額として認定されるべきである。
  (1) 特許法102条1項に基づく損害額
   ア 被告製品2(2)及び(3)についても同項が適用されること
 (ア) 特許法102条1項は,「譲渡」以外の行為についても,同項の算定ルールが妥当する場合には,同算定ルールを適用して損害賠償額を算定することが可能であると説明されていること,同項の適用においては,特許権者の製品の販売機会が喪失すれば,有償,無償等の侵害態様を問わず,同項が適用されるとするのが特許法の趣旨であることなどからすれば,被告製品2(2)及び(3)が「既存版胴に対するヘアライン加工」という,より安価な侵害態様であっても,特許権者の製品の販売機会が喪失する以上,同項が適用されるべきである。
 (イ) 仮に,特許法102条1項を適用するには,被控訴人が主張するような「補完関係が相当程度あったと認められる特段の事情」が必要であったとしても,被控訴人の顧客は,現実に版ずれ問題に悩まされていたのであるから,もし,被控訴人がヘアライン加工を行わなかったとするならば,控訴人が本件訂正発明2の実施品である版胴を販売し得たことは,本件訂正発明2の技術的意義,優位性から明らかである。
 したがって,被告製品2(2)及び(3)について,かかる補完関係は十分に認められるというべきである。
 (ウ) 以上によれば,被告製品2(2)及び(3)についても,特許法102条1項を適用して,控訴人の販売利益に基づき損害額を推定すべきである。
   イ 販売利益に基づく損害額
 被控訴人が譲渡した版胴の個数に,版胴1個当たりの控訴人の販売利益の額を乗じて得た額が,控訴人の被った損害額である。
 (ア) 譲渡数量
  a 被告輪転機2(1)に係る販売数量
 被控訴人は,48個(「4×1」機向け「一本胴」)を販売した。
 さらに,故障等に備えるための交換用版胴として,通常,少なくとも輪転機1セット当たり2個を追加購入すると考えられるので,交換用版胴として合計4個を販売した。
  b 被告輪転機2(2)に係る加工数量等
 被控訴人は,48個(「4×2」機向け「一本胴」12個,「4×2」機向け「シェル胴」36個)にヘアライン加工を施した。
 さらに,交換用版胴として,通常,少なくとも輪転機1セット当たり2個を追加購入すると考えられるので,被控訴人は,交換用版胴として合計4個を譲渡したものと考えられる。
  c 被告輪転機2(3)に係る加工数量等
 被控訴人は,48個(「4×2」機向け「一本胴」12個,「4×2」機向け「シェル胴」36個)にヘアライン加工を施した。
 さらに,交換用版胴として,通常,少なくとも輪転機1セット当たり2個を追加購入すると考えられるので,被控訴人は,交換用版胴として合計4個を譲渡したものと考えられる。
 (イ) 版胴1個当たりの控訴人の利益額
 控訴人は,平成8年2月28日から平成23年3月26日までの期間,本件訂正発明2の実施品であるオフセット輪転機版胴(以下「控訴人製品」という。)を販売していた。
 控訴人製品1個当たりの限界利益の額については,控訴人における取引事例を参照すると,以下のとおり算定されるべきである。
  a 「4×2」機向け「一本胴」の限界利益額
 控訴人製品の「4×2」機向け「一本胴」に係る取引事例(甲25,甲40の1~3,甲41)によれば,その限界利益額は●●●●●●●●円である。
  b 「4×1」機向け「一本胴」の限界利益額
 被控訴人においては,「4×1」機向け「一本胴」の限界利益額は「4×2」機向け「一本胴」の限界利益額の●●●●%となっていることから,この比率を用いて控訴人製品について,「4×1」機向け「一本胴」の限界利益額を算定すると,●●●●●●●●円(●●●●●●●●円×●●●●●)となる。
  c 「4×2」機向け「シェル胴」の限界利益額
 控訴人製品の「4×2」機向け「シェル胴」に係る取引事例(甲45の1~8,甲46の1~8)によれば,その限界利益額は,両取引事例の限界利益の平均額●●●●●●●●円(●●●●●●●●●円+●●●●●●●●円)●●)と算定されるべきである。
 (ウ) 算定
  a 被告製品2(1)
 被告輪転機2(1)は,「4×1」機向け「一本胴」48個から構成されているから,●●●●●●●●●円(●●●●●●●●円×48個。計算額は控訴人主張による。)となる。
  b 被告製品2(2)
 被告輪転機2(2)は,「4×2」機向け「一本胴」12個及び「4×2」機向け「シェル胴」36個から構成されているから,●●●●●●●●●●●円(●●●●●●●●円×12個+●●●●●●●●円×36個)となる。
  c 被告製品2(3)
 被告輪転機2(3)は,「4×2」機向け「一本胴」12個及び「4×2」機向け「シェル胴」36個から構成されているから,●●●●●●●●●●●円(●●●●●●●●円×12個+●●●●●●●●円×36個)となる。
  d 合計額
 ●●●●●●●●●●●円
 (エ) 控訴人の実施の能力について
 控訴人は,平成11年から平成23年の期間において,年平均で控訴人製品を●●●個製造しており,最大で●●●個製造していたから,控訴人が被告製品2(1)ないし(3)の譲渡数量に相当する控訴人製品の製造能力を有していたことは明らかである。
 また,控訴人は,「4×1」輪転機について,海外では既に顧客に納入した実績があり,国内では,平成21年11月の時点では,国内で6セットの受注実績があった。したがって,被控訴人が被告製品2(1)ないし(3)を顧客に譲渡した当時,控訴人には,「4×1」版胴の供給能力があったことは明らかである。
   ウ 加工利益に基づく損害額
 仮に,被告製品2(2)及び(3)について,控訴人の販売利益に基づき損害額を推定すべきではないとしても,控訴人が既存版胴への追加工に応じることができたものとして,控訴人における版胴1個当たりの追加工による利益額に加工版胴の個数を乗じることにより控訴人が受けた損害額を推定すべきである。
 控訴人において被告製品2(2)及び(3)の合計96個分について追加工を施した場合の利益額は,●●●●●円と算定することができる(甲54)。
 また,上記金額は「製造原価」に相当するものであり,前記イ(イ)aの取引事例を参考に,これに一般管理費や利益を加算し,製造原価及び変動経費を控除して限界利益額を推計してみると,控訴人において被告製品2(2)及び(3)の合計96個分について追加工を施した場合の限界利益額は,●●●●●●●●●円と算定することができる。
   エ 被控訴人の主張(特許法102条1項ただし書による譲渡数量の控除)について
 特許法102条1項が規定された趣旨に鑑みれば,「販売することができないとする事情があるとき」等の減額要素を認めることについては謙抑的であるべきである。
 本件においては,輪転機ユーザーにとって大きな問題である版ずれの問題を根本的に解決できる技術が,本件訂正発明2以外に存在すると認めるに足る証拠はなく,競合技術が存在しない事案であって,上記事情があるとする被控訴人の主張は失当である。
 また,被控訴人が主張する事情は,以下のとおり,いずれも上記事情に該当するとはいえない。
 (ア) 被控訴人製の輪転機に用いる版胴との代替可能性について
 特許法102条1項は,権利者製品と侵害品とが,市場において一応補完関係に立つという擬制の上に設けられている規定であるから,権利者製品と侵害品とが市場で競合し得ること(代替可能性)さえ立証されればよく,権利者製品と侵害品とが完全に同一の構成を有するか否かを問題とする余地はない。
 本件の場合,輪転機の部品であるという特殊性はあるが,被告製品2(1)ないし(3)の図面を入手し,あるいは,実測しさえすれば調整可能であるところ,納入先である株式会社高速オフセット及び株式会社日経首都圏印刷から控訴人がおよそ図面を入手できず,あるいは実測できないことを認めるに足る証拠はない。かえって,上記2社と控訴人との間に輪転機の取引があること及び本件特許権2を侵害せずに版ずれ防止を根本的に解決する方法がないことに照らすと,上記2社が版ずれ防止策について控訴人に相談し,その解決のために,輪転機及び被控訴人製の版胴の設計図面を開示する可能性や実測を許可する可能性は相当程度高いといえる。
 控訴人は三菱重工時代の昭和37年から印刷機械を生産しており,新聞用輪転機に関する高い技術力を有し,印刷品質を左右する版胴に関しても豊富な知見を有しているから,控訴人にとって,被控訴人製の輪転機に,控訴人製品(版胴)を装着することには,格別の技術的困難性はない。
 (イ) 版胴単体での取引について
 控訴人が版胴単体での取引をしている例があり,他社においても,版胴単体での販売の申出をしている例(甲32の1・2,甲33)がある。
 加えて,被控訴人においても,改造工事の際に従来版胴を取り外し,新規にシェル版胴を取り付けるという工事を施工しており,輪転機の販売に付随しない版胴交換に関する取引を行っている(甲34,35)。
 (ウ) 競合メーカーの存在について
 版胴は輪転機の販売に必ずしも付随しない単体での取引が想定されるものであるから,版胴自体の販売機会に代えて輪転機の販売機会を問題にする被控訴人の主張は失当である。
 本件訂正発明2は,版胴に関する技術であり,被告製品2も版胴であるから,輪転機のシェアを立証しても,特許法102条1項ただし書の「販売することができないとする事情」を立証したことにはならない。
 仮に,輪転機のシェアを考慮するとしても,被控訴人による被告製品2(1)ないし(3)に係る取引時期が含まれる期間(●●●●●●●●●●●●●●●)に新規稼働した輪転機のシェアは,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●となっており,控訴人と被控訴人の二社寡占状態であった。
 しかも,控訴人以外の他社は,本件訂正発明2の実施品を販売することはできないから,そもそも競合メーカーたり得ない。
 (エ) 寄与率について
 版ずれ問題は,輪転機ユーザーにとって,有形無形の多大のコストが生じる重大な問題であること,本件特許権2を侵害せずに版ずれ防止を根本的に解決する方法がないこと,被控訴人の顧客は現実に版ずれ問題に悩まされていたことに照らせば,本件訂正発明2が版胴需要喚起への寄与が低いものであるとはいえない。
  (2) 特許法102条2項に基づく損害額
 被控訴人は,被告製品2(1)ないし(3)に係る取引により,以下の利益を得た。被控訴人の得た利益額が控訴人の被った損害額である。
   ア 被告製品2(1)ないし(3)の売上額
 被告製品2(1)ないし(3)の1個当たりの価格は1000万円を下らない。
 したがって,被控訴人は,被告製品2(1)ないし(3)に係る取引により,合計15億6000万円(52個×1000万円×3)を売り上げた。
   イ 被控訴人の利益率
 被控訴人が被告製品2(1)ないし(3)の取引により得た利益率は,売上高の30%を下らない。
   ウ 被控訴人の利益額
 被控訴人が被告製品2(1)ないし(3)の取引により得た利益額は,4億6800万円(15億6000万円×0.3)を下らない。
   エ 被控訴人の主張について
 (ア) 被控訴人による被告製品2(1)ないし(3)の利益額の算定方法について
 被控訴人は,輪転機全体の販売価格に,版胴の製造原価率を乗じて,版胴の限界利益額を算定すべきである旨主張するが,輪転機全体に占める版胴の寄与率は相当に高いから,輪転機全体の製造原価に占める版胴の製造原価比率をもって,版胴の販売価格を算出するのは相当でない。
 (イ) 被告製品2(2)及び(3)の利益額について
 被控訴人が主張する加工賃は,桁違いに低廉である。被控訴人が,このように低廉な額で被告製品2(2)及び(3)のヘアライン加工を請け負ったのは,版ずれ問題が頻繁に生じ,被控訴人が販売した輪転機が正常に動作しなくなったためであり,いわばクレーム対応として行ったものと考えざるを得ない。
 したがって,このようなクレーム対応における低廉な加工賃を基に被控訴人の利益額を算定することは妥当ではない。
 (ウ) 推定覆滅事由について
 被控訴人が主張する事情は,前記(1)エのとおり,いずれも推定覆滅事由に該当しない。
  (3) 特許法102条3項に基づく損害額
 本件訂正発明2の技術的優位性,有用性が極めて高いこと,被控訴人が控訴人の市場における競合相手であり,通常は実施許諾することはあり得ないこと及び被控訴人が本件特許権2を侵害していること等を総合的に勘案すると,控訴人が「特許発明の実施に対して受けるべき金銭の額」は,被控訴人の売上高の12%を下回ることはないというべきである。
 被控訴人は,被告製品2(1)ないし(3)の販売により,合計15億6000万円(52個×1000万円×3)を売り上げた。
 したがって,控訴人が受けるべき金銭の額は,1億8720万円(15億6000万円×0.12)を下回ることはない。
  (4) 弁護士・弁理士費用
 控訴人は,本件訴訟の遂行を控訴人代理人弁護士及び弁理士に委任した。
 被控訴人による本件特許権2の侵害行為と相当因果関係のある弁護士・弁理士費用は4000万円を下らない。
  (5) 損害賠償請求権の承継
 控訴人は,三菱重工からの会社分割により,被控訴人に対する本件特許権2の侵害による損害賠償請求権(会社分割時までのもの)を承継した。
  (6) 小括
 よって,控訴人は,被控訴人に対し,本件特許権2に基づき,不法行為(民法709条)に基づく損害賠償の一部として,2億4000万円及びこれに対する同日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
 〔被控訴人の主張〕
  (1) 特許法102条1項に基づく損害額について
   ア 被告製品2(2)及び(3)について
 (ア) 被告製品2(2)及び(3)は,既納入の輪転機の版胴に被控訴人が表面粗さを高める「加工」を行っただけであって,これらについては,「譲渡」がなく「生産」の実施行為があっただけであるから,特許法102条1項は適用されない。
 (イ) ところで,同項については,「譲渡」以外の場合(「貸渡し」等)についても,同項の算定ルールが妥当する場合には,この考え方を参考にした損害賠償額の算定が可能と考えられると説明される。
 この観点からすれば,同項の類推適用が認められるためには,権利者と侵害者双方の実施行為が,関係する市場において競合し,双方の実施行為の間に一定の補完関係が認められることを要すると解すべきである。
 被告製品2(2)及び(3)の「加工」について,控訴人製品の販売利益を用いる前提で特許法102条1項を類推適用するには,被控訴人による「加工」がなければ控訴人製品が「販売」できたという補完関係が相当程度あったと認められる特段の事情が必要であるというべきである。
 (ウ) 版胴に追加工する場合の顧客の負担と版胴を控訴人製品に交換する場合の顧客の負担(前者は版胴48個で●●●円,後者は1個当たり●●●●円)に鑑みれば,被控訴人製の輪転機の顧客が,本件訂正発明2を実施した版胴を得たいがためだけに,既存の版胴を廃棄し,控訴人製品をあえて購入した現実的可能性はない。
 (エ) したがって,被告製品2(2)及び(3)について,上記補完関係はないから,加工利益を用いるなら格別,販売利益を用いる前提で特許法102条1項を類推適用することはできない。
 (オ) 加工利益について
 控訴人主張の加工利益は,ショットブラスト加工を前提とするものである。既に輪転機に組み込まれた版胴への追加工の場合に,ヘアライン加工ではなくショットブラスト加工を選択することは現実的でないから,控訴人主張の加工利益を用いるのは妥当でない。
   イ 特許法102条1項ただし書による譲渡数量の控除について
 本件においては,以下のとおり,同項ただし書の規定する「販売することができないとする事情」があるから,販売数量の全量控除又は少なくとも被告製品2(2)及び(3)に相当する数量の控除が認められるべきである。
 (ア) 被控訴人製の輪転機に用いる版胴との代替可能性について
 オフセット輪転機は,多数の部品から構成される複数の機能ユニット(給紙部・印刷部・レールフレーム部・折部)から成る複雑な機械であり,購入者は,印刷品質や処理速度といった性能面のみならず,輪転機全体のサイズ,作業性,操作性,メンテナンスの容易さ,耐久性,騒音対策といった機能面,価格,保証内容,メンテナンス費用,消費電力,資材使用量といったコスト面など,様々な要素を総合的に考慮して購入機種を選定している。
 版胴は,輪転機の印刷部を構成する多数の部品の一つにすぎず,被控訴人製の輪転機でいえば,全体で約10万点ある部品のうち,版胴に係る部品は約50点にとどまることに加え,輪転機購入時から版ずれ現象が生じることを予期することは困難であるから,本件訂正発明2の実施品である版胴を組み込んだ輪転機か否かは,需要者による輪転機の選定に影響を与えない。
 需要者が被控訴人の輪転機を選定する限り,当然に被控訴人製の版胴がその一部品として販売されるのであり,被控訴人製の輪転機と機械的互換性のない控訴人製品が販売できたと見る余地はない。
 (イ) 版胴単体での取引について
  a 他社製の輪転機向けの版胴単体での取引は想定されない。
 被控訴人においても,版胴単体の取引が過去に存在しないことはもちろん,他の輪転機メーカーにおいても他社製の輪転機向け版胴の単体取引は行っていない。
 これは,そもそも詳細な図面なしには他社製の輪転機向け版胴を事実上製造できないことや実測に基づく類似品の製造にも過分の追加費用を要すること,交換部品として販売しても,当該版胴を組み付けた他社製輪転機が正常に作動することの保証ができないことにある。
  b 控訴人製の版胴と被控訴人製の版胴との間には機械的互換性がなく,印刷機に要求される機械精度との関係で,被控訴人製の版胴の図面なくしてその構成を正確に再現した版胴を製造することは事実上不可能である。
 被告製品2(2)及び(3)は,事後的にヘアライン加工を施したものにすぎないところ,控訴人製の版胴と被控訴人製の版胴との間に機械的互換性がないことからすれば,既納入の輪転機で版ずれの問題が起きるようになったとしても,被控訴人製の輪転機購入者が,控訴人製の版胴を購入した可能性はない。
 この意味においても,控訴人製の版胴が被控訴人製の版胴に代替できた可能性はない。
  c さらに,版胴に追加工する場合の顧客の負担と版胴を控訴人製品に交換する場合の顧客の負担(前者は版胴48個で●●●円,後者は1個当たり●●●●円)に鑑みれば,被控訴人製の輪転機の顧客が,本件訂正発明2を実施した版胴を得たいがためだけに,既存の版胴を廃棄し,控訴人製品をあえて購入した現実的可能性はない。
 (ウ) 競合メーカーの存在について
 被告製品2(1)の購入者である株式会社高速オフセットでも,輪転機購入機種の選定において,控訴人,被控訴人,他2社の輪転機を検討している(甲24)。
 したがって,被告製品2(1)の販売がなくても,控訴人製品が販売できたとはいえない。
 (エ) 本件訂正発明2の版胴需要喚起への寄与率について
 被告製品2(1)は,顧客に被控訴人製の輪転機が採用されたため,その一部品として一緒に販売されたにすぎない。
 顧客が輪転機の選定に当たって考慮した特徴や被控訴人の対応力は,本件訂正発明2とは無関係であり,本件訂正発明2を実施した版胴が顧客の機種選定に与えた影響はなく,版胴需要喚起への寄与はないか,仮に認め得るとしても極めて低いものである。
  (2) 特許法102条2項に基づく損害額について
   ア 被告製品2(1)について
 (ア) 被控訴人の利益額
 被控訴人においては版胴が単体で販売された実績はない。
 したがって,輪転機全体の販売価格に,版胴の製造原価率を乗じて,版胴の限界利益額を算出するのが相当である。
 かかる観点から被控訴人における版胴の限界利益額を算定すると,被告製品2(1)については,●●●●●●●●●円となる。
 (イ) 推定覆滅事由について
 前記(1)イ記載の事情は,特許法102条2項における推定の覆滅事由又は本件訂正発明2の版胴需要喚起への寄与率の低さとして考慮されるべきである。
   イ 被告製品2(2)及び(3)について
 特許法102条2項の損害額は,被告製品2(2)及び(3)については,被控訴人が「加工」によって得た利益額を用いて算定されるべきである。
 被控訴人が,被告製品2(2)及び(3)の加工により得た利益額は,●●●●円(合計●●●●円)にとどまる。
  (3) 特許法102条3項に基づく損害額について
 本件訂正発明2の進歩性の低さ,本件特許権2の残存期間の短さ(平成23年3月26日の経過をもって存続期間満了),平成21年11月から平成22年2月にかけて調査が行われた技術分野別ロイヤルティ料率調査によると,印刷分野の特許実施許諾料の平均値は3.3%となっていることを考慮すれば,「特許発明の実施に対し受けるべき金銭の額」は被控訴人の売上高の2%を超えないというべきである。