(第1審)東京地裁平成 27 年 1 月 28 日判決


(上告審)最高裁第三小法廷 平成29年2月28日判決
【歩合給の計算に当たり売上高等の一定割合に相当する金額から残業手当等に相当する金額を控除する旨の賃金規則上の定めが公序良俗に反し無効であるのか】

(控訴審)東京高裁平成 27 年 7 月 16 日判決


第3 当裁判所の判断

 1 争点(1)(本件規定の有効性)について
  (1) 割増金の控除について
   ア 法37条が,時間外,休日及び深夜(以下「時間外等」という。)の労働に対して割増賃金の支払を義務づけているのは,それによって,時間外等の労働を抑制し,労働時間制の原則の維持を図るとともに,特別の労働というべき時間外等の労働に対する労働者への補償を行おうとするものと解される。
   イ 被告賃金規則は,所定労働日と休日のそれぞれについて,揚高から一定の控除額を差し引いたものに歩合率を乗じ,これらを足しあわせたものを対象額Aとした上で,時間外等の労働に対し,これを基準として計算した額の割増金を支払うものとし(前提事実(3)エないしキ),被告は,原告らを含むそのタクシー乗務員に対し,かかる計算に則って算出された割増金を支給した(前提事実(6)ウ,弁論の全趣旨)。ところが,他方において,本件規定は,歩合給の計算に当たり,対象額Aから「割増金」及び「交通費」(以下,本件規定の定める内容を指すときは「割増金」,「交通費」と記載する。)を差し引くものとし,上記支払うものと定められている割増金及び交通費に見合う額を控除するものとしている(同(3)ク)。これによれば,割増金と交通費の合計額が対象額Aを上回る場合を別にして,揚高が同じである限り,時間外等の労働をしていた場合もしていなかった場合も乗務員に支払われる賃金は全く同じになるのであるから,本件規定は,法37条の規制を潜脱するものといわざるを得ない。そして,法37条は,強行法規であると解され,これに反する合意は当然に無効となる上,同条の規定に違反した者には,6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金という刑事罰が科せられる(同法119条1号)ことからすれば,本件規定のうち,歩合給の計算に当たり対象額Aから割増金に見合う額を控除している部分は,法37条の趣旨に反し,ひいては公序良俗に反するものとして,民法90条により無効であるというべきである。なお,本件規定が対象額Aから控除するものとしている「割増金」の中には,法定外休日労働に係る公出手当が含まれており,また,所定労働時間を超過するものの,法所定の労働時間の制限を超過しない,いわゆる法内残業に係る残業手当が含まれている可能性もあるが,本件規定は,これらを他と区別せず一律に控除の対象としているから,これらを含めた割増金に見合う額の控除を規定する「割増金」の控除部分全体が無効になるものと解するのが相当である。
   ウ(ア) この点,被告は,本件規定は時間外等の労働の抑制を目的としたものであるし,時間外労働をすれば揚高が上がって賃金総額も増加し,労働者への補償もされているといえるから,本件規定が法37条の趣旨に反するとはいえない旨主張する。しかしながら,本件規定が時間外等の労働の抑制を目的としている旨の被告の主張は,要するに,時間外等の労働に対して割増賃金を支払うことが時間外等の労働の助長につながるから,歩合給の計算に当たり割増賃金と同額を控除することによって時間外等の労働を抑制するというものであって,その前提とするところが法37条の趣旨と相容れないものであることは明らかである。仮に,被告の主張するように,使用者である被告が,従業員の時間外等の労働を抑制したいと考えるのであれば,時間外等の労働を原則として一定範囲で禁止するなどの制限を加えることで容易にその目的を達成できるのであって,この点からも,本件規定が時間外等の労働の抑制を目的としたものであると認めることはできない。また,法37条は,特別の労働というべき時間外等の労働に対し,通常よりも割増しされた額の賃金による補償を行わせようとする趣旨に出たものと解されるところ,本件規定のもとでは,時間外等の労働に対して通常より割増しされた賃金が支払われる保証はない(深夜労働については,深夜のほうが通常の時間よりも必ず揚高が上がるという保証はないし,時間外労働についても,労働時間を延長したことによる賃金の増加幅は,時間外労働による揚高の大小に依存し,割増賃金に相当するだけの賃金増が保証されるものではない。)のであって,この点でも,本件規定が法37条の要請を満たすということはできない。
 (イ) また,被告は,被告が乗務員らの職務遂行を逐一監視することは不可能であり,車内で寝ていても賃金が増加することになるような不合理を回避する必要があるとも主張する。しかしながら,使用者が従業員の勤務状況を逐一監視することができないということは,タクシー営業に限ったものではなく,程度の差こそあれ他の業種にも広く当てはまることであるし,被告において,全ての乗務員の勤務状況を同時的にその就業現場において把握することは困難であるとしても,乗務日報等の報告書やタコグラフ等の運行記録用計器によって事後に勤務状況を把握し,問題があれば指導教育することはできるのであるから,この点に関する被告の主張も,本件規定を正当化するものとはいえない。
 (ウ) さらに,被告は,本件規定に類似した賃金制度がタクシー業界で一般的に採用されていることや,多数派組合であるa労組との間で協議を重ね,協定を結んだ上で現行の賃金規則を制定したことを主張するが,法37条が強行法規であり,その違反が刑事罰の対象とされていることに鑑みれば,いずれの事情についても,同条の趣旨に反する取扱いを正当化しうる事情であるということはできない。
   エ 以上によれば,本件規定のうち,歩合給の計算に当たり対象額Aから「割増金」として割増金に見合う額を差し引くとしている部分は無効であるから,歩合給は,対象額Aから割増金に見合う額を差し引くことなく計算すべきことになる。
  (2) 交通費の控除について
   ア 原告らは,被告賃金規則に交通費を実費支給するとの記載があるとの事実を援用し,当該規定を合理的に解釈すれば,通常の賃金に交通費を加算した金額が支払われるべきであり,本件規定のうち,歩合給から交通費に見合う額を差し引くとしている部分は無効であると主張する。
   イ しかしながら,証拠(乙6,証人B)によれば,被告は,賃金規則を定める労使協議において,被告乗務員の過半数で構成されるa労組に対し,当初,通勤手当を支給しない案を提示したが,a労組から,非課税である通勤手当を支給する形にして欲しい旨の要望を受け,現行の仕組みが採用されたことが認められる。そもそも,被告賃金規則には,交通費を実費支給する旨の規定とともに,歩合給の計算に当たり対象額Aから「交通費」として交通費に見合う額を差し引く旨の規定が明記されているのであるから,前者の規定だけを取り上げて,後者の規定は無視すべきであると解するのは根拠に乏しいというべきであるし,上記認定のとおりの経緯からすれば,被告賃金規則に基づき支給された交通費が非課税所得と認められるかどうかはともかく,非課税所得を増やすという当事者の意図それ自体には経済合理性が認められるから,当事者の合理的意思解釈という観点からも,本件規定のうち歩合給から交通費に見合う額を差し引くとしている部分を無視して解釈すべきであるとはいえない。
   ウ したがって,本件規定のうち歩合給の計算に当たり対象額Aから交通費に見合う額を差し引くとしている部分が無効であるとも,本件規定の解釈に当たり当該部分を無視すべきであるとも,認められないというべきである。この点に関する原告らの主張を採用することはできない。
  (3) 未払賃金の金額について
   ア 以上によれば,本件規定のうち,歩合給の計算に当たり対象額Aから「割増金」として割増金に見合う額を差し引くとしている部分は無効であるが,「交通費」として交通費に見合う額を差し引くとしている部分は無効であるとは認められない。そして,被告賃金規則のその余の部分については,残業手当等の割増金の支給及びその金額の計算方法を定める部分(前提事実(3)オ,カ,キ)を含め,これを無効と解すべき理由はない。
   イ そうすると,被告は,原告らに対し,基本給等のほか,①被告賃金規則所定の計算による割増金及び②対象額Aから交通費を差し引いた額の歩合給を支払う義務を負っていたというべきところ,被告は,原告らに対し,上記①の割増金と同一額の金員を支払っていたから(前提事実(6)ウ),未払賃金の額は,上記②の対象額Aから交通費を差し引いた額となる。これを各月ごとに計算すると,その結果は,別紙個人別賃金計算書の「不払額(認定)」欄記載のとおりであり,原告ごとの合計額は,別紙認容額等一覧表の「認容額」欄記載のとおりとなる。
   ウ したがって,被告は,原告らに対し,歩合給として,同表の「認容額」欄記載の金員を支払う義務を負う。
   エ これに対し,被告は,本件規定のうち対象額Aから「割増金」を差し引く部分を無効とするだけでは使用者の経営が成り立たなくなり,余りに使用者に酷であるから,「割増金」に代わる控除項目を設定すべきである旨主張する。しかしながら,本件規定のうち歩合給の計算に当たり「割増金」を差し引くとしている部分が無効となる結果,従業員に対する賃金の額が被告の想定を大幅に上回り,これを放置すると経営に重大な支障が生じることになるというのであれば,被告において,時間外等の労働の抑制や被告賃金規則の改定等の対応策を講じることが検討されてしかるべきであるところ,このような対応策を講じてもなお被告の経営が立ちゆかない事態に陥るとまで認めるに足りる証拠はない。そもそも,被告賃金規則は,使用者である被告が制定したものであり,その一部が無効と判断されることによるリスクは,基本的には,被告自身が負担すべきものというべきところ,このような観点でみたときに,本件において,本件規定のうち対象額Aから「割増金」を差し引くとする部分のみを無効と解して賃金額を計算することが,著しく当事者間の公平を害するとか,余りに被告に酷であるなどと評価するに足りるだけの事情は認められないというべきである。したがって,被告の上記主張は採用することができない。
 2 争点(2)(遅延損害金の利率〔原告X5,同X13及び同X14関係〕)について
  (1) 証拠(乙5,証人B)によれば,被告において,歩合給の計算に当たり割増金に見合う額を差し引くとする仕組みは,平成5年12月の賃金規則の改定前から存在していたこと,被告は,同改定において,被告の過半数の乗務員で構成されるa労組との間で労使協定を結んだ上,現行のものとほぼ同様の実績給を重視した賃金体系を導入したが,その際にも,歩合給の計算に当たり割増金に見合う額を差し引くとする仕組みは維持されたこと,同改定以降,原告らから本件請求を受けるまでの間,a労組や被告の乗務員から本件規定について特段の異議が述べられたことはなく,労働基準監督署等の公的機関から本件規定の問題点を指摘されたこともなかったことが認められる。
  (2) 上記認定事実によれば,本件は,被告において長年にわたり採用され,多数派組合との労使協定においても維持され,その後も長く問題視されることのなかった賃金計算の仕組みについて,その有効性が争点となった事案であるということができる。また,本件規定は公序良俗に反するというべきものではあるが,本件規定が公序良俗に反する無効なものであることが一見して明白であるとまでいうことはできない。そうすると,被告において,本件規定が有効であると主張して原告らの請求を争うことにも相応の合理性があったというべきである。したがって,被告は,賃金の存否に係る事項について,合理的な理由により裁判所において争っているものと認めるのが相当であるから,被告を退職した原告らとの関係においても,賃確法6条1項は適用されず,未払賃金に対する遅延損害金の利率は,商事法定利率である年6分になるというべきである。
 3 争点(3)(付加金の支払を命じることの可否及び相当性)について
  (1)ア 前記1(3)において判示したとおり,本件規定のうち歩合給の計算に当たり対象額Aから割増金に見合う額を差し引くとしている部分は,公序良俗に反し無効であるが,被告賃金規則のその余の部分については,これを無効と解すべき理由はない。また,被告は,原告らに対し,別紙個人別賃金計算書の「残業手当」,「深夜手当」及び「公出手当」の各欄記載の額の金員を支払っていたところ(前提事実(6)ウ),被告は,被告賃金規則が有効であることを前提に,その定めに従って上記金員を支払っていたものと解される。そうすると,被告が原告らに支払っていた上記金員は,それぞれ,割増金である残業手当,深夜手当及び公出手当として支払われたものと認めるのが相当であり,したがって,前記認定に係る未払賃金は,歩合給の一部であったということになる。
   イ 以上によれば,本件請求に係る賃金の未払について,被告が法37条の規定自体に違反したものとは認められないことになるから,被告に対して付加金の支払を命じることはできないというべきである。
  (2) なお,仮に,被告による賃金の未払が法37条に違反するものであると解したとしても,未払の割増金のうち法37条に違反するのは,対象額Aから交通費に見合う額を差し引いたものが歩合給となることを前提に,法所定の時間外等の労働について,法所定の方法により計算した金額の部分に限られるというべきところ,被告賃金規則にいう「割増金」は,対象額Aから交通費に見合う額を差し引くことなく計算されている上,割増金の中には,法定外休日労働に係る公出手当が含まれ,いわゆる法内残業に係る残業手当も含まれる可能性があるから,未払の割増金の全てが法37条に違反するとはいえない。しかるに,本件全証拠によっても,未払金のうち,法37条に違反する部分の金額を確定することはできないから,やはり被告に対して付加金の支払を命じることはできないというべきである。また,仮に,法37条に違反して支払われていない賃金の額を確定することができたとしても,本件に顕れた一切の事情,とりわけ前記2において認定判断したところを考慮すると,本件において,被告に対し付加金の支払を命じるのは相当でないというべきである。