オレンジ10周年実行委員会

4. 激しくオレンジがスタート(第1期)
(2012年)


【目次】
1. 弁護士になる前(2000年)
2. 開業準備(2008年)
3. オレンジの名前の由来(2011年)
4. 激しくオレンジがスタート(第1期)(2012年)
5. 宇田川先生の参画と経営の難しさを知る(第2期)(2013年)
6. 年内追加予定
7. 年内追加予定
8. 年内追加予定
9. 年内追加予定
10. 年内追加予定


さて、オレンジが2012年にいよいよスタートしましたが、私も中野君も、血気盛んで、2人で明け方まで激しく議論したり、裁判書面を起案したりすることも多かったです。
激しい仕事の仕方が村山さんに飛び火することも少なくありませんでした。
オレンジの立上げにあたり総務も経理も労務もすべて村山さんにお願いしていたので、2人が弁護士業に専念できたのは、村山さんのおかげだと本当に感謝しています。

特に最初の3年間くらいは、税理士に依頼せず、自分たちで確定申告を行っていました。
しかも、市販のソフトなどを使わず、一からExcelで経理作業をしていました。
年間に何千もの仕訳を入力し、申告の時期になると関数を使って総勘定元帳、貸借対照表、損益計算書などを作成するという原始的な方法をしていたのは、事業の流れを自分で理解しておきたかったというのが一番の理由ですが、これに付き合わされていた村山さんは、確定申告の時期になると悩ましくて眠れない日が続いたかと思います。

ちなみに、ホームページも私が作成していました。
もともとは、C言語、C++などをよく書いていたのですが、HTML、CSS、JavaScriptなど、普段あまりやらないものをするのも新鮮でした。


2人とも金銭に無頓着で利益は二の次で、自分たちが納得できるまで、とにかくクオリティーを追求していました。
ひたすら、必要な基本書を買い漁り、読み漁っていました。

すべての案件を2人で担当していましたが、書いた書面、立てた戦略を互いに何度もチェックし合いますので、裁判の書面や交渉の通知書なども、何度も修正、加筆が入り、多いときはバージョン20、バージョン30など、微修正などが繰り返されました。
誰が書面を起案するのか、誰が裁判に出頭するのか、こだわりがなく、気が付けば交互に書面を書いている案件などもありました。
すべての仕事を共有することで、互いから多くを学ぶことができると考えていました。
私も中野君も、案件を進めるときに不安を感じる方なので、事実関係の確認も法的なリサーチや戦略を立てるのも、納得できるまで時間を割きました。
国会図書館でリサーチをしたり、私の勤務弁護士のボス弁である飯田先生に連絡をして意見を聞いたり、栗宇先生に、その道の専門家の先生を紹介してもらったりしました。

私にとっては、大宮は、はじめて仕事をする土地。
私が勤務弁護士をしていた法律事務所も、中野君が勤務弁護士をしていた法律事務所も、一見さんの事件を受けない事務所でしたので、弁護士にどのように仕事がくるのか分からず、手探り状態のめまぐるしい毎日でした。
要領良くできるようになっても、決して手を抜かないことを肝に銘じるようにしていました。
まさに、オレンジの哲学そのものだったと思います。





お客や仕事仲間には本当に恵まれて、色々な方から案件を紹介してもらったりして、おかげさまで、オレンジがスタートした月から仕事はとぎれることはありませんでした。
初年度の2012年から知財訴訟を担当したり、ときには大きな訴訟で敗訴したにもかかわらず、裁判や交渉の進め方が評価されて、顧問弁護士になった企業もあります。
オレンジは、本当に恵まれたスタートを切ったと思います。

2012年のうちに、新たに、村山さんに続く事務スタッフを同時に3人雇いましたが、今でもオレンジに知人の案件などを紹介してくれたり、 毎年、埼玉の近くに来るときに会いに来てくれたり、私がいるバンドのライブに観に来てくれたりして、3人とも付き合いが続いていることはありがたいことです。
このぐつぐつとした黎明期が、オレンジのいわば、第1期というべき時期かもしれません。