東京高等裁判所 平成27年11月9日判決
【相続人中のある者が法定相続分を超える遺産を取得する内容の遺産分割協議が破産法160条3項の無償行為否認の対象となるか(消極)】

(原審)東京地裁平成27年3月17日判決
【相続人中のある者が法定相続分を超える遺産を取得する内容の遺産分割協議が破産法160条3項の無償行為否認の対象となるか(消極)】


第2 事案の概要等

 1 事案の要旨
 本件は,破産者甲山A(以下「本件破産者」という。)の破産管財人である控訴人が,本件破産者の兄である被控訴人に対し,本件破産者が被控訴人との間で平成22年1月9日に行った亡父甲山B(平成21年7月8日死亡)の遺産分割協議(以下「本件遺産分割協議」という。)のうち,被控訴人がその法定相続分を超えて遺産を取得するものと合意した部分(以下,被控訴人が法定相続分を超えて取得する部分を「本件超過取得部分」,これに係る合意を「本件超過取得部分に係る合意」という。)が破産者の支払停止(平成22年5月6日ころ)の6月以内にした無償行為に当たると主張して,破産法160条3項に基づいて否認権を行使するとともに,同法168条4項に基づき,本件超過取得部分相当額であるとする9256万6440円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成24年10月26日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
 原審は,法定相続分又は具体的相続分を超えた遺産の取得を合意した遺産分割について無償性を認めるには,当該遺産分割において考慮された個別具体的な事情を検討し,これらを総合的に考慮しても当該遺産分割が共同相続人間の実質的公平を実現するものとはいえないと認められる場合であることが必要であるとした上,本件破産者においては,従前の亡母甲山Cの遺産相続を含めて,本件遺産分割協議によって,実質的には,法定相続分相当額に匹敵する程度の財産を取得したとみる余地が十分あり得ることを理由に,本件超過取得部分に係る合意が共同相続人間の実質的公平を実現するものとはいえない場合に当たると認めることは困難であるので,無償行為として否認の対象となるとはいえないと判断して,控訴人の請求を棄却した。
 控訴人は,これを不服として,破産裁判所の許可を得て,原判決の事実認定及び法令の解釈の誤りを主張し,本件控訴を提起した。
 2 前提事実(掲記の証拠及び弁論の全趣旨等によって認められる事実。なお,証拠等の記載のないものは,当事者間に争いがない。)
  (1) 本件遺産分割協議の成立
   ア(ア) 本件破産者(昭和44年○月○日生)は,亡父甲山B(平成21年7月8日死亡。以下「亡父」という。)及び亡母甲山C(昭和62年6月9日死亡。以下「亡母」という。)の二男であり,他方,被控訴人(昭和43年○月○日生)は,亡父及び亡母の長男である(甲2,乙4,33)。
 (イ) 本件破産者と被控訴人は,亡父を被相続人とする相続人の全部である(弁論の全趣旨)。
 (ウ) 本件破産者と被控訴人は,平成22年1月9日,両名の亡父を被相続人とする本件遺産分割協議をし,同日付け遺産分割協議書(甲1。以下「本件遺産分割協議書」といい,その対象となった遺産を一括して「本件遺産」という。)を作成した。
   イ 本件遺産分割協議書に基づく本件遺産分割協議の内容は,次のとおりである(甲1,乙33,36。ただし,遺産の細目及び価額は,平塚税務署平成22年5月6日受付けに係る相続税の申告書(甲2)及び平塚税務署平成23年5月31日付け作成に係る相続税の更正通知書(甲3)に各記載された申告内容による。)。
 (ア) 本件遺産の内容は,①b市○○(なお,「字名」以下は省略する。以下,同所を「本件地区」という。)に所在する土地63筆(うち宅地4筆,雑種地9筆,田又は畑合計31筆,山林又は保安林合計17筆,原野1筆,公衆用道路1筆。以下「本件土地63筆」という。),②本件土地63筆のうちの宅地1筆上の建物4棟(居宅建物1棟,土蔵1棟,物置1棟,車庫1棟),③有限会社a(以下「a社」という。)の株式2500株,④b市農業協同組合及びc信用金庫への出資金合計30万1000円,⑤現金30万円,⑥預貯金合計1511万1013円,⑦家庭用財産一式20万円,⑧a社に対する未収入金471万6667円,⑨a社に対する貸付金83万4869円,⑩未収所得税還付金23万3500円,⑪庭園30万円である。
 (イ) 本件遺産全部の価額(財産価額から債務及び葬儀費用の合計769万0602円を控除した純資産評価額)は,2億3710万2600円である。
 (ウ) 本件遺産中の本件土地63筆のほとんどは,亡父が先代から相続により取得したものであり,そのうち53筆が市街化調整区域にあり,残りの10筆が市街化区域にある。
 なお,相続税申告における本件土地63筆の価額の合計金額は2億2524万3683円で,このうち市街化調整区域にある土地(53筆)の価額の合計金額は3516万3804円,市街化区域にある土地(10筆)の価額の合計金額は1億9007万9879円であり,市街化区域にある上記10筆の土地の価額は,本件土地63筆の合計価額の8割を超えている。
 (エ) 本件遺産分割協議では,本件破産者が,宅地1筆(b市○○字〈以下省略〉所在の宅地(地積393.71m2)。以下「本件○○土地」という。)及びa社の株式2500株を取得し,被控訴人が残りの遺産すべてを取得するものと合意された。
 なお,本件破産者が相続した本件○○土地は,本件破産者が亡父の生前から自宅敷地として使用している土地である。また,本件○○土地は,市街化区域にあり,相続税申告における価額は2598万4860円である。
 (甲2,8,乙33,36)
 (オ) 本件破産者と被控訴人の取得額(被控訴人については,取得財産の価額から債務(葬儀費用及び相続債務)769万0602円を控除した純資産額)は,本件破産者が2598万4860円,被控訴人が2億1111万7740円である。
  (2) 本件破産者の支払停止
 本件破産者は,平成22年5月ころ,債務整理を弁護士に委任したところ,同弁護士は,依頼人である本件破産者のために,同月6日過ぎころ到達の同日付け書面をもって「依頼人から依頼を受け,同人の債務整理の任に当たることになりましたのでお知らせいたします」「今後,依頼人,保証人,家族への連絡,取り立て行為は中止願います」等を記載した「受任通知」と題する書面(甲5の1ないし3)を債権者らに送付した。
 よって,これにより,本件破産者は支払を停止した(以下,この支払停止を「本件支払停止」という。)。
 (甲4,5の1ないし3,弁論の全趣旨)
  (3) 本件破産者の破産手続開始
 東京地方裁判所(破産裁判所)は,平成23年6月15日午後5時,本件破産者につき破産手続開始決定(同裁判所同年(フ)第7892号)をし,破産管財人として控訴人を選任した。
  (4) 本件訴訟の提起
 控訴人は,破産裁判所の平成24年10月12日付け許可を得た上,原審裁判所に対し,本件遺産分割協議のうち本件超過取得部分に係る合意が本件破産者の支払停止(平成22年5月6日ころ)の6月以内にした無償行為に当たると主張して,破産法160条3項及び168条4項に基づき,本件訴訟を提起(以下「本件否認権行使」という。)した(裁判所に顕著な事実)。
 3 争点
  (1) 遺産分割協議は,破産法160条3項所定の「無償行為及びこれと同視すべき有償行為」(以下,これらを「無償行為」といい,これを対象とする否認を「無償行為否認」という。)に当たるか(争点1)。
  (2) 本件遺産分割協議のうちの本件超過取得部分に係る合意が無償行為に当たる特段の事情の有無(争点2)。
  (3) 本件遺産分割協議には不当性ないし有害性がなく,又は,本件否認権行使が権利の濫用に当たり,控訴人による本件否認権行使は許されないか否か(争点3)。
 4 争点に関する当事者の主張
  (1) 争点1(遺産分割協議は無償行為に当たるか。)について
 (控訴人の主張)
   ア 遺産分割協議は,その効果が遡及するとしても(民法909条),相続の開始によって共同相続人の共有となった相続財産について,その全部又は一部を各相続人の単独所有とし,又は新たな共有関係に移行させることによって,相続財産の帰属を確定させるものであり,その実質は財産の分配であるから,財産権を目的とする法律行為である。
 そして,遺産分割協議は,熟慮期間中に相続放棄をするのとは異なり,いわゆる遺産共有となっている相続財産について,いったん相続を承認して,もはや放棄することができない状態になった後に,これを相続人間で分割協議することにより他の相続人が相続によって取得したことにするものであるから,実質的には相続人間で贈与するのと同視できる。
 また,民法906条が遺産分割に際して相続人の事情を考慮することを求めているが,これをもって,法定相続分を超えた遺産分割について債権者等の第三者からも尊重されなければならないことまでも意味するものではない。
 したがって,遺産分割協議において法定相続分を超える財産の取得があった場合,これについて相応の代償が支払われず,対価性を伴わない場合には,その分割による移転行為は贈与と同様に無償行為と評価すべきである。
   イ また,遺産分割における相続人間の公平を図るため,民法は,生前の被相続人と相続人との関係等を考慮し,特別受益(903条),寄与分(904条の2)の制度を設けており,相続人間で遺産分割協議がまとまらない場合の審判は具体的相続分に従ってなされる。
 したがって,遺産分割においては,具体的相続分までは各相続人に法的な潜在的持分の配分があるが,それを超える部分は,相続人間の自由意思で配分・移転がなされる一種の贈与と考えられる。
   ウ 相続人の債権者は,相続財産について,相続前にはこれを相続人の責任財産として期待できないものであったとしても,相続人が相続を承認した時点において,相続財産のうちの法定相続分に応じた持分が相続人の責任財産となったものであり,それが相続という偶然の事情であるからといって責任財産から除外すべき理由はない。このことは,思わぬ贈与を受けた場合や宝くじに当選した場合と同じである。
 しかも,破産法160条3項にいう破産者の支払停止前6か月の時点というのは,多くの場合,破産者は経済的に危機的な状況にあるものであるから,同法がその時期に限定して無償行為否認を認めているのは,その時期に至れば,破産者等の自由な財産処分よりも破産債権者の保護を優先すべきであると判断しているからである。
   エ 多額の負債を有する相続人が,相続財産を債権者ではなく,他の相続人に与えたい場合には,身分法上の行為である相続放棄をすれば足りる。相続放棄をせず,遺産分割によって遺産を分配する場合は,相続人に法律上認められる具体的相続分については,当該相続人の責任財産となった以上,負債の存在を考慮して簡単にこれを放棄すべきではなく,破産手続において,不合理な分割内容であれば事後的にこれを否認されてもやむを得ない。
 したがって,多額の資産を,破産者以外の相続人がほぼすべて相続するという内容の遺産分割協議は,破産手続においては無償行為否認の対象とされていると考えるべきである。ただし,遺産分割協議前に生前贈与等があり,これが一種の特別受益と評価できるために実質的には均衡のとれた分割である場合には無償行為否認の対象とはならないものと解するのが相当である。
   オ よって,遺産分割協議は,原則として無償行為に当たるというべきである。
 (被控訴人の主張)
   ア 無償行為否認について規定する破産法160条3項が受益者の主観を問題としていないのは,無償の財産移転行為は有償行為に比べて破産債権者を害する程度が大きく,また,受益者は無償で利益を取得しているため,取引の安全を害する程度が小さく,受益者の保護の必要性が大きくないからである。
 したがって,このような性質を類型的に有しない行為については,破産法160条3項は適用されないと解するのが相当である。
   イ 遺産分割には,原則として有害性がなく,類型的に破産債権者を害するものではない。
 遺産は,それまで被相続人の財産であったものが,被相続人の死亡という偶然の事情により,被相続人の死亡の時点から破産者の財産となるものである。そして,遺産分割は,共同相続人間の過去から将来にわたる一切の事情を加味して行われている財産法的・家族法的な意味での総合的な行為であって,単純な財産処分行為ではない。
 すなわち,遺産分割協議においては,共同相続人の自由な意思に基づく限り,法定相続分に従わなくとも有効である。また,遺産分割協議は,単発の取引行為ではなく,民法906条所定の「一切の事情」を考慮してなされるべきものであって,有形無形の負担の分配が考慮されており,家族財産としての遺産について,その前後の相続関係や家族関係をも踏まえた家族としての分配という側面も否定することができない。
 したがって,破産者の財産を形成していたものが無償で贈与等された場合と異なり,元々破産者の財産でなかったものが遺産分割の結果としても破産者の財産とならなかったにすぎない。債権者は,破産者の財産を引き当てにしていたのであり,破産者の被相続人の財産に対する債権者の期待まで保護すべきものとはいえないから,遺産分割協議は類型的に破産債権者を害するものではない。
   ウ 本来の無償行為否認とは,債務者が破産申立てに先立ってしばしば行う贈与や無償の債務負担行為などであって,これらは債務者が自発的に行い得るものである。これに対し,遺産分割は,被相続人の死亡という事実が発生したことによるリアクションとして必要に迫られて行うものであり,債務者である破産者の意図が介在する危険性は極めて低い。
 確かに,遺産分割協議に財産権を目的とした法律行為の側面があることは否定できない。
 しかし,民法は,被相続人の責任財産と相続人の責任財産とを区別し,そのために財産分離(民法941条以下)などの制度を整備しているので,相続人の一般債権者においては,相続開始後遺産分割までの期間は「相続財産」と「相続人の財産」を明確に区別し,財産分離を求めるべきかを考量することができる。このため,破産という局面において,相続の開始によって共同相続人の共有となった,というような擬制的な一瞬の帰属を捉え,相続財産を一般債権者の引当財産とし,そこから新たな共有関係への移行を「無償行為」と評価することは,不当に破産債権者を優遇しすぎる解釈であって不合理である。無償行為とは,そもそも「危機時期において無償で財産を減少させる破産者の行為」であるから,遺産分割協議において特定の相続人が法定相続分を下回って取得したとしても,これをもって「財産を減少させた」という定義には該当しない。
   エ 破産法160条3項が「破産者が支払の停止等があった後又はその前6月以内にした無償行為」を規定したのは,破産者の害意を証明することが困難であることから,破産債権者保護のために,破産者の財産状態が悪化している一定の期間においては,破産者の害意の有無を問題にすることなく否認権を認めたものである。遺産分割協議は,破産者や他の共同相続人がコントロールできない,様々な条件の偶然の重なり合いが引き起こした事象であって,そもそも類型的に「破産者の害意」を認めることはできないから,無償行為否認の対象とはならないというべきである。
 そして,遺産分割協議については,それが一般債権者若しくは破産債権者を害する意図でなされた場合に,民法424条1項所定の詐害行為取消若しくは破産法160条1項所定の詐害行為否認の対象とすれば,破産債権者の保護として十分である。
   オ よって,遺産というものは,本来,債権者がそこから弁済を受けることを期待できる財産ではないから,遺産分割協議は,原則として破産債権者を害するものではなく,「破産財団のために」否認すべき「無償行為」には当たらないというべきである。
  (2) 争点2(本件遺産分割協議のうちの本件超過取得部分に係る合意が無償行為に当たる特段の事情の有無)について
 (控訴人の主張)
 次の事情があるので,本件遺産分割協議のうちの本件超過取得部分に係る合意は,無償行為に当たる特段の事情が存するというべきである。
 なお,遺産分割が無償行為否認の対象となり得るかどうかの判断については,判断の客観性を担保するため,法定相続分並びにこれに特別受益及び寄与分を考慮して定まる具体的相続分を超えて分割したか否かによって判定すべきであり,特別受益及び寄与分以外の,実質的公平性などの個別の事情までも判断要素とすべきではない。
   ア 無償性について
 (ア) 無償行為否認に係る無償性は,第一次的に法定相続分を基準とし,第二次的に破産者及び受益者において特別受益及び寄与分を主張立証したときは,これに基づく具体的相続分を基準として判断すべきである。
 そして,特別受益及び寄与分の存在は,被控訴人に立証責任がある。
 また,法定相続分を超えた分割部分については,贈与の一種と考えられるので,これについて対価性があるのであれば,対価性の存在(無償性の不存在)についての主張立証責任は被控訴人にあるというべきである。
 (イ) 被控訴人が本件遺産分割協議により取得した純資産総額2億1111万7740円のうち,被控訴人の法定相続分(2分の1)相当額1億1855万1300円を超える部分については,本件破産者から被控訴人に対する資産の移転行為であり,これについて,被控訴人による特別受益及び寄与分の立証はなく,被控訴人から本件破産者に対する相応の代償金も支払われていないから,本件超過取得部分に係る合意は,無償行為に該当する。
 したがって,本件遺産の純資産総額2億3710万2600円に対する被控訴人の法定相続分(2分の1)が1億1855万1300円であるのに対し,被控訴人の実際の取得額は上記2億1111万7740円であるから,本件超過取得部分の価額は,その差額の9256万6440円である。
 なお,本件遺産分割協議は平成22年1月9日であるので,本件支払停止となる同年5月6日の前6か月以内になされている。
   イ 否認の範囲と差額償還請求権について
 被控訴人においては,本件否認権行使によって,法定相続分を超えて相続をした本件遺産部分を破産財団に復帰させるべきである。
 よって,控訴人は,被控訴人に対し,破産法160条3項及び168条4項に基づき,本件超過取得部分相当額である9256万6440円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成24年10月26日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の償還を請求する。
   ウ 後記「被控訴人の主張」イ(無償性について)に対する控訴人の反論
 (ア) 特別受益及び対価性等について
  ① 亡母の遺産の相続
 本件遺産分割協議で定めるべき亡母の遺産分割に関する事項は,亡父が亡母の相続に際して,亡母の遺産であるb市△△〈以下省略〉所在の土地(地積246.16m2,以下「本件△△土地」という。)についての亡父の相続分を本件破産者に与えたかどうかであり,亡母の相続における本件破産者と被控訴人間の受益関係まで対象とすべきではない。
 亡母の遺産である本件△△土地についての亡父の相続分を本件破産者が取得したという点については,特別受益として評価する余地はあるとしても,亡母の遺産の全体像は不明であり,これを直ちに特別受益と評価することは困難である。
 仮に,亡父の相続における本件破産者の受益分を金額に評価するのであれば,その評価額は,特別受益の際の考え方と同様に,亡父の相続時である平成21年7月8日時点での本件△△土地の評価額である2461万円とすべきであり,亡母の相続時の評価額とすべきものではない。
 なお,原判決は,亡母の死亡時である昭和62年時点の評価額について,被控訴人から提出された評価意見書(乙32)に基づいて最大で6680万円の価値があった可能性を認定しているが,上記意見書の評価額は,被控訴人が提出した昭和62年度の路線価図(乙12)に基づき,その証拠説明書において被控訴人が金額を説明した1821万5840円に比べ3.5倍以上も乖離している上,意見書中ではこの昭和62年の路線価が何ら考慮されていないなど合理性を疑わせるものである。
  ② 亡父によるa社に対する債務免除
 亡父は,自身の経営するa社の決算内容が悪く,銀行からの借入れが困難であったため,決算の数字を良くするために,a社に対する債権を放棄したものであり,これによって本件破産者に利得が生じたものではない。
 また,亡父死亡時のa社の純資産は300万円以上の債務超過であり,株式の相続税評価額はゼロであって,相続開始前に債権放棄がされていたとしても,本件破産者の相続分が実質的に増加したといえるものではない。
 したがって,a社に対する債務免除の事情は,無償性に影響するものではない。
  ③ 被控訴人による本件住宅ローン債務の負担
 d銀行が行った相殺の自働債権は,被控訴人が亡父の連帯保証債務を2分の1の割合で相続したことによる被控訴人に対する連帯保証債務履行請求権であり,受働債権は被控訴人が亡父から相続した預金債権である。
 したがって,この相殺によって,被控訴人が亡父から相続した預金債権は消滅する。
 しかし,一方において,被控訴人が実質的に連帯保証債務を履行したことになるから,被控訴人は,本件破産者に対する同額の求償債権を取得するのであって,相殺された預金相当額が被控訴人に相続されなかったとか,相続における被控訴人の損失のように評価することは相当ではない。
 なお,原判決は,本件破産者が,亡父の保証契約自体により800万円相当の利益を受けていたとするが,住宅ローンを組む際に親が保証人になることは珍しくなく,亡父が住宅ローンの保証人となったことをもって遺産分割の実質的公平性の判断要素とすべきではない。亡父の保証債務を相続した相続人によって遺産分割後に保証債務の履行等がされた場合は,主債務者と保証人との求償関係の問題として処理すべきである。
  ④ 相続登記等の費用
 相続登記等の費用については,その多くは被控訴人自らが相続した相続財産に関する登記費用として被控訴人がもともと負担すべきものである。
  ⑤ 葬儀関係費用
 葬儀費用については,相続税の申告書において486万7312円が計上されており,本件否認請求もこれを前提として相続財産の金額を算定している。
 被控訴人が,上記額を超えて,寺院に相当額のお布施や墓地修復費用を支払ったとしても,これは相続に伴う義務の履行ではなく,被控訴人が甲山家の祭祀承継者として自主的な判断で行ったものであり,対価性があることの根拠とはならない。
  ⑥ 寄付等の負担
 被控訴人が,祭祀承継者となった後に寺社とどのような付き合いをするかは,被控訴人の判断によるものであり,対価性の問題とはならない。
 被控訴人の経済状態にかかわらず,特定の寺社について毎年70万円の寄付を余儀なくされるということは通常ではなく,経験則に照らし,合理性を認められず,その証拠もない。被控訴人の寺社への寄付を毎年70万円と認定する十分な根拠はない。
 また,被控訴人が取得した土地については賃貸により年額700万円を超える賃料収入を生み出していたのであり,寺社に対する寄付等の負担額が一定程度発生するとしても,上記賃料収入に比較すれば少額である。
 (イ) 実質的公平性について
  ① 遺産分割における実質的公平性は,特別受益や寄与分の判断を通じて統一的に評価することが可能であるから,その評価を前提とした具体的相続分に即しているか否かを判断基準とするべきである。
 相続人間で合意された遺産分割について,改めて相続人間で実質的公平性が法的な問題となることは少なく,むしろ,第三者である債権者等との間で,相続分を超えた遺産分割の詐害性が問題となることに鑑みれば,遺産分割が否認の対象となるかについて,その実質的公平性の欠如が要件となるにしても,それは特別受益や寄与度を介して統一的・定型的に判断されるべきものである。
  ② 仮に,実質的公平性について個別の事情を考慮したとしても,本件においては,本件遺産分割協議が実質的公平性を有しているということはできない。
 (被控訴人の主張)
   ア 控訴人の主張ア(無償性について)及びイ(否認の範囲と差額償還請求権について)はすべて争う。
 なお,共同相続人間の遺産分割協議は,法定相続分に従わなくとも有効であり,しかも,相続時にさかのぼってその効力を生ずるから(民法909条),法定相続分や具体的相続分を超えた遺産分割協議がなされたとしても,直ちに対価性を欠くものと解することは相当ではない。そして,本件遺産分割協議は,後記イ(無償性について)のとおり,民法906条所定の「一切の事情」を総合考慮して成立しているから,控訴人主張の本件超過取得部分に係る合意につき,無償行為に当たる特段の事情があるものと認めることは許されない。
   イ 無償性について
 (ア) 特別受益及び対価性等について
 本件遺産分割協議は,以下のとおり,相応の対価を踏まえて家族内で適正に遺産を分割したものであり,無償行為には当たらない。
  ① 亡母の遺産の相続
 本件破産者及び被控訴人の亡母は,昭和62年6月9日に死亡したが,本件破産者は,平成12年,亡父と被控訴人の同意を得て,亡母の遺産である本件△△土地を単独で相続した。
 甲山家においては,甲山家の跡取りは長男である被控訴人とし,本件破産者は甲山家を離れて独立するという合意があり,そのため,父の資産のうち甲山家が代々承継してきたものは長男(被控訴人),母の資産は二男(本件破産者)と合意されていたから,いずれ父の遺産を被控訴人が一括相続することを見越した上で,それに対する調整として,本件破産者が利便性の高い亡母の遺産である本件△△土地を相続したものである。
 そして,本件△△土地の相続当時の評価額は6680万円である。
 本件破産者及び被控訴人の法定相続分は,各4分の1の1670万円であるから,本件破産者は,5010万円(被控訴人の法定相続分1670万円及び亡父からの実質的生前贈与分3340万円)につき,被控訴人との関係で過大な遺産を取得したことになる。
  ② 亡父によるa社に対する債権放棄
 本件破産者は,平成12年ころ,a社に移り,それ以降は,形式上は亡父がなおa社の代表取締役であったものの,本件破産者がa社の実質的な経営者となった。本件破産者は,a社の運営上の資金が必要となったときに,その度に亡父から金銭的な支援を受けたが,これは亡父からa社に対する貸付という形で行われた。そして,亡父は,その後,平成13年から平成21年にかけて,a社に対する合計4542万円の債権放棄を行った。亡父が行った上記債権放棄は,事実上a社を経営する本件破産者に対する経済的援助といえる。
  ③ 被控訴人による本件住宅ローン債務の負担
 本件破産者は,平成15年に自宅を建築した際,d銀行から4000万円を借り入れ,亡父がその保証人となった。本件破産者が破産した後,d銀行は,上記貸金債権と亡父名義の預金債権800万円とを相殺した。被控訴人は,亡父の上記預金を相続していたから,相続財産から本件破産者の住宅ローン債務のうち800万円を肩代わりしたことになる。
  ④ 相続登記等の費用
 被控訴人は,亡父の相続を原因とする本件破産者への所有権移転登記等の費用として111万7605円を負担した。
  ⑤ 葬儀関係費用
 被控訴人は,亡父の葬儀関係費用として700万円(葬儀費用約520万円,寺院へのお布施等約420万円,墓地修繕費用約60万円,香典収入約300万円)を負担した。
  ⑥ 寄付等の負担
 被控訴人は,亡父の菩提寺の檀家総代として,また,甲山家と親交のある神社への納付金として,毎年70万円の寄付をする必要があり,今後の負担額は,仮に20年間として計算すると,1400万円にも上る。
  ⑦ まとめ
 以上のとおり,本件遺産の相続に絡み,被控訴人は1611万円余り(③ないし⑤)を負担しており,今後20年間に限定しても約1400万円(⑥)を負担していくことになる。そして,本件遺産分割協議においては,本件破産者の亡母を被相続人とする相続による過大な財産取得分(5010万円)に加えて,亡父からの実質的な経済的援助による特別受益(4542万円)を考慮し,これに被控訴人による住宅ローン債務のうち800万円の肩代わりを合わせると,本件破産者の経済的利益は1億円を超えるので,当該相応の対価を踏まえて家族内で適正に本件遺産を分割したものである。
 (イ) 実質的公平性について
  ① 上記(ア)①ないし⑦を総合考慮すれば,本件破産者が取得した財産は,本件遺産分割協議によっても,控訴人が主張する本件遺産の総額の2分の1相当額と比較して,共同相続人間の実質的公平性が保たれているので,無償行為否認の対象とはならない。
  ② 遺産分割における実質的公平性は,控訴人が主張するように特別受益や寄与分の検討のみで判断すべきではなく,民法906条に従って,本件遺産分割協議において考慮された個別具体的な事情を検討し,かつ,これらを総合的に考慮すべきである。
  (3) 争点3(本件遺産分割協議には不当性ないし有害性がなく,又は,本件否認権行使が権利の濫用に当たり,本件否認権行使は許されないか否か。)について
 (被控訴人の主張)
 次の事情があるので,本件遺産分割協議には不当性ないし有害性がなく,又は,本件否認権行使が権利の濫用に当たり,控訴人による本件否認権行使は許されないというべきである。
   ア 破産債権者側の事情について
 本件破産者の債務は,専ら知人の経営する会社のために連帯保証をしたことによるものであるところ,その時期は,主に平成13年から平成18年までである。これに対し,亡父が死亡したのは平成21年7月8日である。そうすると,本件破産者の破産手続における債権者が,将来のいつか,連帯保証人である本件破産者の父が死亡して相続が開始するなどといったことを期待していたとは考え難い。
 保証契約締結後,偶々保証人の親が死亡し,その遺産分割がされた後6か月以内に保証人に支払停止事由が発生したというだけの理由で,保証人の法定相続分が当然に従前の債権者のための引当てになるなどと解釈すべきではない。
   イ 本件破産者の事情について
 本件破産者は,平成22年1月9日に本件遺産分割協議をした当時,主債務者の経営状態が悪化していた事情を知らず,同年5月に支払停止事由が生じたことは偶然にすぎない。
 本件遺産分割協議は,いわゆる差押え逃れのために行ったものではない。被相続人の死亡後10か月以内に相続税の申告をしないと延滞税が課されることになるから,相続人は一定の時期に遺産分割を行わなければならないのであり,本件遺産分割協議は,亡父が平成21年7月8日に死亡したことにより,この時期にやむなく行う必要があった行為であって,通常の遺産分割協議にすぎない。
   ウ 甲山家の事情について
 甲山家は,かつて北条氏の家臣であったという家柄であり,地元でも有数の名家である。甲山家の資産には鎌倉時代から継続して保有する山林等の不動産が多く,そのほとんどは商品取引市場とは無関係の存在として,代々跡取りが承継してきたのであり,長男である被控訴人が跡取りとして甲山家を承継することに十分な合理性があった。そして,甲山家においては,甲山家の跡取りは長男である被控訴人とし,本件破産者は甲山家を離れて独立するという合意がされていた。
 (控訴人の主張)
   ア 被控訴人の主張はすべて争う。
   イ 破産債権者側の事情について
 破産法160条3項が「破産者の支払停止後又はその前6月以内」にされた無償行為否認を認めているのは,その時期に至れば,破産者等の自由な財産処分よりも,破産債権者の保護を優先すべきと判断しているからである。その観点からは,自らの相続分を削って他の相続人の相続分を増加させる行為は,否認の対象とされることはやむを得ないものであり,受益者である被控訴人としても,無償で取得したものであるから,これを否認されたとしてもその影響は少ない。
   ウ 本件破産者の事情について
 本件破産者は,遺産分割を行った平成22年1月9日の時点で,自らが経営に関与していた株式会社e,有限会社fの総額2億円以上の債務について連帯保証しており,両社に経営の改善を求めたが,結局,両社は,3か月後の同年4月に不渡りを出し,同月中に破産手続開始の申立てを行ったという経緯からすれば,本件破産者は,本件遺産分割協議の時点において,客観的には危機的な状況にあったものである。
   エ 甲山家の事情について
 被控訴人が主張する甲山家の事情は,不当性を理由として無償行為否認の行使を制限しなければならないほどのものではない。とりわけ,甲山家が名家であり,名家として継続し続けるために長子相続を行う必要性については,家督相続制度が廃止されて久しい現在において,本件否認権行使を制限してまで保護すべきものではない。