(参考判例)東京高裁平成7年9月26日判決〔野村證券損失補填株主代表訴訟・控訴審〕


■判例

大阪高裁平成26年2月27日判決〔外国語会話教室を経営していた株式会社が破産した場合に,代表取締役の遵法経営義務違反及び取締役の監視義務違反が認められた例〕

■審級関係

最高裁第二小法廷平成12年7月7日判決〔野村證券損失補填株主代表訴訟・上告審〕

東京地裁平成5年9月16日判決〔野村証券損失補填株主代表訴訟〕

主文

 一 控訴人の本件控訴及び参加人らの当審における各参加請求を棄却する。

 二 控訴費用は控訴人の,参加による訴訟費用は各参加人の負担とする。 

 

事実及び理由

第一 申立

 一 控訴人

  1 原判決を取り消す。

  2 被控訴人らは,連帯して,野村證券株式会社に対し,一億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被控訴人田淵節也,同吉田,同橘田,同田窪については平成四年五月六日,被控訴人中野,同水内,同橋本については同月七日,被控訴人土田については同月一五日,その余の被控訴人らについては同月三日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

  3 訴訟費用は第一,二審とも被控訴人らの負担とする。

  4 仮執行の宣言

 二 参加人ら

  1 一の1,2と同旨

  2 参加による訴訟費用は被控訴人らの負担とする。

  3 一の2につき仮執行の宣言

 三 被控訴人ら

 主文同旨

第二 事案の概要

 次のとおり付加・訂正するほかは,原判決事実及び理由の「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから,これを引用する。

 (当事者の主張)

 一 参加人らの参加の理由

  1 控訴人は,被控訴人らを被告として提起した,同当事者間の東京地方裁判所平成四年(ワ)第五七八三号取締役損失補填責任追及請求事件につき,同裁判所が平成五年九月一六日言い渡した判決に対し,東京高等裁判所に控訴を提起し,右控訴事件は現在同裁判所平成五年(ネ)第三七八八号事件として第一六民事部に係属中である。

  2 参加人らは,野村證券株式会社(東京都中央区日本橋一丁目九番一号,以下「野村證券」という。)の株主である。

 よって,参加人らは,商法二六八条二項に基づき,控訴人の共同訴訟人として右訴訟に参加する。

 二 参加人青木電気,同亀田

  1 本件事案の特徴と重要性

   (一) 本件損失補填を含む証券会社の損失補填問題は,平成三年六月から同年七月に明らかとなった。損失補填問題は,日本経済社会の根幹ともいえる証券市場において発生した大規模かつ深刻な腐敗スキャンダルである。証券市場において寡占体制を有する四大証券会社に限っても損失補填は公表された分だけで延べ三〇六法人・三個人に達し,日本の主要経済界全体をも巻き込んだ不正・腐敗であった。

 しかも,このような損失補填は,平成元年一二月に大蔵省証券局長から損失補填の禁止通達が出された後も行われ,平成三年三月期において四大証券会社は七八法人に対して合計四三五億五二〇〇万円の損失補填を実施しており,この間損失補填累計額は総額二一六四億三八〇〇万円に上っている。このことは,損失補填という証券市場のルールを踏みにじった不正が恒常化していたことを示し,わが国の証券市場の構造的腐敗を明らかにするものである。本件損失補填も,右禁止通達後に行われたものであり,その意味で見過ごせないものである。

   (二) 四大証券会社を中心とした損失補填問題は,証券業界全体の構造的腐敗や大口顧客優先の体質の下で個人など一般投資家の正当な利益を無視したものであり,個人投資家の証券市場に対する不公平感,不信感,無力感を増大させ,健全な一般投資家参入の基盤を瓦解させたものであり,その後の証券市場の低迷の最大の原因となっている。

   (三) 日本の証券市場は,今や世界最大の規模となり,国際経済社会においても日本市場の動向が注視されている。このような中で発生した四大証券会社による一連の損失補填は,日本証券市場の不透明性を露呈し,その国際的信用性,信頼性を失墜させた。

 この損失補填問題を国内的にどう処理するかは,国際的にも注視されているものであり,日本の証券市場,資本主義経済構造そのものが問われているといっても過言ではない。証券市場に対する国内的,国際的信用を回復し,公正な取引社会を実現していくためには,この損失補填問題についてあらゆる方面から徹底的に真相を究明し,その責任を明らかにし,再発を防止する必要があり,それなくして,一般投資家や国民の信頼を回復することはできないし,国際社会からの批判を免れることもできない。

 したがって,本件代表訴訟において,被控訴人ら取締役の責任を明らかにすることは,そのためにも重要かつ不可欠なことである。

  2 会社の社会的責任に基づく取締役の責任

   (一) 取締役の責任制度は,損害の経済的填補と会社運営の適正化という二つの目的を有するものであり,取締役の責任を検討するにあたっては,単に会社に経済的利益あるいは損失を与えたかどうかという視点のみから議論するものではなく,当該取締役が当該会社の社会的責任に照らし会社運営の適正化に関し信義誠実に行動したか否かが検討されなければならない。特に野村證券のような,東京証券取引市場の一部上場企業で,我が国の経済活動の根幹を担う証券会社の最大手企業であれば,右の視点でその取締役の責任について検討する必要性は極めて大きい。

   (二) 株式会社は営利活動を目的とする社団であるが,今日,もはや重要な社会的存在であり,その社会的存在にふさわしい責任を負っている。その社会的責任を果たさず,単に自己の利潤のみを追求することにのみ腐心することは許されない。社会において公正さという価値観が一般化している今日では,株式会社は公正適正に行動することが求められ,これに反する行動をした場合は社会に対し責任を負わなければならない。

 このような株式会社の社会的責任は,法的責任と倫理的責任の両面にまたがるものであるが,独占禁止法,証券取引法などの各種の経済法や商法,労働法,環境法などに具体的法規として規定されているものは,会社の社会的責任の最低限度の基準であり,株式会社は最低限これらを遵守することを義務付けられている。しかし,会社の社会的責任は,常に具体的な法規制を超えるものであり,それぞれの会社が活動する経済分野や社会分野における公正さ,適正さを率先して作り上げていく責務を負っている。このような具体的法規制が不十分な部分には民法上の信義則や不法行為などの一般規定が及び法的責任を形成することになる。

   (三) 株式会社の取締役は,このような社会的責任を負った株式会社を強大な権限で経営するものであり,株式会社をしてその社会的存在にふさわしい活動,社会的責任を果たさせる責務を会社と第三者に負っている。たとえ会社に利益がでるとしても,会社に求められている社会的責任に反する活動は許されず,ましてや最低限の基準である法律に違反する活動を会社にさせたり,自ら行うことは許されない。

 取締役は,具体的な法律や会社の定款の規定に違反した場合はもちろん,一般的な善良な管理者の注意義務(商法二五四条三項,民法六四四条)ないし忠実義務(商法二五四条の三)を怠った場合にも会社に対し損害賠償義務を負っている。善管注意義務や忠実義務の解釈においては,株式会社の社会的重要性とこれに伴う社会的責任を十分に考慮すべきである。このように取締役責任制度は,会社の経済的利益の確保のみならず会社運営の公正適正さを担保するものである。

   (四) 株主による代表訴訟は,このような取締役の責任の放置を許さず責任を具体化させるものである。株主代表訴訟は,会社の取締役に対する請求権を個々の株主が行使する形を取っているが,実質的には会社の利益を主眼とした会社のための訴訟ではなく,団体内部において,その構成員が自己の個人的利益に直接かかわらない資格で構成員全体の利益のために団体の機関の違法行為の是正を求めることを目的とする訴訟の一種であり,取締役責任制度とあいまって,会社に対する経済的損失を回復させるのみならず,肥大化した取締役の行動を監督是正し,会社運営の公正適正化を担保する重要な役割を担っている。

   (五) 野村證券は,東京証券取引市場の上場企業であり,四大証券会社の一つとして,日本を代表する株式会社の一つである。株式・社債など証券を利用した企業の資金調達は,日本経済の根幹を支える金融システムとなっており,野村證券をはじめとする証券会社は,証券取引等に関するシステムを適正に保ち,証券取引秩序を維持する責務を負っている。これらの責務を果たすための最低限の基準として証券取引法,独占禁止法などの法規制が存するのである。

 野村證券の取締役である被控訴人らは,同社の経営を適正に行う義務を負い,証券取引等に関するシステムを適正に保ち,証券取引秩序を維持する責任がある。たとえ,会社の利潤のためであっても,会社の適正な運営を害することは許されず,その最低限の基準である法律に違反することは許されない。

  3 証券取引法違反

   (一) 平成三年法第九六号による改正前の証券取引法(以下「改正前の証券取引法」という。)は,事後的な損失補填を禁止する明文の規定を設けていなかったが,そのような形式的な理由に基づいて,同法が損失補填を認めていたものと解することは妥当でない。

 改正前の証券取引法が明文の禁止規定を設けなかったのは,①損失保証のない事後の損失補填自体はそれほど多く行われることがなく,②事前の損失保証を罰則付きで禁止することにより事後の損失補填をほぼ防止することが可能であると考えられていたため,あえて損失補填の禁止規定を設ける必要性が少なかったからである。

   (二) 平成三年の証券取引法改正は,損失補填を明文で禁止した上,損失補填を行った証券会社はもとより積極的に損失補填を求めた顧客に対しても罰則を科すこととした。改正法が損失補填を単に明文で禁止しただけでなく,損失補填を行った証券会社や顧客に対する罰則まで規定したのは,損失補填が事前の損失保証と同質,同程度の証券取引法違反の実質をもった行為であるからである。このような損失補填の実質的違法性は,改正前であろうと改正後であろうと変わりはない。

   (三) 証券取引法の諸規制は,最終的に公正な価格を基準とした資金の配分という市場経済の目標を達成することに向けられており,証券会社は,証券取引に向けられた資金を最終的に市場の決定した価格に従って忠実に配分すべき責任を負っている。ところが,損失補填は,証券取引制度が達成した結果を,証券会社が最終段階で歪曲する行為であり,投資家の資金の適正な配分を直接ねじ曲げてしまう行為である。すなわち,損失補填は,最終的な資金配分の段階で直接公正な資金配分を阻害するものである。これは,価格形成段階での阻害の危険性以上に,証券取引秩序を侵害する程度は重いというべきである。

   (四) 本件損失補填は,損失補填の総額が巨額であり,損失補填後の証券会社に与えた営業上の悪影響が甚大であることからみても,証券会社の経営の健全性に与えた侵害の危険性は大きい。

   (五) 本件損失補填は,改正前の証券取引法五八条一号にも違反する。

  4 独占禁止法違反

 本件損失補填は,不当な利益をもって競争者の顧客を自己と取引するように誘引するものであるから,不公正な取引方法(昭和五七年公正取引委員会告示一五号)の九項(不当な利益による顧客誘引)に該当し,独占禁止法一九条に違反するものである。被控訴人らが野村證券の取締役として,独占禁止法に違反して損失補填を行ったことは,まさに法令違反行為である。

  5 公序良俗違反

   (一) 本件損失補填は,我が国の公正取引委員会が独占禁止法に違反するものとして排除勧告のみならず排除審決まで行ったものであり,取締役の同法遵守義務を否定し,その私法上の効力を認めるのは誤りである。

   (二) 東京地方裁判所民事第六部は,平成六年一二月五日,証券取引法改正前の平成二年九月に成立した証券会社との間のいわゆる飛ばし取引に伴う契約は,買戻条件付売買契約であり,損失保証,利益保証,損失補填を禁止している改正後の証券取引法五〇条の三第一項,第三項に違反し,公序良俗に違反する事項を目的としたものであり無効であると判示した(商事法務一三七五号二六頁以下)。

   (三) 右のとおり事前に損失保証契約をしても,その契約は,公序良俗に違反し無効である。これに対し,事前の損失保証契約がなく,事後的に任意に一方的に行う損失補填は,何の問題もないというのは正しくない。公正取引委員会の「損失補填に関する証券四社への勧告について」によれば,その損失補填の額は,昭和六二年一〇月から平成三年三月三一日までの間に約二七九億円に達している。したがって,事後的な損失補填が証券会社の経営基盤を揺るがしてまで行われることはなく,その健全性を損なう危険も格段に小さいという意見は誤りである。

  6 取締役の善管注意義務

   (一) 取締役の法令違反行為と善管注意義務違反との関係

 取締役の証券取引法違反,独占禁止法違反という法令違反行為は,取締役の善管注意義務に違反するものであるから,取締役の法令違反行為と善管注意義務違反とを分離し別個に評価することは許されず,取締役の法令違反行為がその善管注意義務違反にいかなる影響を与えるかについての判断を回避することはできない。

 我が商法は,取締役の責任原因として善管注意義務(商法二五四条三項,民法六四四条)及び忠実義務(商法二五四条の三)を規定し,更に,商法二六六条一項は,取締役の責任を一般原則以上に明確化かつ厳格化するための詳細な規定を置いている。このうち,同条一項五号は,法令定款違反に基づく責任を定めている。同号にいう「法令」とは,具体的法令のほか,取締役の一般的注意義務や忠実義務を定めた抽象的法令を含む。

 商法がこのように取締役の責任を明確かつ厳格にしようとした趣旨は,取締役の行為によって会社が被った損害の経済的補填のみだけでなく,法令を遵守するなど,取締役による会社運営の適正化を担保させようとするところにある。取締役責任制度は,損害の経済的填補と会社運営の適正化の二面の目的を有しているのである。したがって,取締役の負う善管注意義務の内容についても,単に会社に経済的利益あるいは損失を与えたかという観点のみでなく,会社運営の適正化に向けて信義誠実に行動したかということを重要な判断の基準として考慮しなければならない。

 会社運営の適正化の観点からは,善管注意義務違反の判断にあたっては,取締役が具体的な法律の規定に違反した場合には,当然に会社運営の適正化に反するものとして善管注意義務違反を問題としなければならない。すなわち,取締役が商法上の具体的規定に違反する場合,例えば,自己株式取得の禁止(商法二一〇条),取締役と会社間の競業取引の禁止(同法二六四条)に違反した場合や刑法(贈収賄・談合等),政治資金規制法等の刑罰規定に違反した場合はもちろんのこと,本件のように証券取引法,独占禁止法等の経済法規に違反した場合も取締役の善管注意義務違反に基づく責任が問題となるのである。

   (二) 独占禁止法違反と善管注意義務違反

 商法が取締役責任制度を定めたのは,取締役に責任を負わせることによって会社が活動する経済分野や社会分野における公正さ・誠実さを担保する趣旨であるからにほかならない。したがって,会社及び取締役は,公正・誠実の見地から最低限度法律を遵守することが取締役の善管注意義務の最低ラインをなすのである。

 本件損失補填は,不当な利益をもって競争者の顧客を自己と取引するように誘引するものであるから,不公正な取引方法(昭和五七年公正取引委員会告示一五号)の九項(不当な利益による顧客誘引)に該当し,独占禁止法一九条に違反するものである。被控訴人らが野村證券の取締役として,独占禁止法に違反して損失補填を行ったことは,まさに法令違反行為であり,善管注意義務に違反する行為である。

 そして,取締役の独占禁止法違反行為の結果,会社財産の減少が生じた場合には,それは直ちに損害賠償の対象となる損害であるといわなければならない。

 独占禁止法違反の事実があるのに,善管注意義務違反の判断を回避し,結果的に取締役の義務違反を否定して会社の損失補填行為を追認する結論を導くことは,法の精神に反するものであり,また,会社が被った損害が何らかの経過を経て結果的に填補され,長期的に見て利益が生じるならば違法な行為でもかまわないというのでは,違法な営利活動を奨励することにもなりかねず,経済分野,社会分野に与える悪影響ははかり知れないものがあり,会社の適正化を阻害するものである。

  7 取締役の経営判断の当否

   (一) 商法が取締役責任制度を設けた趣旨は,会社の被った損害を取締役に回復させることで,その損害を填補させるべきであるという点にのみあるのではなく,株主の代表訴訟制度等の監督是正制度とあいまって,会社運営の適正化を担保させようとするところにある。

 したがって,取締役の善管注意義務又は忠実義務や経営判断の法理を検討するにあたっては,単に会社に経済的利益あるいは損失を与えたかという営利の追求の視点のみからその義務を議論すべきでなく,会社運営の適正化に向けて信義誠実かつ公正に行動したかをより重要な要素として考慮しなければならない。

   (二) 会社運営の適正化という要請からして,経営判断の当否を判断するにあたっては,以下の要件を検討すべきである。

 (1) 判断の前提資料が適正な判断を可能にする程度にインフォームドされていること

 (2) 経営者として合理的な判断であること

 (3) その判断が信義誠実かつ公正なものであること

 (4) 判断の対象となる行為が違法でないこと

   (三) 前提事実の認識あるいは判断の前提資料がインフォームドされた状態というのは,単に生の前提事実を認識すれば足りるというものではない。経営者としての適正な判断を可能にする前提事実の認識でなければならない。

 したがって,例えば,行為の違法性を認識することが可能であったり,疑いを持ち得る場合は,積極的に調査したり専門家(法務部・顧問弁護士等)の判断を求めるべきであり,また,担当役員等は行為の評価に関する資料を提供して他の取締役の判断を求めるべきであって,漫然と生の事実を提供あるいは認識するだけでは前提事実の認識があったということはできない。

 本件においては,被控訴人らは,大蔵省証券局長通達(平成元年一二月二六日付)により損失補填は「厳に慎むこと」が求められており,損失補填の違法性については明白に疑いを持ち得る立場にあったから,更に自ら調査したり専門家にアドバイスを求めるべきであったのに,漫然と生の事実を受容したのは,経営の重責を担うものとして著しく不注意であったといわざるをえない。また,担当役員などからは損失補填の法的評価に関する資料が提供されるべきであった。この資料なくして,前提事実の正当な認識があったということはできない。

   (四) 取締役の経営判断の当否は,会社運営の適正化という要請からすると,単に会社に経済的利益あるいは損失を与えたかどうかだけでなく,その判断が信義誠実かつ公正であったかどうか,また,判断の対象となった行為が適法であったかどうかも合わせて考慮しなければならない。

 本件損失補填行為(この行為には顧客誘引性が内在している。)は,独占禁止法に違反する行為である。会社経営の重責を担う取締役は,一般人以上に重く法律を遵守する義務を負うものであって,会社に損害を与えないためには,少々の違法行為をすることはやむを得ないという判断が,通常の企業人として著しく不合理であることは自明の理である。取締役には違法行為を行いうる裁量権はない。会社の利益確保のために違法行為をするか否かの裁量権を取締役が有しているとする考え方は,明らかに会社運営の適正化に反するものである。

 被控訴人らは,営業特金の解消によって被る損失を回避するために,損失補填行為をすることもやむを得ないと考え,あえて違法行為を決定・実施したものであって,会社運営の適正化義務を怠った,不誠実かつ不公正な判断の下に違法行為の執行を是認したものであって,その判断は裁量権を逸脱した極めて不合理なものである。

   (五) したがって,被控訴人らの本件損失補填行為は,その前提事実の認識及び違法行為是認の判断に不注意(注意義務違反)があり,経営判断を誤ったものであり,取締役の善管注意義務又は忠実義務に違反したものである。

  8 損害

   (一) 取締役の責任制度は,不適正行為を行った取締役に対して,当該不適正行為によって生じた損害の賠償を実現させることによって,会社運営の適正化を確保しようとするものである。

 会社運営の適正化の要請は,すべての違法な行為に及ぶものであり,違法性がある以上,たとえその程度が弱いものであっても適正化が確保される必要性がある。会社運営の適正化確保の要請は,贈賄であっても独占禁止法違反であっても異なるところはない。後に会社に利益が生じたからといって違法性がなくなるはずもなく,また,違法性が弱いからといって違法行為による利益によって損害が填補されたとすることは,違法行為をした取締役の損害賠償責任を否定する結果となり,会社運営の適正化を図る取締役責任制度の自殺行為にほかならない。

   (二) 独占禁止法は,資本主義経済の根幹ともいうべき「公正かつ自由な競争の促進」をその目的とするものであり,経済法の中心に位置付けられ,「経済憲法」と呼ばれるほどの重要性を占めている。戦後日本経済の発展の過程で市場原理が果たした役割は極めて大きなものがあり,これを政策的・法的に支えてきたものが独占禁止法にほかならない。

 不公正な取引方法の禁止を定めた独占禁止法一九条は,カルテル規制と共に,公正かつ自由な競争の促進の確保のための車の両輪となっている。同法の規定は,経済社会における公序を構成するものである。独占禁止法一九条違反の行為が単に刑事罰の対象とされていないことを理由にその違法性が強いものではないとすることは,同法の経済社会における重要性を見過ごしたものである。会社運営の適正化のためには取締役が同法を遵守することが不可欠である。

   (三) 損害の認定は,損害が存するか否かの事実の問題である。発生した損害が填補されたか否かは,利益が損失を直接に,被害者の処分行為を必要とせずに填補する目的をもつこと,すなわち,損失と利益との間に「法的同質性」があること等を基準として判断されるが,当該行為の違法性の強弱によって填補される損害の範囲が変わるものではない。

 損害の認定にあたって,将来の不確実な可能性を対応させて事後的に判断することは,対応させる事後的利益の範囲や時期の基準が極めて不明確であるから許されない。このような曖昧な基準で事後的利益を損益相殺できる利益とすることは,相当でない。

   (四) 被控訴人らが,本件損失補填により野村證券の東京放送との取引関係が維持され,拡大されるなら,長期的にみて支出額に見合う利益が会社に得られると考えて本件損失補填を行ったということは,損失補填という証券取引法,独占禁止法に反する違法行為を行う動機にすぎず,会社の利益のためなら違法行為をしてもかまわないという取締役の悪性を示すものにほかならない。会社運営の適正化のためには,このような動機をもつ取締役こそその責任を問われなければならない。また,このような違法な動機に基づく行為によって得られた利益は,損害の有無を判断する基礎事実とはなりえない。

 次に,本件損失補填後,東京放送との取引関係が継続され,それによって実際に野村證券が既に相当額の利益を得たというが,その具体的金額は明らかでない。現実に支出された三億六〇〇〇万円の損失のすべてが,いつどのような利益によって填補されたのか全く検討されていない。このような曖昧な「相当額の利益」によって多額の損失が回復したとは到底いえない。また,今後も東京放送との取引の継続により利益が得られる見込みがあるということも,単に見込みにすぎず,三億六〇〇〇万円が現に回復しているわけではないから,これをもって損失が回復したとはいえない。

 三 参加人河合

  1 本件損失補填問題の重要性

   (一) 本件損失補填を含む証券会社の損失補填問題は,平成三年六月に明らかにされるや日本国内外に大きな衝撃を与えた。日本経済を支える証券市場においてかくも大規模な構造的腐敗が明るみに出て,一般国民にも,証券市場は八百長バクチ場と変わらないという認識が一般化し,健全な一般投資家は証券市場から離れていくに至った。

 また,国際経済の動向に大きな影響を有する日本の証券市場において,このような一連の大規模な損失補填が行われたことにつき,日本では公正な取引をその存立の基盤とする証券市場において,ありうべからざることが行われているとして,海外からの日本の証券市場に対する信用は,大きく失墜した。

 公正な取引社会を実現するためには,日本の証券市場に対するこの失墜した信用を回復することは急務であるし,また,この信用の回復のためには,この損失補填問題についての責任,とりわけこれらの損失補填にかかわった取締役の責任を明らかにすることが重要である。

   (二) 損失補填は,経営上の裁量権をまったく逸脱した行為であって,会社の健全性を損ない,また,株主に対する重大な任務違背である。すなわち,

 (1) 証券会社の仲介業者としての行動基準である職務の誠実で公平な遂行をないがしろにした行為である。

 (2) 市場参加者としての一般投資家を無視して一部の大口顧客のみを優遇したもので,その選別自体合理的理由のない理不尽な行為である。

 (3) 証券会社が市場の担い手たる公共的責務を自ら放棄し,市場の公平な価格形成を歪曲して市場を混乱に陥れる,証券会社としてあるまじき行為であって,証券取引業務における正常な商慣習に反する行為である。

  2 証券取引法違反

   (一) 改正前の証券取引法五〇条は,損失保証による勧誘行為を禁じているが,これは「絶対に損はさせない」といった言辞を用いた安易な投資勧誘から大衆投資家を保護すると同時に,損失保証による勧誘を受けて形成された投資判断は,市場価格の形成に参画してはならない安易な,むしろ市場阻害的投資判断であるから,市場機構の担い手たる証券会社において公正な価格形成を歪める投資判断を排除することを目的としている。

   (二) 損失保証を勧誘の手段にすることが禁止されるのはもちろんのこと,勧誘行為を伴わない損失保証も禁止されなければならない。大口の取引相手(顧客)に損失保証がされることは,著しく市場価格形成を阻害するものであり,その違法性は極めて高いからである。もし,市場価格を十分に支えきれるほどの大口注文が損失保証によって可能になるとしたら,こうした規模でなされる損失保証は市場経済を大幅に歪めるものとなり,行き着くところ国民経済の破壊にまで及びかねない。

 したがって,本件損失補填は,損失保証ではなく,勧誘行為を伴わない事後の損失補填であったとしても,改正前の証券取引法五〇条一項三号の禁止する行為に含まれると解すべきである。

  3 独占禁止法違反

 本件損失補填は,損失補填を行うことにより競争者の顧客を自己と取引するように誘引した場合であるから,独占禁止法一九条に違反する行為である。不当な利益による顧客誘引に該当する行為によって会社が被った損害を認定するにあたって,損失補填の違法性がそれほど強くないとして,会社の支出額のみならず,その後その行為によって会社に生じた利益をも総合考慮するのは相当でない。

 本件損失補填後,東京放送との取引関係が継続され,それによって野村證券が既に相当額の利益を得ており,かつ今後も得られる見込みがあるとして損害の発生を否定するのは,違法な勧誘によって顧客との取引が維持されたために損害が生じていないとする考え方であり,これは独占禁止法,証券取引法さらには株式会社法をも否定しない限り成り立たない論理である。

  4 善管注意義務,忠実義務違反

 損失補填行為が証券会社の健全性を害し,証券取引業務における正常な商慣習に反し,社会的に非難されるべきであるという本件の争点とは無関係に,取締役の経営判断につき極めて広範な裁量権を認め,経営判断の前提となる事実認識についての「不注意な誤り」と意思決定にあたっての「著しい不合理性」が認められない限りすべて取締役の判断に委ねるべきであり,いかなる行動をとるべきであったかというような判断をすべきではないという考え方は相当でない。

 また,本件損失補填を決定し実施するにあたっては,損失補填のほかに採りうる手段がなかったかどうか,損失を補填するとしても三億六〇〇〇万円という巨額のものとせざるを得なかったかどうかなどその合理性に疑問の余地があったのであるから,その前提となった事実の認識に「不注意な誤り」がないとは直ちにいえない。

 四 被控訴人ら

  1 参加人ら主張の参加の理由は認める。

  2 本件損失補填に対する評価・処分について

 本件損失補填については,正確な事実認定を前提として,適正な法が適用されることが必要である。「不祥事として社会的に非難されるべき行為」と評価されることと,取締役の地位にある個人が会社に対して賠償義務を負うべきであると法的に評価されることは,別個の問題である。

 本件損失補填については,行政においては行政処分が,公正取引委員会においては勧告処分がなされ,司法においては民事の局面で本件訴訟の中でその法的評価がなされている。刑事の局面では,被控訴人田淵節也,同田淵義久に関する特別背任罪(商法四八六条)告訴事件について,東京地方検察庁は,平成四年九月三〇日,「本件は短期的には損失補填先の顧客に利益を供与するものであるが,右被控訴人両名の目的は長期的観点において,顧客との取引の維持・拡大に基づく手数料収入の増加により証券会社の利益を図るところにあったのであるから図利加害の目的は少なく,任務違背にも当たらない」との理由(要旨)によって不起訴処分にした(乙一一)。

 野村證券券は,大蔵省に対しては,平成二年三月末に営業特金の整理状況を報告し,更に,同年五月,本件損失補填をしたこと及びこれに伴う社内処分をしたことを報告した。同社は,平成三年六月二〇日以降本件損失補填が新聞等マスコミによって一般的に報道された後である同年七月に本件損失補填についての社内処分を再度実施し,大蔵省にもその旨報告した。

  3 会社の社会的責任について

 確かに,株式会社は,今日の経済社会において重要な機能を果たし,かつ,その影響力も大きい。しかし,今日に至るまで,株式会社法の中に会社の社会的責任に関する一般的規定を設ける改正は行われなかった。その理由は,企業ないし株式会社の社会的責任という概念が多様に用いられていて,法律的には極めて曖昧である上に,その規定の実効性も疑問であり,かえって経営者の裁量権の拡大を招きかねないことにある。

 「企業の社会的責任は,その法的責任が終わるところから始まる。それは,企業に対し法的な規制は加えられていないが,社会的な規制を加える必要のある分野において,初めて問題となるものだからである。企業の社会的責任を,法律外的責任と解する以上は,これを法定するなどということは概念矛盾である。またもし,それが法律的な『責任』を,その要件も効果もはっきりさせないまま法定するなどということは,到底許されることではない。」

 企業の社会的責任を前面に掲げ,これを取締役の法的責任の中味にくり入れようとする考え方は,出発点において誤りを犯している。

  4 証券取引法違反について

   (一) 改正前の証券取引法五〇条一項三号,四号違反について

 本件損失補填は,取引勧誘の際の事前の損失保証ではなく,事後的な損失補填であるから,改正前の証券取引法五〇条一項三号,四号に違反するものではない。

 損失補填を損失保証の実行行為と解し,損失補填の事実をもって損失保証の存在を認定することは,解釈の域を超えている。

   (二) 改正前の証券取引法五八条一号違反について

 (1) 改正前の証券取引法五八条は,「何人も,次の各号の一に掲げる行為をしてはならない」として,その一号で「有価証券の売買その他の取引…等について,不正の手段,計画又は技巧をなすこと」と規定している。ここでいう「不正の手段,計画又は技巧」とは,「有価証券の取引に関連して他人を欺罔して錯誤におとしいれるすべての態様の行為」,「証券取引について他人を欺罔して錯誤におとしいれる態様の行為」あるいは「有価証券の売買その他の取引について,詐欺的行為,すなわち,人を錯誤におとしいれることによって,自ら,または他人の利益をはかろうとすること」を意味する。すなわち,改正前の証券取引法五八条一号違反が成立するためには,証券取引についての欺罔行為とそれによる錯誤が不可欠の要件である。

 しかし,本件損失補填に関しては,欺罔行為あるいはそれによる錯誤などということは全く存在しないのみならず,これまでそのような主張がされたこともなかった。参加人らの改正前の証券取引法五八条一号違反の主張は,独自の見解に基づくものであり,失当である。

 (2) 改正前の証券取引法五八条一号違反の行為は,同法五〇条一項三号の改正前から刑事罰の対象とされていた(一九七条二号)が,損失補填が同法五〇条一項三号の改正前から同法五八条に違反する行為であったというのであれば,改正法は,元来刑事罰の対象であったものにつき,今回重ねて刑事罰を課するために五〇条の三第一項三号,一九九条一の六号を立法したことになる。しかも,一九七条と一九九条との法定刑を損失補填につき軽くしたことになる。

 本件損失補填が改正前の証券取引法五八条一号に違反するとの解釈は,右に述べた背理を招くことになる。

 以上によれば,改正前の証券取引法五〇条一項三号の改正前後を通じて,事後的な損失補填が同法五八条の規制の対象となっていないことは明白である。

  5 独占禁止法違反について

   (一) 被控訴人ら野村證券の取締役は,本件損失補填を決定し実施した時点において,それが独占禁止法に違反することの認識はおろか,違反する可能性があることの認識すら全く有していなかった。被控訴人らが,本件損失補填につき独占禁止法違反の問題があるとの認識をもったのは,本件損失補填がされてから一年半余を経過した平成三年一〇月頃になって,公正取引委員会がこれを問題として取り上げた後のことである。したがって,被控訴人らが本件損失補填を決定し実施したことが,「違法となることを許容した判断」であるということはできない。

   (二) 被控訴人らに,本件損失補填について独占禁止法違反の問題があるとの認識が欠如していたのは,やむを得ないことである。すなわち,本件損失補填は,東京放送と野村證券との証券取引関係の中で行われたものであるから,被控訴人らにとって,この行為が証券取引法あるいは証券取引にかかわる大蔵省の前記通達に反しないか否かが重大な関心事となったことは当然のことであるが,本件損失補填は,一般の顧客に対して取引を勧誘するような性質のものではなかったから,被控訴人らは,この行為が,不当な利益をもって「競争者の顧客を自己と取引するように誘引するものであって」不公正な取引方法に該当し,独占禁止法に違反するおそれがあるということは,全く念頭に浮かばなかった。

   (三) 損失補填と独占禁止法違反との関連は,被控訴人らのみならず,関係当局においても,損失補填が公に問題となってから一年半余にわたって取り上げられることがなかった。その理由は,証券取引の規制は,第一に他の官庁(公正取引委員会)でなく,所管の官庁(大蔵省)によって規制されるべきであるとの基本的な考え方によるものである。このように平成三年八月の時点においても,関係当局は,なお損失補填が独占禁止法違反に該当するとの見解をとるに至っていなかったものである。

   (四) 公正取引委員会が,野村證券の本件損失補填を含む証券会社の損失補填が顧客との取引関係を維持し,又は拡大するためになされたものであって,不公正な取引方法に該当し,独占禁止法に違反する旨の勧告を行ったのは,平成三年一一月二〇日である。

 右勧告を受けた被控訴人らは,損失補填の中には,本件損失補填をはじめ個々のケースにより果して不公正な取引方法に該当するか否かにつき多大の疑問を生ずる事例があるものの,これによって損失補填問題の処理に終止符がうたれるとみられることに鑑み,全体として勧告を受諾することとした。

 以上のとおり,被控訴人らが,本件損失補填を決定する過程で,それが不公正な取引方法に該当し,独占禁止法に違反することの認識をもたなかったことはやむを得ないというべきである。

  6 公序良俗違反について

   (一) 本件損失補填が公序良俗に反するとの点については,公序良俗について規定する民法九〇条は,法律行為の存在を前提に,その無効要件を定めるものであるから,法律行為でない本件損失補填自体には民法九〇条の適用の余地はない。

   (二) 損失保証ないし利益保証等の合意が公序良俗に反して無効であるとの裁判例があるが,これらは事後的な損失補填とは異なり,事前の損失保証ないし利益保証の約束が存在したものであり,また,本件損失補填のように平成三年の証券取引法改正前に補填がされたものと異なり,同法改正後顧客が損失保証ないし利益保証の合意に基づきその履行を求めたものであって,本件損失補填とは事案を異にする。

   (三) 本件損失補填が公序良俗に反するとの主張の趣旨を,法律行為の無効を主張する趣旨ではなく,公序良俗違反の名を籍りて,単に他の具体的法規に照らして損失補填行為の否定的評価をいわんとするものであると善解しても,それは,結局証券取引法違反,独占禁止法違反,善管注意義務,忠実義務違反の具体的法規違反の主張の当否に帰着するものである。そして,本件損失補填がこれらの法令に違反するものでないことは,既に主張し,あるいは後に主張するとおりである。

  7 取締役の善管注意義務について

   (一) 商法二六六条一項五号の法令違反行為と善管注意義務違反

 商法二六六条一項五号の法令違反行為による損害賠償責任については,従来,この法令違反行為として具体的に論じられてきたのは,取締役の競業避止義務違反のほかは,取締役の放漫経営,過剰融資,非営利的行為など会社に一方的な損失を生じさせる背任的行為及びこれらの行為に対する監視の懈怠であり,これらが取締役の善管注意義務,忠実義務違反となるかという観点で論じられてきた。

 ところで,商法二六六条一項五号に先立つ同項一号ないし四号は,いずれも会社に損害を及ぼす取締役の行為を規定しており,また,同条が取締役の会社に対する損害賠償を定める規定であることからすれば,五号の法令は会社又は会社関係者を保護する規定に限られ,したがって,同号の法令違反は無限定なものではなく,会社に損害を及ぼす法令違反を規定したものと解すべきである。

 本件損失補填は,仮にそれが独占禁止法違反であるとしても,「競争者の顧客を自己と取引するように誘引するもの」として,不公正な取引方法に該当するものとされるものであって,それによって競争者に損害を及ぼすことはあり得ても,会社に損害を及ぼすことはあり得ないものであるから,会社に損害を及ぼす法令違反ではない。

 取締役と会社とは委任契約関係にあるから,どのような法令違反行為であっても,それが直ちに損害賠償責任に結びつくものではなく,改めて善管注意義務違反となるかどうかを行為の実体に則して判断すべきである。

 すなわち,法令違反があればそれによって当然に善管注意義務違反や商法二六六条一項五号の賠償責任が生ずるのではなく,善管注意義務違反や同号の賠償責任の有無を判断するには,法令違反につき善管注意義務違反による賠償責任があるか否かを実質的に検討すべきものである。

   (二) 取締役の善管注意義務,忠実義務

 取締役の善管注意義務,忠実義務違反の有無は,行為の結果ではなく,その過程にそくして判断されるべきものである。それ故,もし取締役が行為の過程においてその違法であることを認識しながらこれを許容した場合には,善管注意義務違反とされる場合もありえようが,逆に行為の過程で違法であることを認識せず,また認識しないことがやむを得ない場合には,経営判断の原則が適用され,たとえ後にその行為が違法と評価されたとしても,そもそも善管注意義務違反は生じないというべきである。

   (三) 独占禁止法違反と善管注意義務違反との関係

 被控訴人らは,前記のとおり,本件損失補填につき意思決定の過程で独占禁止法に違反するとの認識をもたず,また認識をもたなかったことはやむを得ないものというべきであるから,結局被控訴人らには独占禁止法違反の点に関しても,善管注意義務,忠実義務違反はない。

 独占禁止法一九条に違反することは,当然に商法二六六条一項五号の法令違反を意味しない。独占禁止法一九条は,会社を名宛人としており,その違反により通常損害を被るのは当該会社ではなく,競争者である。したがって,同条違反の行為について取締役の会社に対する責任を認めるには,それが取締役の善管注意義務違反となるかどうかを検討しなければならない。

  8 取締役の経営判断の原則について

   (一) 実際に行われた取締役の経営判断そのものを対象として,その前提となった事実の認識について不注意な誤りがなかったかどうか,また,その事実に基づく意思決定の過程が通常の企業人として著しく不合理なものでなかったかどうかという観点から善管注意義務,忠実義務違反の有無を判断しようとする考え方は,企業の経営に関する判断が,不確実かつ流動的で複雑多様な諸要素を対象にした専門的,予測的,政策的な判断能力を必要とする総合的判断であることに照らして,極めて公正妥当なものであり,アメリカにおける代表訴訟及び経営判断の原則に関する数多くの判例の到達点ともおおむね軌を一にするものである。

   (二) 損失補填は,当時法令で禁止されておらず,本件に関する限りでは,平成元年一二月二六日大蔵省証券局長通達によって,事後的な損失の補填を慎むこととされていたにとどまる。被控訴人らは,右の事実自体はもちろん承知しており,専門家のアドバイスを受けるまでもないことであった。もとより,前提となる事実の認識の中には,右通達だけでなく,営業特金という形態での資金運用の解消への動き,株式市況の急落,野村證券と東京放送との取引関係等が含まれていた。

   (三) 意思決定の過程の合理性については,まず,第一に,被控訴人らは,独占禁止法一九条に違反するという認識をもって,本件損失補填を行ったものではない。本件損失補填が広く報道されてから一年が経過した段階でも,公正取引委員会は,本件損失補填を事業者間の競争確保という独占禁止法の観点からではなく,投資家保護の観点から証券取引法の領域の問題として処理するのが適切であり,所管庁たる大蔵省における証券取引法上の直接規制に委ねるのが有効であるとの基本的考えであったのである。第二に,独占禁止法一九条は直ちに商法二六六条一項五号の「法令」に該当するものではなく,本件において被控訴人らに善管注意義務違反がない以上,同号違反の問題は生じない。第三に,専門家(法務部,顧問弁護士)の判断を求めるべきであるとの点については,取締役としては当時困難な判断を強いられたが,その判断は取締役の裁量権を逸脱するものではなく,結果的には誤っていなかったというべきである。

  9 損害

   (一) 会社が一定の支出をした場合,その支出が,直ちに商法二六六条一項の「損害」に該当すると評価されるものではなく,支出額のみならず,その行為によって会社に生じた利益をも総合考慮して損害の認定を行うのが相当である。なお,これを「損益相殺」と捉えるのは誤りである。

 本件損失補填による約三億六〇〇〇万円の支出は,これにより東京放送との取引関係が維持・拡大されるなら,長期的に見て支出金額に見合う利益が会社に得られると考えて行われ,実際にも本件損失補填後東京放送との取引関係が継続され,それによって野村證券がすでに相当額の利益を受け,今後も得られる見込みがあるから,同社に生じた損害と評価することはできない。これに対し,贈賄行為によって会社の利益が増大したとしても,当該行為が刑法一九八条に該当し,公序良俗違反と評価されるような場合は,支出額を会社の損害と評価することになる。

   (二) 本件損失補填の支出は,修正前の会計処理において取引上発生した損金として処理されていたところ,国税局の指摘を受けて「交際費」として会計上処理することになったが,このこと自体,右支出が直ちに会社の損害と評価しえないことを示すものである。このような勘定科目の振り分け自体が野村證券に損害をもたらすことはない。

   (三) すべての法令違反が直ちに商法二六六条一項五号の「法令」違反に該当し,会社の支出額が即損害になるとの見解には賛成できない。

 すべての法令違反に伴う会社の支出額について,即損害ありとして取締役に商法二六六条一項五号の損害賠償責任を課せられるとすれば,取締役を萎縮させることになる。少なくとも本件損失補填による独占禁止法一九条違反は,商法二六六条一項五号の法令違反と解すべきではなく,会社の支出額を直ちに損害額と評価することはできない。

 (争点)

 野村證券の取締役である被控訴人らが,顧客との取引関係の維持,拡大を図る目的で,有価証券市場における取引によって顧客の被った損失を会社の資金で補填したことは,改正前の証券取引法五〇条一項三号,四号,五八条一号,独占禁止法一九条又は民法九〇条(公序良俗)に違反し,ひいては取締役の善管注意義務,忠実義務に違反するか。違反するとした場合には,損失補填として支出された約三億六〇〇〇万円を会社の損害とみるべきか。

第三 争点に対する判断

 一 本件損失補填に至る経緯

 当事者間に争いのない事実及び証拠(甲六ないし八,二二,乙一ないし四,一〇,証人増田得神,被控訴人水内靖裕)に弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。

  1 野村證券は,大正一四年一一月二七日に設立された株式会社であり,資本金は約一八一八億円,営業の目的は有価証券の売買,その媒介,取次ぎ及び代理,有価証券の引受け及び売出しなどである。野村證券は,東京証券取引市場の上場企業であり,四大証券会社(野村證券,大和證券,日興證券,山一證券)の一つであるばかりでなく,証券業界トップの証券会社であり,日本を代表する株式会社の一つでもある。

 控訴人は,平成元年一〇月二五日から野村證券の株式一〇〇〇株以上を保有している。参加人らも野村證券の株主である。

 被控訴人らは,平成二年三月当時,いずれも野村證券の代表取締役の地位にあった。

  2 東京放送は,平成元年四月,住友信託銀行株式会社(以下「住友信託銀行」という。)との間で東京放送を委託者,住友信託銀行を受託者とし,期間を平成二年三月までとする特定金銭信託契約を締結して一〇億円を信託し,これに基づき住友信託銀行が野村證券に取引口座を開設して,有価証券の売買による東京放送のための資金運用が開始された。

 この特定金銭信託契約に基づく勘定を利用した取引(特金勘定取引)においては,東京放送は,投資顧問会社との間で投資顧問契約を締結しておらず,野村證券から有価証券の売買に関する情報の提供を受けて,住友信託銀行に対し売買の指図をし,この指図に基づいて住友信託銀行が野村證券に有価証券の売買を発注するという関係(いわゆる営業特金)にあった。

  3 東京放送は,野村證券の大口顧客であり,野村證券は,昭和四八年三月から東京放送と有価証券の売買などによる資金運用の取引を継続し,また,東京放送の証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあって,引受手数料など多額の手数料収入を得ていた。すなわち,野村證券は,これらの取引によって,直近の三回の資金調達により合計一六億七二六六万円の引受手数料を,また,本件を含む四回の営業特金の運用に伴い合計九億〇二四九万円の委託手数料を,さらに,通常の有価証券取引で合計一八七一万円の委託手数料を得ていた。右により野村證券が得た手数料収入は二五億九三八六万円にのぼる。

 主幹事証券会社になると,社会的に信用を得るだけでなく,多額の引受手数料などの収入を得ることができるため,主幹事となることについては証券会社相互間で競争があり,また,いったん主幹事から外れると,これを取り返すことには困難が伴うため,各証券会社は,証券発行を行う事業法人である顧客との取引関係の維持・拡大に努めている。

  4 東京放送のための特金勘定取引口座には,平成元年末ころ,約二億七〇〇〇万円の損失が生じていた。平成二年一月ころから株式市況が急落し,この急落によって,東京放送のための特金勘定取引口座には更に損失が生じ,期間満了を待たずに取引を終了させた同年二月末ころには,損失額は約三億六〇〇〇万円となっていた。

  5 平成元年一二月上旬ころ,大和證券株式会社が大口顧客の損失約一〇〇億円を肩代わり(損失補填)していたなどと報道される中で,大蔵省証券局は,同月二六日,社団法人日本証券業協会に対し「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する局長通達を行い,また,その趣旨を徹底するための業務課長事務連絡を行った。

 その内容は,証券会社の大口顧客に対する損失補填は,一般投資者の証券取引についての公平感や証券市場に対する信頼感を損なうものであり,証券取引の公正性や証券市場の透明性の確保の観点から,証券会社の営業姿勢の適正化が強く要請されるとしたうえ,証券会社に対し,法令上の禁止行為である損失保証による勧誘や特別の利益提供による勧誘はもちろんのこと,事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳にこれを慎むことを求めるとともに,特金勘定取引については,原則として顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約が締結されたものとすること,具体的には,顧客が投資顧問契約を締結していることを確認するか,あるいは,顧客との間で運用に当たり売買一任勘定取引,利回り保証,特別の利益提供などの行為は行わない旨の書面を取り交わすかの措置をとって取引を開始し,又は継続することを求めるものであった。

  6 また,右大蔵省証券局長通達は,既存の営業特金について所要の措置をとるべき期限を平成二年末までとするとともに,証券会社に対し,各年三月末及び九月末に特金勘定取引の口座数,そのうち投資顧問契約のない営業特金の口座数などの報告をするよう求めていた。

 これを受けて,野村證券をはじめ各証券会社では,この通達の主眼は早急に営業特金の解消を求める点にあると理解し,株式市況が急落する状況下で顧客との関係を良好に維持しつつ営業特金の解消を進めていくためには,損失補填を行うこともやむを得ないという考え方が大勢を占めるようになった。

  7 野村證券では,右大蔵省証券局長通達(その徹底のための事務連絡を含む。以下同じ)を受け,専務取締役で管理部門の最高責任者であった被控訴人水内が担当者となって,営業特金の総点検を行うこととし,平成二年一月から二月にかけて,各営業部店の担当者が顧客との間で営業特金解消のための交渉を開始した。

 その過程で,顧客から運用実績に対する不満と営業特金の解消による評価損の発生についての苦情が寄せられたため,各営業部店長が調査して損失補填が必要と判断したものについて,同年三月上旬,被控訴人水内に報告された。

  8 野村證券の東京放送との取引担当者は,この通達が出された直後から,数回にわたり,東京放送の財務部長らと本件の営業特金の解消について交渉したが,容易に解決に至らなかった。

 そこで,野村證券の担当者は,東京放送に対し損失補填をしなければ,今後の取引関係に重大な影響が生ずると考え,営業特金の総点検の担当者であった被控訴人水内に損失補填が必要である旨の報告をした。

  9 被控訴人水内は,この通達に従って,平成二年三月末までに営業特金を可能な限り解消する必要があるが,一方,拡大しつつある損失をそのままにして営業特金を解消することになれば,顧客の野村證券に対する信頼を失うおそれがあると考えて,それまで野村證券に多くの利益をもたらしていた顧客に対しては,将来の利益を確保するために損失補填をすることもやむを得ないと判断した。

  10 東京放送の営業特金については,有価証券市場が好況であった当時から損失が生じており,野村證券の東京放送に対する指示・指導が必ずしも十分な配慮を尽くしていたとは言えないものであったことから,被控訴人水内は,このまま放置しておくと,野村證券の提供する情報についての信用を失い,将来の東京放送の証券発行に際しての主幹事証券会社の地位を失うおそれがあることも考慮して,東京放送に対し損失補填を実施する必要があると判断した。

 平成二年三月一三日,被控訴人らが出席して野村證券の専務会が開催された。専務会では,被控訴人水内から東京放送ほかの顧客に生じた損失について総額約一六一億円の補填をすることが提案され,了承された。なお,被控訴人らは,右損失補填の実施を決定するにあたり,法律家等専門家の意見を徴することをしなかった。

  11 東京放送に対する損失補填の具体的な方法については,野村證券と東京放送の各取引事務担当者によって,市場や一般投資者に影響が及ばない外貨建てワラントの相対取引による売却益をもって損失を補填することが合意された。野村證券は,右合意に基づき,平成二年三月一四日,東京放送にルクセンブルク証券取引所に上場の大成建設ワラント(一ワラント額面五〇〇〇ドル)一二二五ワラントを代金合計六一万二五〇〇ドル(当時の為替相場で九一二六万二五〇〇円)で売り,同日直ちに,東京放送は,これを野村證券に代金合計三〇四万7187.5ドル(同四億五二八一万二〇六三円,ただし,国内取引税一三五万八四三六円を含む。)で売り戻した。この結果,東京放送は,三億六〇一九万一一二七円の利益を得,これによって営業特金の運用による損失が補填され,営業特金も解消された。

  12 野村證券は,大蔵省に対し,平成二年三月末に営業特金の整理状況を,同年五月に本件損失補填をしたこと及びこれに伴う関係役員の社内処分をしたことを報告し,更に,平成三年六月以降本件損失補填が新聞等マスコミによって報道された後の同年七月に本件損失補填について再度の社内処分を実施したことを報告した。大蔵省は,野村證券に対し,行政指導により同年七月一〇日から一五日まで法人担当部門などの営業の自粛を命じ,証券会社の自主規制団体である日本証券業協会は,野村證券に対し,五〇〇万円の過怠金を課した。

  13 公正取引委員会は,平成三年一一月二〇日,野村證券ほか三社の証券会社に対し,顧客との取引関係を維持し,又は拡大するために損失補填を行うことは,不公正な取引方法(昭和五七年公正取引委員会告示一五号)の一般指定九項(正常な商慣習に照らして不当な利益をもって,競争者の顧客を自己と取引するように誘引すること)に該当し,独占禁止法一九条に違反するとして,同法四八条二項の規定に基づき勧告を行い,四社とも勧告を応諾した。

  14 控訴人は,平成四年三月四日,野村證券に対し,被控訴人らの本件損失補填による損害賠償責任を追及する訴訟の提起を請求したが,野村證券が訴えを提起しなかったため,同年四月一〇日,本件訴訟(東京地方裁判所平成四年(ワ)第五七八三号取締役損失補填責任追及請求事件)を提起した。

 控訴人は,同裁判所が右事件につき平成五年九月一六日言い渡した判決に対し,東京高等裁判所に控訴を提起し,参加人らは,商法二六八条二項に基づき,同年一二月九日及び平成六年四月二二日にそれぞれ控訴人の共同訴訟人として本件訴訟に参加する旨の申立てをした。

 二 証券取引法違反について

  1 まず,本件損失補填が改正前の証券取引法五〇条一項三号,四号に違反するか否かについて判断する。

 本件損失補填がされた当時施行されていた改正前の証券取引法では,五〇条一項三号,四号が,有価証券の売買などの取引について,証券会社が顧客に対し損失の全部又は一部を負担することを約して勧誘する行為をしてはならないものとして,勧誘に際しての損失保証を禁止していたが,顧客に損失が生じた後その損失を補填する行為については,これを禁止する規定はなかった。その後,平成三年の同法改正により,初めてこれが禁止されることになったが(五〇条の三第一項二号,三号),改正法施行前にした行為に対する罰則の適用については,なお従前の例によることとされている(附則二項)。

 証券取引法は,国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため,有価証券の発行及び売買その他の行為を公正ならしめ,かつ,有価証券の流通を円滑ならしめることを目的とし(一条),その目的実現のために,証券会社の活動に関して詳細な行為規範を定め,これを刑事罰と大蔵大臣による行政処分とによって担保するとともに,証券業協会及び証券取引所が自主的な規制を行うこととしている。この規制で損失補填に関連するものとしては,日本証券業協会の公正慣習規則九号「協会員の投資勧誘,顧客管理等に関する規則」の八条(平成元年一二月二六日付大蔵省証券局長通達を受けて同日改正されたもの)が,協会員たる証券会社は「損失保証による勧誘,特別の利益提供による勧誘を行わないことはもとより,事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳にこれを慎む」ものと定めている(乙一,二)が,これも明確に事後的な損失補填を禁止するものとまではいえない。

 したがって,平成三年の証券取引法改正前は,損失保証の実行に当たらない事後的な損失補填については,明文上これを禁止する規定は存在しなかったのであるから,本件損失補填は同法に違反するものではないというべきである。

  2 控訴人及び参加人らは,本件損失補填は改正前の証券取引法の下でも同法の趣旨に反し,同法五〇条一項三号,四号に違反すると主張する。

 確かに,証券市場においては,証券取引につき自己責任を負う多数の投資者それぞれが真剣な投資判断を行うことによって適正な価格形成が行われるのであり,このようにして適正な価格形成が行われることを通じて証券市場における資金の適正配分が実現するのであるから,証券会社が顧客に対して損失の補填をすることは,事後的に初めて行われる場合であっても,損失発生前に行う損失保証の場合と同様に投資者の自己責任原則に背反するものであり,それが真剣であるべき投資判断を安易なものとする結果,証券市場における適正な価格形成を阻害するに至る危険をはらむものである。また,事後的な損失補填は,一般投資者の証券取引についての公平感や証券市場に対する信頼感を損なうものであり,証券会社の健全な経営を損ない,一般投資者に不測の損害をもたらす危険を伴うものであるという点においても,事前の損失保証と同様の性質をもつ。

 しかし,事後的な損失補填は,投資相談がされる前に行われる損失保証とは異なり,それ自体としては投資者の投資判断に直接影響を与えるものではなく,一般に,投資者が不確実な事後の損失補填を期待して安易な投資判断をする危険は小さいと考えられるから,証券市場における適正な価格形成を損なうことについては間接的な危険があるにとどまる。また,将来の価格変動が確実に予測できないままされる損失保証に比べ,損失額が確定した後にされる損失補填は,証券会社の経営の基盤を揺るがしてまで行われることはないであろうから,その健全性を損なう危険も格段に小さいものということができる。このように事前の損失保証と事後の損失補填との間には相違があることから,改正前の証券取引法五〇条一項三号,四号は,事前の損失保証を禁止したが,事後の損失補填については,これを禁止する規定を設けなかったものと解される。

 したがって,改正前の証券取引法の下において,事後的な損失補填を取引勧誘の際の損失保証と同視することは相当でなく(平成元年一二月二六日付大蔵省証券局長通達が事後的な損失補填を慎むべきことを指示した部分は,右法律に根拠を有しない行政指導にすぎない。),控訴人及び参加人らの主張を採用することはできない。

 また,参加人青木電気,同亀田は,損失補填は損失保証の実行行為であると主張するが,野村證券ないし被控訴人らが東京放送に対し本件損失補填に先立ち事前に損失保証をしたことを認めるに足りる証拠はないから,事前の損失保証があったことを前提に,損失補填は損失保証の実行行為であるとする同参加人らの主張は理由がない。

  3 参加人らは,本件損失補填は改正前の証券取引法五八条一号にも違反する旨主張する。

 改正前の証券取引法五八条一号は,「有価証券の売買その他の取引…について,不正の手段,計画又は技巧をなすこと」を禁止し,違反行為は刑事罰の対象とされていた(同法一九七条二号)。ここにいう「不正の手段,計画又は技巧」とは,「有価証券の取引に関連して他人を欺罔して錯誤におとしいれる詐欺的行為」を意味し,改正前の証券取引法五八条一号違反が成立するためには,証券取引に関して欺罔行為とそれによる錯誤が存在することが必要である。しかし,本件損失補填に関しては,被控訴人らによる欺罔行為とそれによる錯誤が存在することを認めるに足りる証拠はないから,参加人らの改正前の証券取引法五八条一号違反の主張は理由がない。

 なお,改正前の証券取引法五八条一号違反の行為は,平成三年の同法改正前から刑事罰の対象とされていたものである(一九七条二号)が,損失補填が右改正前から証券取引法五八条一号に違反する行為であったとすると,改正法は,元々刑事罰の対象であった行為につき,今回重ねて刑事罰を科するために五〇条の三第一項三号,一九九条一の六号を立法したことになり,しかも,一九七条と一九九条の法定刑を比較すると,改正法は損失補填につき法定刑を軽くしたことになる。このように損失補填を改正前の証券取引法五八条一号に違反する行為と解釈することは,右のような背理を招くから採用することができない。

 したがって,この点からしても本件損失補填が改正前の証券取引法五八条一号に違反するとの参加人らの主張は理由がない。

  4 以上のとおり,本件損失補填につき控訴人及び参加人ら主張の証券取引法違反の違法はないから,右主張は理由がない。

 三 独占禁止法違反について

 1 次に,本件損失補填が独占禁止法一九条に違反するか否かについて判断する。

 証券会社が顧客に対して有価証券の売買などの取引について生じた損失の全部又は一部を補填することは,証券市場の担い手である証券会社が証券投資における自己責任原則を放棄し,証券市場において適正に形成された価格を証券市場外で修正するものであり,証券取引の公正性を害するものであるから,証券業における正常な商慣習に反するものというべきである。そして,本件損失補填は,顧客との取引関係を維持し,又は拡大する目的で一部の顧客に対して行ったものであるから,正常な商慣習に照らして不当な利益をもって競争者の顧客を自己と取引するように誘引するものであって,不公正な取引方法(昭和五七年公正取引委員会告示一五号)の九項(不当な利益による顧客誘引)に該当し,独占禁止法一九条に違反するというべきである。

 しかし,同条は,競争者の利益を保護することを意図した規定であって,同条違反の行為により損害を被るのは,当該会社ではなく,競争者であるから,同条違反が当然に商法二六六条一項五号の法令違反に含まれると解するのは相当でない。同号の法令違反に該当するかについては,独占禁止法一九条違反の行為がひいては後述の取締役の善管注意義務,忠実義務に違反するか否かが更に検討されなければならない。

  2 なお,証拠(乙三,四,七,被控訴人水内靖裕)及び弁論の全趣旨によれば,本件損失補填は,野村證券と東京放送との証券取引の中で行われたことから,被控訴人らにとって,損失補填が証券取引法あるいは大蔵省証券局長の前記通達に違反しないか否かが重大な関心事となっていたものであり,本件損失補填が一般の顧客に対して取引を勧誘するような性質のものではなかったことから,被控訴人らは,本件損失補填が「不当な利益をもって競争者の顧客を自己と取引するように誘引する」不公正な取引方法に該当し,独占禁止法一九条に違反するか否かの問題については検討されなかったこと,損失補填につき独占禁止法違反の問題があることは,被控訴人らのみならず,関係当局においても,証券取引の規制は所管の大蔵省によって行われるべきであるとの基本的な考え方から,本件損失補填がされてから一年半余にわたって取り上げられることがなかったこと,公正取引委員会は,第一二一回国会衆議院証券及び金融問題に関する特別委員会が開催された平成三年八月三一日の時点においても,なお,損失補填が独占禁止法違反に該当するとの見解をとるに至っておらず,公正取引委員会が野村證券の本件損失補填を含む証券会社の一連の損失補填が不公正な取引方法に該当し独占禁止法一九条に違反する旨の勧告を行ったのは,同年一一月二〇日であることが認められる。

 右認定の事実によれば,被控訴人ら野村證券の取締役が,本件損失補填を決定し実施した平成二年三月の時点において,右行為が不公正な取引方法に該当し独占禁止法に違反するとの認識をもつまでに至らなかったことはやむを得ない点があるというべきである。

 四 公序良俗違反について

 参加人青木電気,同亀田は,本件損失補填は,公正取引委員会が独占禁止法に違反するものとして,排除勧告のみならず排除審決まで行ったものであり,公序良俗に反しその私法上の効力は認められないと主張する。

 しかし,本件損失補填自体は,法律行為ではないから公序良俗について規定する民法九〇条の適用はなく,その私法上の効力を問題とする余地はない。

 そこで,右参加人らの主張が,損失補填の具体的な方法として採られた,野村證券と東京放送との間のワラントの相対取引が独占禁止法一九条に違反するもので公序良俗に反し無効であるとの趣旨を含むものであるとし,かつ,仮に右ワラントの相対取引が独占禁止法一九条に違反するとしても,同条が強行法規であるとの理由で右取引が直ちに私法上無効になるとはいえず,前認定のとおり,右ワラントの相対取引が証券市場や一般投資者に影響が及ばない外貨建てによる取引であり,かつその主たる目的が他の証券会社の顧客を積極的に奪取するというものではなく,従来からの大口顧客であった東京放送との取引の維持・拡大にあったことを考慮すると,野村證券と東京放送との間の右ワラントの相対取引が民法九〇条にいう公序良俗に反するものであるとまではいえない。

 五 取締役の善管注意義務,忠実義務

  1 取締役の法令違反行為と善管注意義務,忠実義務違反

 株式会社と取締役との法律関係には委任の規定が適用される(商法二五四条三項)。したがって,取締役がその職務を行うにあたっては,善管注意義務を負う(民法六四四条)。これを敷術すれば,取締役は,法令及び定款の定め並びに総会の決議を守り会社のため忠実に職務を遂行する義務を負うことになる(商法二五四条ノ三)。更に,商法二六六条一項は,取締役の職務の重要性に鑑み,取締役の会社に対する責任を一般原則以上に明確化かつ厳格化するために特別の規定を置いている。このうち,同条一項五号は,取締役の法令定款違反に基づく責任を定めており,同号の「法令」は,具体的な職務を定める法令のみならず,一般的な善管注意義務ないし忠実義務を定める抽象的法令をも含むものと解される。したがって,取締役が具体的な法令又は定款の規定に違反した場合はもちろん,一般的な善管注意義務ないし忠実義務を怠った場合にも,これによって会社に損害を生じさせたときは,法令違反行為をしたものとして,会社に対し損害賠償義務を負うべきである。

  2 本件損失補填と善管注意義務,忠実義務違反

 そこで,大蔵省の行政指導及び独占禁止法一九条に違反した本件損失補填がひいては取締役の善管注意義務,忠実義務違反となるか否かについて判断する。

 前認定の事実及び前掲各証拠によれば,野村證券は,昭和四八年三月から大口顧客である東京放送と有価証券の売買などによる資金運用の取引を継続し,また,東京放送の証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあって,引受手数料など多額の手数料収入を得ていた。しかし,東京放送のための特金勘定取引口座には,平成元年末ころ,約二億七〇〇〇万円の損失が生じていた。平成二年一月ころから株式市況が急落し,この急落によって,東京放送のための特金勘定取引口座には更に損失が生じ,期間満了を待たずに取引を終了させた同年二月末ころには,損失額は約三億六〇〇〇万円となっていた。野村證券では,平成元年一二月二六日付大蔵省証券局長通達を受けた直後から,各営業部店において,営業特金口座等の総点検とその適正化あるいは取引の解消のための交渉を開始した。しかし,その間株式市場の大幅な暴落もあり,運用実績や運用方法に対する,あるいは取引の早期解消に伴う損失の発生等に対する顧客のクレームが顕在化し,交渉が難航し,野村證券が何らかの負担をしない限り取引の解消が不可能なものが相当数あることが判明した。東京放送との間においても本件の営業特金の解消について交渉が行われたが,容易に解決しなかった。野村證券の営業特金の総点検の担当者であった被控訴人水内は,株式相場の暴落下において早急に営業特金の解消をすることが急務である一方,取引関係を維持・継続することも重要であることから,東京放送の営業特金が有価証券市場が好況であった当時から損失が生じており,このままでは野村證券が信用を失い,将来の東京放送の証券発行に際しての主幹事証券会社の地位を失うおそれがあることも考慮して,円滑に営業特金を解消し,かつ,将来も東京放送と取引を継続するには東京放送に対し損失補填を実施する必要があると判断した。そして,平成二年三月一三日,被控訴人らが出席して開催された野村證券の専務会において,被控訴人水内から東京放送を含む同様の取引をしていた顧客に生じた損失について総額約一六一億円の補填をすることが提案され,了承されて,翌一四日,本件損失補填を含む大口顧客に対する損失補填が実施された。

 このように被控訴人らは,本件損失補填により野村證券と東京放送との取引関係を維持することが長期的には野村證券の利益になると判断して,本件損失補填を決定し実施したものであり,実際に,本件損失補填後,東京放送との取引関係が継続され,東京放送は,平成四年七月に三〇〇億円,平成五年三月に二〇〇億円の社債を発行し,野村證券は,主幹事証券会社を維持し,これにより一億二〇〇〇万円余の手数料収入を得たほか,プロパー勘定の取引口座も継続して既に相当額の利益を得ており,かつ,今後も得られる見込みであるため,実損害を生ずるおそれがないことが認められる。

 以上によれば,当時大蔵省は,いわば二律背反的な,事後的な損失補填を慎むことと営業特金の廃止の双方につき行政指導を行い,また日本証券業協会は業界の自主規制として公正慣習規則九号により事後的な損失補填を慎むことを要請していたが,これらはいずれも証券取引法上の禁止行為ではなく,証券会社の取締役に対し,「公の秩序」を示すものともいえない。また,独占禁止法一九条は競争者保護の規定であるから,同条違反行為が直ちに証券会社の取締役の当該会社に対する関係において違法となるものではない。そうすると,野村證券の取締役である被控訴人らが当時の証券取引法の規制,独占禁止法違反の認識をもつまでには至らなかった事情,株式市況の暴落等前認定の状況のもとにおいて,営業特金を解消し,かつ,東京放送との取引関係を維持し,ひいては野村證券の利益の維持を図ることが急務であるとの方針を決定し,その手段として結果的には取引関係の維持により実損害を生ずるおそれのない本件損失補填を決定・実施したことは,経営上の判断として裁量の範囲を逸脱したものとはいえず,野村證券に対する関係において善管注意義務,忠実義務に違反するような違法行為とはいえないものと認めるのが相当である。

 したがって,被控訴人らが本件損失補填を行ったことにつき商法二六六条一項五号の法令違反(商法二五四条三項,民法六四四条,商法二五四条ノ三の違反)があったということはできない。

第四 結論

 したがって,控訴人の本件請求及び参加人らの当審における各参加請求は,いずれも理由がないから,本件控訴及び各参加請求は棄却を免れない。

 よって,控訴人の本件控訴及び参加人らの当審における各参加請求を棄却し,訴訟費用及び参加費用の負担について民訴法九五条,八九条,九四条,九三条を適用して,主文のとおり判決する。