(参考判例) 最高裁第三小法廷昭和56年4月14日判決〔23条照会に基づいて前科の照会に回答したことを違法であると判断した判決〕

照会の目的等や照会事項によっては,23条照会に対し報告することが違法とされる場合があるとしたもの


■判例 名古屋地裁平成27年2月26日判決〔弁護士法23条の1第2項に基づく転居先等についての照会に対する回答拒絶が違法であり,過失があるとして不法行為の成立が認められた事例〕

主文

  本件上告を棄却する。

  上告費用は上告人の負担とする。 

理由

 上告代理人納富義光の上告理由第一点について

 前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉,信用に直接にかかわる事項であり,前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するのであつて,市区町村長が,本来選挙資格の調査のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏えいしてはならないことはいうまでもないところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となつていて,市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には,裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は,これに応じて前科等につき回答をすることができるのであり,同様な場合に弁護士法二三条の二に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが,その取扱いには格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において,原審の適法に確定したところによれば,京都弁護士会が訴外猪野愈弁護士の申出により京都市伏見区役所に照会し,同市中京区長に回付された被上告人の前科等の照会文書には,照会を必要とする事由としては,右照会文書に添付されていた猪野弁護士の照会申出書に「中央労働委員会,京都地方裁判所に提出するため」とあつたにすぎないというのであり,このような場合に,市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ,犯罪の種類,軽重を問わず,前科等のすべてを報告することは,公権力の違法な行使にあたると解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて,中京区長の本件報告を過失による公権力の違法な行使にあたるとした原審の判断は,結論において正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく,論旨は採用することができない。

 同第二点について

 原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては,中京区長が本件報告をしたことと,本件照会の申出をした猪野弁護士の依頼者である訴外株式会社ニュードライバー教習所の幹部らが中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で,関係事件の審理終了後等に,事件関係者や傍聴のため集つていた者らの前で,被上告人の前科を摘示して公表したこととの間には相当因果関係があるとした原審の判断は,正当として是認することができ,その過程に所論の違法はない。論旨は,採用することができない。

 よつて,民訴法四〇一条,九五条,八九条に従い,裁判官伊藤正己の補足意見,裁判官環昌一の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

 裁判官伊藤正己の補足意見は,次のとおりである。

 他人に知られたくない個人の情報は,それがたとえ真実に合致するものであつても,その者のプライバシーとして法律上の保護を受け,これをみだりに公開することは許されず,違法に他人のプライバシーを侵害することは不法行為を構成するものといわなければならない。このことは,私人による公開であつても,国や地方公共団体による公開であつても変わるところはない。国又は地方公共団体においては,行政上の要請など公益上の必要性から個人の情報を収集保管することがますます増大しているのであるが,それと同時に,収集された情報がみだりに公開されてプライバシーが侵害されたりすることのないように情報の管理を厳にする必要も高まつているといつてよい。近時,国又は地方公共団体の保管する情報について,それを広く公開することに対する要求もつよまつてきている。しかし,このことも個人のプライバシーの重要性を減退せしめるものではなく,個人の秘密に属する情報を保管する機関には,プライバシーを侵害しないよう格別に慎重な配慮が求められるのである。

 本件で問題とされた前科等は,個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つであり,それに関する情報への接近をきわめて困難なものとし,その秘密の保護がはかられているのもそのためである。もとより前科等も完全に秘匿されるものではなく,それを公開する必要の生ずることもありうるが,公開が許されるためには,裁判のために公開される場合であつても,その公開が公正な裁判の実現のために必須のものであり,他に代わるべき立証手段がないときなどのように,プライバシーに優越する利益が存在するのでなければならず,その場合でも必要最小限の範囲に限つて公開しうるにとどまるのである。このように考えると,人の前科等の情報を保管する機関には,その秘密の保持につきとくに厳格な注意義務が課せられていると解すべきである。本件の場合,京都弁護士会長の照会に応じて被上告人の前科等を報告した中京区長の過失の有無について反対意見の指摘するような事情が認められるとしても,同区長が前述のようなきびしい守秘義務を負つていることと,それに加えて,昭和二二年地方自治法の施行に際して市町村の機能から犯罪人名簿の保管が除外されたが,その後も実際上市町村役場に犯罪人名簿が作成保護されているのは,公職選挙法の定めるところにより選挙権及び被選挙権の調査をする必要があることによるものであること(このことは,原判決の確定するところである。)を考慮すれば,同区長が前科等の情報を保管する者としての義務に忠実であつたとはいえず,同区長に対し過失の責めを問うことが酷に過ぎるとはいえないものと考える。

 裁判官環昌一の反対意見は,次のとおりである。

 前科等は人の名誉,信用にかかわるものであるから,前科等のある者がこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有することは,多数意見の判示するとおりである。しかしながら,現行法制のもとにおいては,右のような者に関して生ずる法律関係について前科等の存在がなお法律上直接影響を及ぼすものとされる場合が少なくないのであり,刑事関係において量刑上の資料等として考慮され,あるいは法令によつて定められている人の資格における欠格事由の一つとして考慮される場合等がこれに当たる。このような場合にそなえて国又は公共団体が人の前科等の存否の認定に誤りがないようにするための正確な資料を整備保管しておく必要があるが,同時にこの事務を管掌する公務員の一般的義務として該当者の前科等に関する前述の利益を守るため右の資料等に基づく証明行為を行うについて限度を超えることがないようにすべきこともまた当然である。

 ところで,原判決の認定するところ及び記録によれば,右にのべた資料の一つと認められるいわゆる犯罪人名簿は,もともと大正六年四月一二日の内務省訓令一号により市区町村長が作成保管すべきものとされてきたものであるが,戦後においては昭和二一年一一月一二日内務省発地第二七九号による同省地方局長の都道府県知事あて通達によつて選挙資格の調査等の資料として引きつづき作成保管され,同二二年地方自治法が施行されてのちも明文上の根拠規定のないまま従来どおり継続して作成保管され今日にいたつていること,右昭和二一年の内務省地方局長通達によれば,犯罪人名簿は選挙資格の調査のために調製保存されるものであるから警察,検事局,裁判所等の照会に対するものは格別これを身元証明等のために絶対使用してはならない旨指示されていること,さらに昭和二二年八月一四日内務省発地第一六〇号による同省地方局長の都道府県知事あて通達によれば,右の警察,検事局,裁判所等の中には獣医師免許等の免許処分や当時における弁護士の登録等に関しては関係主務大臣,都道府県知事,市町村長をも含むものである旨指示されていることが明らかである。以上の経緯に徴すると,犯罪人名簿に関する照会に対しその保管者である市区町村長の行う回答等の事務は,広く公務員に認められている守秘義務によつて護られた官公署の内部における相互の共助的事務として慣行的に行われているものとみるべきものである。したがつて,官公署以外の者からする照会等に対してはもとより官公署からの照会等に対してであつても,前述した前科等の存否が法律上の効果に直接影響を及ぼすような場合のほかは前記のような名誉等の保護の見地から市町村長としてこれに応ずべきものではないといわなければならない。前記各通達が身元証明等のために前科人名簿を使用することを禁ずる旨をのべているのは右の趣旨に出たものと解せられる。

 そこでこれを本件について考えてみる。

 本件は,前記各通達のあつたのちに制定施行された弁護士法二三条の二の規定に基づき,所属の弁護士から申出を受けた弁護士会が照会を必要とする事由として「中央労働委員会,京都地方裁判所に提出するため」と記載された文書をもつてした被上告人の前科等の存否についての照会に対する回答に関する事案であるが,このような経緯や右文書の記載は,中央労働委員会及び京都地方裁判所において被上告人に関する労働関係事案の審理が現に進行中であり,右事案に対する法律判断に被上告人の前科等の存否が直接影響をもつような事情にあることを推認させるものということができる。

 そして,右弁護士法二三条の二の規定が弁護士会に公務所に照会して必要な事項の報告を求めることができる権限を与えている関係おいては,弁護士会を一個の官公署の性格をもつものとする法意に出たものと解するのが相当である。このことは弁護士会は所属弁護士に対する独立した監督権,懲戒権を与えられ(弁護士法三一条一項,五六条二項),前記所属の弁護士よりの照会の申出についても独自の判断に基づいてこれを拒絶することが認められており(同法二三条の二第一項),また,弁護士にはその職務上知り得た秘密を保持する権利義務のあることが明定されている(同法二三条,なお刑法一三四条一項参照)ことにかんがみ実質的にも首肯することができるのである(なお記録によれば地方自治庁においても昭和二四年一二月一九日弁護士法による弁護士登録の場合の資格審査について弁護士会の照会に応じて差し支えないものと通達していることをうかがうことができる。)。右にのべたところに加えて雇傭契約その他の労働関係についての民事法上の判断に当事者の前科等の存否が直接影響を及ぼすことはありえないとするような見解が判例等により一般に承認されているとみることもできないことを併せ考えると,上告人京都市の中京区長は,照会者たる京都弁護士会を裁判所等に準ずる官公署とみたうえ,本件照会が身元証明等を求める場合に当らないばかりでなく,前記のような事情のもとで本件回答書が中央労働委員会及び裁判所に提出されることによつてその内容がみだりに公開されるおそれのないものであるとの判断に立つて前記官公署間における共助的事務の処理と同様に取り扱い回答をしたものと思われるのであるが,このような取り扱いをしたことは,他に特段の事情の存することが認められない限り,弁護士法二三条の二の規定に関する一個の解釈として十分成り立ちうる見解に立脚したものとして被上告人の名誉等の保護に対する配慮に特に欠けるところがあつたものというべきではないから,同区長に対し少なくとも過失の責めを問うことは酷に過ぎ相当でない。この点に関して原判決は昭和三六年一月三一日自治省自治丁行発七号による同省行政課長の愛知県総務部長あての回答の存在や原審証人岸昌の証言により認められる事実,甲第一一,一二号証の記載を援用して以上のべたところと反対の結論をみちびいているのであるが,記録にあらわれたところによつてみる限り,これらの資料によつては未だ右特段の事情の存することが十分に明らかになつているとは思われない。そうすると,以上のべたところと結論を異にし上告人の中京区長の過失をたやすく肯定した原判決はその余の点についての判断をまつまでもなく破棄を免れず,論旨は理由がある。よつて,本件は更に審理を尽くさせるためこれを原審に差し戻すのが相当である。

   (寺田治郎 環昌一 横井大三 伊藤正己) 

上告代理人納富義光の上告理由

一,上告理由第一点

 (イ) 原審は「何人も自己の名誉,信用,プライバシーに関する事項については,不当に他に知らされずに生活する権利を有し,前科,犯罪経歴は右事項に深い関係を有するものとして不当に他に知らされてはならず,これは人の基本的権利として尊重されなければならないものである。前科や犯罪経歴が公表され,又は,他に知らされるのは,法令に根拠のある場合とか,公共の福祉による要請が優先する場合等に限定されるべきものである。

 犯罪人名簿が前記の目的をもつて作成,保管されるものであり,前科や犯罪経歴の公表が右のように慎重に取扱わなければならないことから考えると,犯罪人名簿の使用についても,同様の配慮がなされねばならない。これを保管する市町村が本来の目的である選挙権及び被選挙権の資格の調査,判断に使用するほかは,裁判所,検察庁,警察,その他都道府県知事,市町村町等の行政庁が法令の適用,又は,法律上の資格を調査,判断するために使用するとして照会した場合,弁護士会が弁護士名簿に登録の請求を受けその資格の審査に関し調査,判断するために使用するとして照会した場合等にこれに回答するために使用する場合に限られ,一般的な身許証明や照会等に応じ回答するために使用すべきではないと解するのが相当である」と判示され,この見解は「昭和三六年一月三一日付自治省行政課長から愛知県総務部長宛の回答」の「趣旨に沿うものである」と述べられる。

 (ロ) 然しながら,上告人は,弁護士法第二三条の二の趣旨は左の如く解すべきものと考える。

  (1) 先ず弁護士法第二三条の二の規定の沿革から考えてみる。現行弁護士法は幾多の曲折を経た上裁判所法や検察庁法におくれること二年,第五国会において議員立法として提出せられ,昭和二十四年六月一日法律第二〇号として,成立したものであるが,現行弁護士法がその制定のため国会で審議された当時,衆議院が可決して参議院に送付した弁護士法案中には本条に相当する条文は含まれていなかつた。これに対し参議院は現行法第二三条の秘密保持の権利及び義務に関する規定を職務上の権利及び義務に関する規定に改め,「弁護士は,その職務を執行するため必要な事実の調査及び証拠の収集を行うことができる。但し相手方は,正当な理由がある場合にはこれを拒むことができる」と修正の上,衆議院に回付した。しかし衆議院は弁護士にこのような権利を認めることは相当でないとの考えから,憲法第五九条二項により,出席議員の三分の二の多数で再議決し,もつて原案どうり新弁護士法が成立,結局この段階では弁護士についてはもとより弁護士会についても照会制度に関する規定は設けられるに至らなかつた。その後第一〇回国会に至り現行法第二三条の二の規定が新設せらるることとなつた(飯畑正男,弁護士法第二三条の二―その実証的研究,第二東京弁護士会叢書第一号二頁,福原忠男,弁護士法二一七頁参照)。

  (2) このような本条の沿革に本条の重要性が認められるものと考える。蓋し,弁護士の職責の重要性が認識されて来た証左と見られるからである。およそ弁護士の使命は基本的人権を擁護し,社会正義を実現するにある。そしてこの使命は多くの場合裁判を通じて実現される。従つて弁護士には裁判を公正ならしめるため訴訟資料の収集を必要とする場合がある。このような訴訟資料が公務所その他公私の団体が保管している場合には,これらの資料を集め,それを証拠にすることによつて更に一層公正な裁判を期待し得るのである。この趣旨からいえば,個々の弁護士に資料収集権を与えるのが最も理想的であるが,この権利の重要さの故に更に慎重な配慮が加えられ,個々の弁護士に与えず,個々の弁護士を強制加入させ国からその監督権を委任された公法人である弁護士会に附与することとし,個々の弁護士の照会申出が不適当と思われるときはこの申出を拒否することができるものとし,弁護士会の照会権の行使を一段と慎重ならしめたのである。要するに,弁護士会の照会権なるものは,弁護士の使命たる基本的人権を擁護し,社会正義を実現するための手段として認められたものであり,高度の公共性を帯有する権利であるといわねばならない。

 然らば弁護士会より照会を受け,報告を求められた公務所又は公私の団体はこれに対応する報告義務を有するかということが問題であるが,弁護士会に明文をもつてこのような照会権が与えられている以上,直接的な強制力はないとしても,相手方も報告義務を有していると解するのが正当である(飯畑,前掲二六頁,福原,前掲二一八頁参照)。

 本条二項は,犯罪捜査に関する刑事訴訟法第一九七条二項の規定とほぼ同文である。この規定により,捜査機関から報告を求められた公務所又は公私の団体は報告義務を負わされるのであるから,たとえこれを強制する手段がないとしても,これは捜査上の強制処分の一種であると解するのが通説である(滝川,平場,中武,刑訴コンメンタール二六一頁,高田卓爾,刑事訴訟法三六三頁)。又民事訴訟法第二六二条による裁判所の嘱託についても各機関は応嘱義務を有すると解せられている(三ヶ月章,民事訴訟法,法律学全集四二六頁)。これらの権利はいずれも公訴の提起や裁判の公正を期するために,捜査機関や裁判所に与えられた権限であるが,究極するところ,基本的人権を擁護し,社会正義を実現するための手段として認められたものであるから,これと同様の目的のため弁護士会に与えられた照会権を右の権限より軽視し,別異に解する理由はあり得ない。

  (3) 弁護士は弁護士法第二三条の規定により守秘義務を有しているのであるから,当然弁護士会も守秘義務を有するものと解すべきであり,この点においても裁判所や検察庁と同列である。したがつて裁判所や検察庁から報告を求められた事項がたとえ個人のプライバシーにかかわることであつても,公務所又は公私の団体は報告義務を有するのであれば,弁護士会の照会についても同様に解すべきであり,裁判所や検察庁の場合と別異に解し,照会事項が個人のプライバシーに関する場合には公務所又は公私の団体は弁護士会に対しては報告すべきではないと解することは,いやしくも国より公認された弁護士を強制加入させ国からその管理の権能を委任された公的な法人である弁護士会の地位を,裁判所や検察庁より下位に置く考え方であり,弁護士会の権威を害することこれより甚しきはない。裁判所,検察庁,弁護士会は三者一体となり,基本的人権の擁護,社会正義の実現を使命とする点からしても,三者は対等の法的地位を有するものと解するのが相当である。

  (4) 次に問題とされるべきは守秘義務と報告義務との関係である。困難な問題であるが,報告を求められた事項が守秘事項に属するときは,弁護士会の照会権の公共性と守秘事項の保護利益とを比較対照し,前者が後者より大なるときは,報告義務が優先し,違法阻却事由が認められ,逆の場合には守秘義務が優先し,報告を拒否する正当事由が認められると解するものと考える。

 本件は,犯罪歴についての京都弁護士会の照会に対し,上告人中京区長が回答したことが問題となつている事案である。前科の有無は個人のプライバシーの領域に属しており必要止を得ない場合以外は暴露すべきではないことは勿論であるが(五十嵐清,田宮裕,名誉とプライバシー,九四頁),弁護士会が所属弁護士の申出を適当と判断して照会権を行使した以上,照会権の公共性は個人のプライバシーの保護より大であると考えられるから,真実発見という司法の利益と衝突する場合には個人のプライバシーは法的な保護を受け得ないものといわねばならない(五十嵐,田宮両氏は新聞記者の取材の秘匿権につき同様の見解を述べられている。前掲一二三頁)。なお報告された事項を当該弁護士が如何ように利用するかは当該弁護士の問題であり,弁護士会と報告者との間における限り,前述のところよりプライバシー侵害の問題は起り得ないと考える。

  (5) 叙上の見地から,上告人中京区長の回答は少なくとも弁護士会との関係においては当然回答すべきものであり,被上告人のプライバシー侵害は違法性を阻却せられ正当性が与えられると考える。なお余論ではあるが,弁護士会は照会権行使に当り申出事項の適不適をもつと慎重に検討すべきであると考えるが,照会権が前述の如き理念に基き弁護士会に附与せられた権利である以上,弁護士会が,申出事項を適当と判断し照会権を行使した限り,相手方は報告義務を負担すると解すべきであり,現実の運営の如何により照会権の重要性を軽視すべきではない。

 (ハ) 要するに上告人の見解は,守秘義務を有する弁護士会の照会権の行使と,その行使によつて報告を得た当該弁護士の守秘義務とは別個の問題であり,当該弁護士が守秘義務に違反して個人の前科や犯罪歴を漏洩し,当該弁護士につき名誉毀損の問題が起つたとしても,それはあくまで当該弁護士の責に帰すべきであり,弁護士会の照会権の行使とはいささかも関係のない事柄である。上告人は右の見地より,弁護士法第二三条の二に関する原審の解釈は,同条の沿革及びその立法趣旨からいつても到底正当となすことを得ない。したがつて上告人の見地からは,上告人が損害賠償責任を負担する理由は毫も存在しないものといわねばならない。

二,上告理由第二点

 (イ) 原審は「弁護士又は弁護士であつた者は,その職務上知り得た秘密を保持する権利を有し義務を負う(弁護士法二三条本文)。しかし,その義務は,弁護士が依頼者の請求により委任事務の処理状況を報告する義務(民法六四五条)に優先するものとは解し難い。弁護士が,その職務上知り得た対立当事者らの秘密は,依頼者の請求があれば,これを依頼者に告げざるを得ないし,依頼者に対して対立当事者らの秘密を告げた後に,依頼者がその秘密を漏洩,濫用することを有効に阻止するための制度上の保障は存在しない。弁護士法二三条の二の照会,報告の制度は,弁護士及び弁護士会を経由して私人に情報を得させ,これを自由に利用させる結果をもたらすことを否定し難いのである。してみると,市町村は前科等について弁護士法二三条の二に基く照会があつた場合には,報告を拒否すべき正当事由がある場合に該当すると解するのが相当である」と判示し,これを前提として「本件の場合,照会について,報告を拒否すべき場合であつたと言うべきであり,これを拒否することなく報告した中京区長の行為は違法であつたといわなければならない」と断ぜられている。しかし,上告人は,原審の指摘されるような結果が起る可能性があるという理由で,弁護士法が弁護士会に与えた照会権(たとえ前科についてであつても)を否定するという論理には到底承服できない。原審が判示されるような結果は,刑事事件につき検察庁から裁判所に証拠として提出された被告人の前科,犯罪歴についても起り得る可能性はあるのであつて(たとえば被告人に対する民事訴訟事件に刑事記録を取寄せる等)要は弁護士の守秘義務についての自覚にまつより仕方のないものであつて,当該弁護士が他に漏洩したからといつて,検察庁の証拠としての提出を批難し得ないのと同様である。

 (ロ) 上告人としては,前記のように中京区長の報告は違法ではないと考えるが,仮りに中京区長の回答が弁護士会との関係においても違法性は阻却されないとしても,侵害と被上告人主張の損害との因果関係は左の如き結果となる。なお上告人としては,不法行為についても民法第四一六条の規定が類推適用されるとの立場を採る。

  (1) 上告人中京区長は,京都弁護士会の「中央労働委員会と京都地方裁判所に提出するため」に必要とするとして発せられた照会に対し,被上告人の前科を回答したのである。これが被上告人のプライバシーの侵害になるとしても,回答の相手は守秘義務を有する京都弁護士会であり,照会を申出た弁護士ではないから,当該弁護士の介在によつて,被上告人の損害との間の因果関係は中断されている。

  (2) 更に被上告人は本件では,右の回答を利用して訴外株式会社ニュードライバー教習所が経歴詐称を理由として予備的解雇したという事実を前提として,これによる損害まで請求される。仮りにこのような事実があつたとしても,中京区長は照会書に「中央労働委員会と京都地方裁判所に提出するため」と記載されていたので,回答をしたのであつて,もし「原告を予備的解雇するため」に必要と記載されていたら回答しなかつたであろうことは確信をもつて断言し得る。中京区長は自分の回答が被上告人に対する予備的解雇に利用される如きは夢想だにしなかつたことである。従つて中京区長としては被上告人の予備的解雇は予見の範囲外の事柄であるから上告人としても予備的解雇による被上告人の損害については,その賠償の責に任ずる限りではない。

 (ハ) 原審は「不法行為の成立するためには,違法な行為と損害との間に相当因果関係の存在を要件とする。そして前記認定のような照会があつた場合に,これに対する報告により,控訴人に前科の存在することが対立当事者である訴外会社に知らされ,かつ,労働委員会及び裁判所に訴訟資料として提出される等により公表されること,これによつて,控訴人の名誉が毀損されることは十分予見することが可能であつたということができ,これによつて控訴人が精神的打撃を受けたことは明らかである」判示されている。

  (1) しかし原審判示の如く,予見可能であつたとしても,弁護士会に照会を申しでた弁護士が依頼者に対してのみ被上告人の前科を知らせ,報告書を労働委員会及び裁判所に訴訟資料として提出したことによつて,果して被上告人の名誉を毀損したことになるであろうか。原審は「公表」といわれるが,果してこれらの行為が一般通念の意味で果して「公表」といえるであろうか。原審判示の如くんば,攻撃防禦の方法として必要があつても,相手方の名誉を毀損する如き証拠は提出し得ないことになり,公正な裁判すら受け得ない場合が生ずる。上告人としては,弁護士が依頼者に対してのみ知らせた限度(原審も弁護士の守秘義務より委任事務の処理の状況を依頼者に報告する義務の方が優先すると判示されている),或は攻撃防禦の必要から労働委員会又は裁判所に訴訟資料として提出した限度では,名誉毀損は成立しないものと考える。ただし知らされた事実又は提出された訴訟資料が真実でなかつた場合は別問題である(加藤一郎,不法行為,法律学全集一二八頁)。したがつて,原審が判示せらるる如き事実につき予見が可能であつても,中京区長につき損害賠償の問題は起る余地はない。

  (2) 原審は「同会社は右報告によつて控訴人の前科を知り,その後,同会社幹部らは,中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で,控訴人の事件等の審理終了後等に,事件関係者や傍聴のため集つていた者らの前で控訴人の前科を摘示し,また,同会社は,控訴人がこの前科を秘匿して入社したことをもつて経歴詐称であるとして昭和四六年七月二一日予備的解雇した」との事実を認定し,又被上告人に対する慰藉料を金二〇万円とすることを相当とする理由を「(前記前科の公表は,前示のとおり中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で,限られた人々の前でなされたに過ぎないのであるから,これによつて控訴人の社会的名誉につきいうに足る低下をもたらしたものとは解し難く……)」という点に求められている。原審は茲でも「公表」という言葉を用いられているが,上告人も判示の事実は「公表」に当ると考える。しかし中京区長がこのような方法による「公表」まで予見可能であつたとすることは一般社会通念に反する。したがつて,右の如き「公表」により,被上告人が名誉を毀損されたとしても,それは訴外会社幹部の責に帰すべきであり,仮りに中京区長の報告が原審判示の如く違法であつても(ただし前記の如く上告人は違法とは考えていない),被上告人の損害との間の因果関係は中断されている。

 (ニ) 右の見地より,上告人は,原審の不法行為に関する見解は,不法行為成立要件に関しても,また,相当因果関係論に照しても誤つているものであり,上告人は被上告人に対し損害賠償の責に任ずべき理はないと考える。

三,結語

 叙上により上告人は原判決の違法性を指摘したが,この違法は,判決に影響を及ぼすこと明なる法令の違背ある場合に相当するものと思料する。

以上 

 主  文

 原判決を次のとおり変更する。

 被控訴人は控訴人に対し金二五万円及びうち金二〇万円に対する昭和四九年一二月七日から,うち金五万円に対するこの判決確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

 控訴人のその余の請求を棄却する。

 訴訟費用はこれを二〇分し,その一を被控訴人の負担としその余を控訴人の負担とする。

   事  実

 一 当事者の求めた裁判

  (控訴人)

 原判決を取消す。

 被控訴人は控訴人に対し金五五〇万円及びこれに対する昭和四九年一二月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

 被控訴人は控訴人に対しB五判の用紙に四号活字で書いた別紙記載の謝罪文を交付せよ。

 訴訟費用は第一,二審とも被控訴人の負担とする。

  (被控訴人)

 本件控訴を棄却する。

 控訴費用は控訴人の負担とする。

 二 主張及び証拠

 当事者双方の主張及び証拠の関係は,次に付加するほか,原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

  (控訴人の主張)

  1 被控訴人は,公職選挙法上の選挙権,被選挙権の資格の調査,判断の目的にのみ犯罪人名簿を作成保管し,使用すべきであつて,その限度でのみ合法性が認められ,したがつてまた,選挙権,被選挙権の資格を判断する目的で行政庁,裁判所等から法律上の根拠に基づいて照会のある場合にのみ回答すべきである。右の目的以外には,保管すべきではなく,特に前科を知られない権利は,プライバシーの権利として最たるものであるから,右の目的以外には使用すべきではない。前科について,弁護士から被控訴人の行政機関たる区長に対して照会をするのは筋ちがいであり,行政機関としてはこれに応ずべきではない。そうでなければ他の目的に使用を許し,その結果として前科を知られない権利が侵害されることになるのである。

  2 個人の基本的人権(プライバシーの権利)の制限が許されるのは公共の福祉の要請による場合だけであつて,その場合でも,公共の福祉の要請する具体的内容と,侵害,制限される基本的人権とを事案毎に比較衡量し判断しなければならず,弁護士法二三条の二に弁護士会の照会権を認めていても,いかなる保護法益にも勝る絶対無制約のものではなく,照会権の公共性は,照会事項と,使用目的によつて異るものであるから,これに対する報告によつて個人のプライバシーが侵害されてもやむを得ないとはいえない。照会によつて得られる利益とこれを拒否することによつて得られる利益とを比較衡量し,後者が,前者に優越するときは拒否するについて正当な理由がある場合として報告をすべきではなく,これを拒否せずに報告した場合には,それは違法である。個人のプライバシーに優先するような重大な法益保護のためにのみこれについて照会し,報告しうるものであつて,前科に関するプライバシーに勝る法益は存在しないばかりか,本件の場合には,「中労委に提出する」目的で「前科及び犯罪経歴」の照会がされているのであつて,そこに何らの公共性もない。

  3 中京区長は,プライバシーの中でもとりわけ重要な前科等を知られたくない権利と,弁護士会の照会に対する報告が中労委の労働事件に証拠として使用されることとを比較衡量するならば,後者は,一私企業が労働紛争事件の資料に使用するにすぎず,公共性がすくないことを看取することができるから,本件照会に対し報告すべきでないのに右の比較衡量をせず,また,自治省行政課長の回答の存在や前例についての調査もしないで報告したことは過失がある。

  4 控訴人は,本件報告がなされたことにより前科を他人に知られ著しく名誉・信用・プライバシーを侵害された。また,右報告を利用されて株式会社ニユードライバー教習所から予備的解雇をされ,職場復帰の期待が遠のき失望の極にあり,解雇をめぐつて多くの裁判等をかかえ多大な労力,費用を費している。

  (被控訴人の主張)

  1 行政庁における犯罪人名簿の整備等についての各地方長官宛通知には,次のものがある。

   (一) 昭和二一年一一月一二日内務省発地第二七九号

 標記名簿(注,犯罪人名簿)は大正六年四月訓令第一号本籍人名簿整備方及び昭和二年訓令第三号入寄留者犯人名簿整備方により,それぞれ整備致しておることと思うが,これは,何れも選挙資格の調査のために調整保存しているのであるから,警察,検事局,裁判所等の照会に対するものは格別,これを身元証明等のために使用するようなことは絶対にこれを避けるのは勿論,恩赦に因り資格を回復した者については,速に関係部分を削除整理する等,その者の氏名等を全く認知することができないようにし,犯罪人名簿の処理上些も遺憾なきよう管下市町村を御指導ありたい。

   (二) 昭和二二年八月一四日内務省発地第一六〇号

 標記の件に関しては客年一一月一二日内務省発地第二七九号で通知したところであるが,該通達中「警察,検事局,裁判所等」とあるのは,警察及び司法関係庁のみならず,行政庁が獣医師免許,装蹄師免許等,各種の免許処分又は弁護士,弁理士,計理士等の登録等をする際において,法律により申請者の資格調査を必要とする場合又は下級行政庁等が当該申請書を経由進達する必要がある場合においては,主務大臣,都道府県知事,市町村長を含む意であるから御了知相成りたい。

  2 右の各通知は,弁護士法が昭和二四年九月一日施行された以前のものであるが,同法施行後においても,その趣旨は遵守され,これに沿つた多くの回答があり,控訴人の引用するもの(原判決請求原因第六項)もその一つである。

 しかし,弁護士法は,弁護士会を裁判所,検察庁と対等の地位に置いたもので,弁護士法二三条の二の規定は,民事訴訟法二六二条,刑事訴訟法一九七条二項の規定と同趣旨であり,照会の相手方たる公務所又は公私の団体は報告義務を有するのである。

 従来,弁護士会が照会権を行使するについて,ルーズであつた事もあるが,弁護士会としては,照会権が基本的人権の擁護,社会正義の実現のため必須不可欠の権利であることの趣旨を反省し,この権利の行使には万全を期し,慎重に取扱うべきであり,したがつて,個々の弁護士から照会の申出がなされた場合に,その事項の公共性を充分判断して照会権を行使すべく,その要件を欠くときは申出を拒絶すべきである。

 そして,弁護士会が,弁護士の申出につき公共性ありと判断し,照会権を行使したときは,公務所又は公私の団体は,拒否する正当な事由のない限り報告すべきであり,裁判所,検察庁から報告を求められた事項が,たとえ個人のプライバシーにかかわることであつても,公務所又は公私の団体が報告義務を有するのであれば,弁護士会の照会についても同様に解すべきである。何故ならば,弁護士会は,国家的に公認された弁護士を強制加入させ,国家からその管理の権能を委任された公的法人で,基本的人権の擁護,社会正義の実現を使命とするものであつて,裁判所や検察庁より下位に置くべきものではないからである。

 他面において,弁護士会を通じて報告を得た弁護士は,弁護士法二三条により守秘義務を有すると共に,弁護士会も守秘義務を有するのである。

 (控訴人の援用した証拠)〈省略〉

   理  由

 一 訴外猪野愈弁護士の申出により京都弁護士会は昭和四六年五月一九日京都市伏見区役所に弁護士法二三条の二に基づき控訴人の前科,犯罪経歴の照会をしたところ,同区役所はこれを中京区役所に回付し,中京区長松本義之は同年六月四日京都弁護士会に控訴人の前科につき,道路交通法違反一一犯,業務上過失傷害一犯,暴行一犯がある旨報告したことは当事者間に争いがない。

 二 成立に争いのない甲第一,第二号証,第一〇号証,第二〇,第二一号証,郵便官署作成部分について成立に争いがなくその余の部分について原審における控訴人本人尋問の結果により成立の認められる甲第三号証,原審証人中坊浩三の証言により真正に成立したと認められる甲第五号証,原審証人中坊浩三の証言,原審における控訴人本人尋問の結果によると,次の事実を認めることができる。

 控訴人は,訴外株式会社ニユードライバー教習所で,技能指導員をしていたが,同会社から解雇され,同会社との間に,京都地方裁判所の地位保全仮処分命令により従業員たる地位が仮に定められ,これに関連する事件が京都地方裁判所や中央労働委員会に係属していた。そこで,同会社からこれらの事件について委任されていた弁護士猪野愈は,照会を必要とする事由を,「中央労働委員会,京都地方裁判所に提出するため」として,控訴人の「前科及び犯罪経歴について」弁護士法二三条の二に基づき照会の申出をなし,これを受けた京都弁護士会は,右申出書を添付して同法同条二項に基づき照会し,よって,前記報告がされた。同会社は,右報告によつて控訴人の前科を知り,その後,同会社幹部らは,中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で,控訴人の事件等の審理終了後等に,事件関係者や傍聴のため集つていた者らの前で,控訴人の前科を摘示し,また,同会社は,控訴人がこの前科を秘匿して入社したことをもつて経歴詐称であるとして昭和四六年七月二一日予備的解雇した。

 ほかに,右認定を覆すに足る証拠はない。

 三 弁護士法二三条の二の照会は,弁護士が受任事件について,訴訟資料を収集し,事実を調査する等その職務活動を円滑に執行処理するために設けられた規定であつて,弁護士が,基本的人権を擁護し,社会正義を実現することを使命とするものであることに鑑み,右照会の制度もまた公共的性格を有し,弁護士の受任事件が訴訟事件となつた場合には,当事者の立場から裁判所の行う真実の発見と公正な判断に寄与するという結果をもたらすことを目指すものである。

 その権限は,相手方としては公務所又は公私の団体に限定され,かつ,直接個々の弁護士には与えられておらず,弁護士の申出がある場合に,弁護士の指導,連絡,監督に関する事務を行う公的機関としての性格を有する弁護士会が行使し,照会申出について,必要性,相当住を判断し,適当でない場合は右申出を拒絶し,その他の場合は必要事項の報告を求めるものとして,法は,右権限の重要性に鑑みその構成につき慎重な配慮を加えているのである。

 右のような目的と手続のもとになされた照会に対しては,相手方は,自己の職務の執行に支障のある場合及び照会に応じて報告することのもつ公共的利益にも勝り保護しなければならない法益が他に存在する場合を除き,照会の趣旨に応じた報告をなすべき義務があると解するのが相当である。

 そこで,以下,本件が照会に応じて報告することのもつ公共的利益にも勝り保護しなければならない法益が他は存在する場合であつて,報告を拒否すべき正当事由に該当するか否かかについて考える。

 四 大正六年四月一二日の旧内務省訓令一号により,裁判所,検事局,軍法会議からの裁判等の結果通知を本籍の市町村長が整理し,犯罪人名簿を作成して保管していたこと,昭和二一年一一月一二日以降内務省地方局通達により身元証明のため犯罪人名簿を使用することを禁じられ,昭和二二年地方自治法の改正で市町村の機能から犯罪人名簿の保管が除外されたが,現実には市町村役場に犯罪人名簿が保管されていること,被控訴人もまた区ごとに犯罪人名簿を保管していることは当事者間に争いがない。

 そうして,当審証人岸昌の証言によると,現実に市町村が犯罪人名簿を作成保管しているのは,公職選挙法の定めるところにより選挙権及び被選挙権の調査をする必要があることによることが認められ,これは,市町村の固有事務に属すると解されるので,右作成保管をもつて違法ということはできない。

 ところで,何人も自己の名誉,信用,プライバシーに関する事項については,不当に他に知らされずに生活をする権利を有し,前科,犯罪経歴は右事項に深い関係を有するものとして,不当に他に知らされてはならず,これは人の基本的権利として尊重されなければならないものである。前科や犯罪経歴が公表され,又は,他に知らされるのは,法令に根拠のある場合とか,公共の福祉による要請が優先する場合等に限定されるべきものである。

 犯罪人名簿が前記の目的をもつて作成,保管されるものであり,前科や犯罪経歴の公表が右のように慎重に取扱われなければならないことから考えると,犯罪人名簿の使用についても,同様の配慮がされなければならない。これを保管する市町村が,本来の目的である選挙権及び被選挙権の資格の調査,判断に使用するほかは,裁判所,検察庁,警察,その他都道府県知事,市町村長等の行政庁が,法令の適用,又は,法律上の資格を調査,判断するために使用するとして照会した場合(例えば,厚生大臣が医師免許に関し必要としてなす場合,公安委員会が質屋営業の許可に関し必要としてなす場合等免許処分をする場合等),弁護士会が弁護士名簿に登録の請求を受けその資格の審査に関し調査,判断するために使用するとして照会した場合(公認会計士,弁理士等についても同様)等にこれに回答するため使用する場合に限られ,一般的な身元証明や照会等に応じ回答するため使用すべきものではないと解するのが相当である。

 五 弁護士又は弁護士であつた者は,その職務上知り得た秘密を保持する権利を有し義務を負う(弁護士法二三条本文)。しかし,その義務は,弁護士が依頼者の請求により委任事務処理の状況を報告する義務(民法六四五条)に優先するものとは解し難い。弁護士が,その職務上知り得た依頼者の対立当事者らの秘密は,依頼者の請求があれば,これを依頼者に告げざるを得ないし,依頼者に対して対立当事者らの秘密を告げた後に,依頼者がその秘密を漏洩,濫用することを有効に阻止するための制度上の保障は存在しない。弁護士法二三条の二の照会,報告の制度は,弁護士及び弁護士会を経由して私人に情報を得させ,これを自由に利用させる結果をもたらすことを否定し難いのである。してみると,市町村は,前科等について,弁護士法二三条の二に基づく照会があつた場合には,報告を拒否すべき正当事由がある場合に該当すると解するのが相当である。

 本件の場合,照会について,報告を拒否すべき場合であつたと言うべきであり,これを拒否することなく報告した中京区長の行為は違法であつたといわなければならない。

 弁護士会が弁護士から照会についての申出があつた場合に適当かどうかを審査し,適当でない場合にはこれを拒絶し,その他の場合には照会することになつているからと言つて,報告した行為について違法性が阻却されるものではなく,また,責任が免除されるものでもない。

 六 控訴人主張(原判決請求原因第六項)の昭和三六年一月三一日付自治省行政課長から愛知県総務部長宛の回答があることは当事者間に争いがなく,右回答は以上判示した趣旨に沿うものであり,また,成立に争いのない甲第一一,第一二号証,当審における証人岸昌の証言によると,自治省から関係行政庁に対し,数回にわたり,以上判示した趣旨と同様の通知をなし,関係各行政庁においてもその趣旨に沿つて取扱いをしていたこと,被控訴人市における実務もそのように取扱われていたことが認められる。

 そうすると,被控訴人の行政機関である中京区長は,本件照会について以上の点に思いを致し,報告を拒否すべき義務があるのにこれを怠つた過失があつたといわなければならない。

 七 ところで,不法行為の成立するためには,違法な行為と損害との間に相当因果関係の存在を要件とする。そして前記認定のような照会があつた場合に,これに対する報告により,控訴人に前科の存在することが対立当事者である訴外会社に知らされ,かつ,労働委員会及び裁判所に訴訟資料として提出される等により公表されること,これによつて,控訴人の名誉が毀損されることは十分予見することが可能であつたということができ,これによつて控訴人が精神的打撃を受けたことは明らかである。

 しかし,訴外会社が,前記報告により,控訴人の前科の存在を知つて,これを解雇の予備原因として利用するという方法で新たな法律関係を形成し,この効果をめぐつて更に紛争を生起せしめるような特別の事情の存在については中京区長においてこれを予見することが可能であつたことについては証明がない。

 八 控訴人の前記前科の報告,公表による精神的打撃に対する慰藉料としては金二〇万円をもつて相当(前記前科の公表は,前示のとおり,中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で,限られた人々の前でなされたに過ぎないのであるから,これによつて控訴人の社会的名誉につき,いうに足る低下をもたらしたものとは解し難く,名誉回復の方法として謝罪状の交付等が必要であるとは認められない。)とし,弁護士費用相当額の損害については,本件訴訟の経過,難易,認容額等を考慮し金五万円をもつて相当とする。

 中京区長の前記行為は,公権力の行使に当る被控訴人の公務員が,その職務を行うにつき過失により違法に控訴人に損害を加えた場合に該当するから,被控訴人はこれを賠償する責任がある。

 九 よつて,被控訴人は控訴人に対し,右損害合計金二五万円及びうち金二〇万円に対する本件不法行為の後である昭和四九年一二月七日から,うち金五万円に対するこの判決確定の日の翌日(控訴人の主張によれば弁護士に対する報酬は判決後に支払う旨契約したというのであるから,弁護士費用相当額の損害については判決確定の日に弁済期が到来し,その翌日から遅延損害金を支払うべきものと解する。)から,各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり,控訴人の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却すべく,これと異る原判決を変更することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条,八九条,九二条を適用して主文のとおり判決する。

 (裁判官 乾達彦 下郡山信夫 鐘尾彰文)

 (別紙)謝罪文〈省略〉

主文

   原告の請求を棄却する。

   訴訟費用は原告の負担とする。 

事実

(双方の求める裁判)

 原告……(1)被告は原告に対し五五〇万円及びこれに対する昭和(以下に於て略す)四九年一二月七日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。(2)被告は原告にB五判の用紙に四号活字で書いた別紙謝罪文を交付せよ。(3)訴訟費用は被告の負担とする,との判決。

 被告……主文同旨の判決。

(請求原因)

 一,訴外猪野愈弁護士は京都弁護士会を通じ四六年五月一九日京都市伏見区役所に弁護士法二三条の二にもとづき原告の前科犯罪歴の照会をしたところ,伏見区役所はこれを中京区役所に回付した。

 二,このため中京区長松本義之は四六年六月四日京都弁護士会長松浦武二郎あて,道交法違反一一犯,業務上過失傷害一犯,暴行一犯の原告の前科につき回答した。

 三,右回答当時,原告は訴外株式会社ニュードライバー教習所の技能指導員であり原告と右訴外会社間の地位保全仮処分命令申請事件で従業員たる地位が仮に定められていたところ,四六年七月二一日訴外会社は原告に原告の前科を発見したこと,原告がこの前科を秘匿して入社した経歴詐称を理由に予備的解雇をしてきた。右予備的解雇の効力については裁判所における事情変更による仮処分取消申立事件,仮処分異議事件,解雇無効確認請求事件,中労委における不当労働行為再審査申立事件で争われている。

 四,被告が犯罪人名薄を保管しているのは大正六年四月一二日の旧内務省訓令一号により裁判所,検事局,軍法会議からの通知を本籍地の市区町村長が整理保管していたためであり,二一年一一月一二日以降,内務省地方局通達により身分証明から犯罪人名薄が外され,二二年の地方自治法改正で市町村の機能から犯罪人名薄の保管が除外されたが現実には市町村役場に犯罪人名薄が存している。

 五,被告が犯罪人名薄を保管していること自体問題であるがそれは選挙資格の調査にのみ利用さるべきで他の目的に利用してはならない。

 六,弁護士法二三条の二による照会は弁護士が受任事件の円満処理のための調査活動の一環として認められた制度であるがそのため委任者ならざる第三者の前科や犯歴を知られたくない権利が犯されてはならない。市民の前科,犯歴は当人の名誉,信用,プライバシーに深くかゝわることで,それを不必要に知られたくない権利を有するから被告はこの照会を断るべきであつたのにこれを回答したことは違法である。三六年一月三一日自治丁発七号愛知県総務部長宛の行政課長回答は「市町村長の調整保管する犯罪人名簿は選挙資格を調査するためのもので従来からの自治省通達により警察,裁判所の外都道府県知事,市町村長等の行政庁が法律上の資格調査のために行う照会に対しては格別,一般の身元調査等には回答しない取扱とする旨通達されているが,熱田区長あて東京弁護士会長から弁護士法二三条の二による照会についても回答できないものと解してよろしいか」という問に対し「お見込のとおり」と回答しているし被告の中京区役所以外はこの照会に回答していないし,照会先を誤つた場合廻送さえしていない。

 七,原告は被告のこの回答のためプライバシーを侵され株式会社ニュードライバー教習所から予備的解雇を通告され職場復帰の期待が遠のき失望の極にあり,この解雇をめぐる幾つもの裁判等を抱え多大の労力費用を要している。このため原告は何回となく被告方へ赴き交渉したが被告は誠意ある回答をしない。

 八,本件の弁護士会からの照会には中労委に提出するためと書いてあつたから,中京区役所は,これが労働事件に悪用されるのでないか,いかなる労働事件かを京都地労委に問合わすべきであつたのにそれを考えず,通達の有無を調べなかつたことは過失によるものであるから被告は原告がこのため被つた損害を賠償すべきである。

 九,よつて原告は被告に五〇〇万円の損害賠償と別紙のような謝罪文の交付及び原告が本件訴訟代理人に本件訴訟を委任し判決後五〇万円の報酬を支払う旨契約したのでこの合計五五〇万円とこれに対する本件訴状送達の翌日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める。

(被告の答弁と主張)

 一,原告の請求原因,一,二,四の事実,同六のうち,弁護士法二三条の二の趣旨,市民が前科,犯歴を不必要に知られたくない権利を有すること,原告主張のような愛知県総務部長に対する回答があること,原告より被告に交渉があつたことは認めるが他は争う。

 二,犯罪人名薄は公職選挙法一一条三項との関係で市町村が作成しているものであるが,これの作成を市町村に義務づけた法令はなく機関委任事務でなく固有の事務と解されている。

 三,主位的主張

  (1) 先ず弁護士法二三条の二の規定の沿革から考えてみるに現行弁護士法は幾多の曲折を経た上裁判所法や検察庁法におくれること二年,第五国会において議員立法として提出せられ,二四年六月一日法律二〇号として成立したものであるが,現行弁護士法がその制定のため国会で審議された当時,衆議院が可決して参議院に送付した弁護士法案中には本条に相当する条文は含まれてなかつた。これに対し参議院は現行法二三条の秘密保持の権利及び義務に関する規定を職務上の権利及び義務に関する規定に改め,「弁護士は,その職務を執行するため必要な事実の調査及び証拠の収集を行うことができる。但し相手方は,正当な理由がある場合にはこれを拒むことができる」と修正の上,衆議院に回付した。しかし衆議院は弁護士にこのような権利を認めることは相当でないとの考えから,憲法五九条二項により,出席議員の三分の二の多数で再議決し,もつて原案どおり新弁護士法が成立,結局この段階では弁護士についてはもとより弁護士会についても照会制度に関する規絡は設けられるに至らなかつた。その後第一〇回国会に至り現行法二三条の二の規定が新設せらるることとなつた(飯畑正男,弁護士法二三条の二―その実証的研究,第二東京弁護士会叢書一号二頁,福原忠男,弁護士法二一七頁参照)。

  (2) このような沿革に本条の重要性が認められるものと考える。蓋し,弁護士の職責の重要性が認識されてきた証左と見られるからである。およそ弁護士の使命は基本的人権を擁護し,社会主義を実現するにある。そしてこの使命は多くの場合裁判を通じて実現される。従つて弁護士には裁判を公正ならしめるため訴訟資料の収集を必要とする場合がある。このような訴訟資料が公務所その他公私の団体が保管している場合には,これらの資料を集め,それを証拠にすることによつて一層公正な裁判を期待し得るのである。この趣旨からいえば,個々の弁護士に資料収集権を与えるのが理想的であるが,この権利の重要さの故に一層の配慮が加えられ,個々の弁護士には与えず,個々の弁護士を強制加入させ国家からその監督権を委任された公法人である弁護士会に附与することとし,個々の弁護士の照会申出が不適当と思われるときはこの申出を拒否することができるものとし,弁護士会の照会権の行使を一段と慎重ならしめたのである。要するに,弁護士会の照会権なるものは,弁護士の使命たる基本的人権を擁護し,社会正義を実現するための手段として認められたものであり,高度の公共性を帯有する権利であるといわねばならない。

 然らば弁護士会より照会を受け,報告を求められた公務所又は公私の団体はこれに対応する報告義務を有するかというに明文をもつて弁護士会にこのような照会権が与えられている以上,直接的な強制力はないとしても,相手方も報告義務を有していると解するのが正当である(飯畑,前掲二六頁,福原,前掲二一八頁参照)。

 本条二項は,犯罪捜査に関する刑事訴訟法一九七条二項の規定とほぼ同文である。この規定に関し,捜査機関から報告を求められた公務所又は公私の団体はその欲すると否とにかかわらず報告の義務を負わされるのであるから,たとえこれを強制する手段がないとしても,これは捜査上の強制処分の一種であると解するのが通説である(滝川,平場,中武,刑訴コンメンタール二六一頁,高田卓爾,刑事訴訟法三六三頁)。又民事訴訟法二六二条による裁判所の嘱託についても各機関は応嘱義務があると解せられている(三ケ月章民事訴訟法法律学全集四二六頁)。

 これらの権利はいずれも公訴の提起や裁判の公正を期するために捜査機関や裁判所に与えられた権限であるが,窮極するところ,基本的人権を擁護し社会正義を実現するための手段として認められたものであるから,これと同様の目的のため弁護士会に与えられた照会権を右の権限より軽視し,別異に解する理由はあり得ない。かくして被告は「弁護士法二三条の二の規定の趣旨は,基本的人権を擁護し,社会正義を実現することを使命とする弁護士の職務の公的性格の特殊性に鑑み,弁護士の右使命の遂行を容易ならしめることを目的としたものであつて,照会を受けた公務所又は公私の団体は自己の職務に支障なき限り弁護士会に対して協力し,原則としてその照会の趣旨に応じた報告をなす義務を負うと解すべきである」と判示した岐阜地方裁判所の判示を正当と信ずる(同地裁,四六年一二月二〇日判決,判例時報六六四号七五頁以下)。

  (3) 次に問題とせらるべきは守秘義務と報告義務との関係であつて困難な問題であるが,報告を求められた事項が守秘事項に属すときは,弁護士会の照会権の公共性と守秘事項の保護利益とを比較対照し,前者が後者より大なるときは,報告義務が優先し,違法阻却事由が認められ,逆の場合には守秘義務が優先し,報告を拒否する正当事由が認められると解すべきものと考える。

 本件は,犯罪歴についての京都弁護士会の照会に対し,被告の中京区長が回答したことが問題となつている事案である。前科の有無は個人のプライバシーの領域に属しており必要やむを得ない場合以外は暴露すべきではないことは勿論であるが(五十嵐清,田宮裕,名誉とプライバシー,九四頁),弁護士会が所属弁護士の申出を適当と判断して照会権を行使した以上,照会権の公共性は個人のプライバシーの保護より大であると考えられるから,真実発見という司法の利益と衝突する場合には個人のプライバシーは法的な保護を受け得ないものといわねばならない(五十嵐,田宮両氏は新聞記者の取材の秘匿権につき同様の見解を述べている。前掲一二三頁)。なお報告された事項を当該弁護士が如何ように利用するかは当該弁護士の問題であり,弁護士会と報告者との間における限り,前述のところよりプライバシー侵害の問題は起り得ないと考える。

 福原前掲書は本条と弁護士の秘密保持義務との関係につき「本条により弁護士が申出をする場合にはその受任している事件の内容についてある程度のものを所属弁護士会に告げることになるので前条の秘密保持の義務との間に抵触する虞はないかと考えられるのであるが,弁護士会そのものもその組織と機能に照らして秘密保持を義務付けられているのであるから,これに必要限度の事実の告知をすることは義務違反と認めるべき性質のものではない」と論じている(前掲二一八頁)。

  (4) 叙上の見地から,被告の中京区長の回答は少なくとも弁護士会との関係においては当然回答すべきものであり,原告のプライバシー侵害は違法性を阻却せられ正当性が与えられると考える。なお,弁護士会は照会権行使に当り申出事項の適不適をもつと慎重に検討すべきであると考えるが,照会権が前述の如き理念に基き弁護士会に附与せられた権利である以上,弁護士会が申出事項を適当と判断し照会権を行使した限り,相手方は報告義務を負担すると解すべきであり,現実の運営の如何により照会権の重要性を軽視すべきではない。

 四,予備的主張

 仮りに被告の中京区長の回答が弁護士会との関係においても原告のプライバシーの侵害であり違法性が阻却せられないとしたら,侵害と原告主張の損害との相当因果関係は次のとおりである。

  (1) 被告の中京区長は,京都弁護士会の,中央労働委員会と京都地方裁判所に提出するために必要とするとして発せられた照会に対し,原告の前科を回答したのであり,これが原告のプライバシーの侵害になるとしても,回答の相手は秘密保持義務を有する京都弁護士会であるから,原告の精神的損害は極めて僅少である。

  (2) 更に原告は本件では,右の回答を利用して訴外株式会社ニュードライバー教習所が経歴詐称を理由として予備的解雇したという事実を前提として,これによる損害を請求しているが仮りにこのような事実があつたとしても,被告の中京区長は照会書に「中央労働委員会と京都地方裁判所に提出するため」と記載せられていたので,回答をしたのであつて,もし「原告を予備的解雇するため」に必要と記載せられていたら回答をしなかつたであろうことは確信をもつて断言し得る。被告の中京区長は自分の回答が原告に対する予備的解雇に利用せられる如きは夢想だにしなかつたことである。従つて中京区長としては原告の予備的解雇は予見の範囲外の事柄であるから,被告としても予備的解雇による原告の損害については,その賠償の責に任ずる限りではない。

(証拠)〈略〉 

理由

 一 原告の請求原因一,二,四の事実,同六のうち原告主張のような自治省行政課長から愛知県総務部長あての回答があることは当事者間に争いがなく,請求原因三の事実,即ち原告が原告の解雇をめぐる幾つもの訴訟,再審査申立事件等の当事者となつていることは〈証拠〉により認めることができる。従つて原告がその前科等を知られたため使用者側との関係で不利益な地位に立たされているであろうことは想像に難くない。

 二 原告は被告が犯罪人名薄を作成保管していることを問題としているが,被告が公職選挙法の関係でこの名薄を必要としていることは容易に推認され,その他これを違法とする理由はない。

 三 さて弁護士法二三条の二は被告代理人主張のような経過により制定され,弁護士がその職責を遂行するため弁護士会を通じ公務所又は公私の団体に必要事項の報告を求めることができるとしたもので,弁護士法第一条にある弁護士の重要な使命,同法三一条の弁護士会の目的ときり離して考えることが出来ないものであるからこれにより報告を求める弁護士や弁護士会がこれを慎重に用うべきは当然であり,必要以上に市民の名誉,信用,プライバシーを犯すために用うべき性質のものでないことはいうまでもないが弁護士法が右のように規定している以上この照会と回答のため某かの個人のプライバシー等が侵されることがあるのはやむを得ないものがあるというべく,弁護士法は敢てこれを許していると解さざるを得ない。

 そしてこの照会を受けた公務所等としては単なる私人からの照会とは異り,権威ある弁護士会からの法律に基づく照会である以上,それが不法不当な目的に供されることが判明できるとか他に根拠がある場合はともかく,然らざる限りそれに応ずるのが当然であり,不法不当な目的に供されることが判らないのに容易にこれを拒絶できるとあつては折角法律で設けられた同条の窓口を狭くし弁護士の活動を不便にすることは明らかであるから公務所等はこの照会に対し正当な事由がない限りこれに応ずる法律上の義務があるといわねばならない。そこで問題はこの場合中京区長はこれを断る正当な理由があつたか或は断らなかつたことに故意又は過失があつたかということである。

 一般に,市民が前科,犯歴を他人に知られたくない権利を有することは被告も認めているところであり,被告の中京区長が必要以上に原告の前科,犯歴を他人に報告することが原告の信用,プライバシーを侵害するものであることを知らなかつたとはいえないが,同区長は本件照会が公的機関である弁護士会からの法律にもとづく照会であり,かつ,その照会要求に「中央労働委員会,京都地方裁判所に提出するため」必要とあつたので(このことは成立に争いのない甲一〇号証によつて明らかである),この文面よりしてこの照会が不法不当な目的に供されるとか必要以上に市民のプライバシーを侵す目的に供されるものと解さず,真実の発見又は正確を期するために要求されるのだと考えても無理からぬところであるからその要求を拒むことに当然正当な事由があり,これを拒まなかつたことに故意又は過失があつたとみることはできない。原告はこの照会には中労委に提出するためとあつたからこれが労働事件に悪用されるのでないか,いかなる労働事件であるかを京都地労委に問合わすべきであり,それをしなかつたことに被告は過失があるといつているが弁護士法二三条の二が公務所等にそこまでの義務を認めているとは解されず,その他そこまでの義務を認めた根拠はないから原告のこの点に関する主張は採用できない。又原告本人の供述には中京区長が原告を不利にするため故意に本件回答をしたのではないかと疑つている部分があるがそれを裏づける証拠はないので原告本人のこの供述をそのまゝ信用することはできない。

 尤も三六年に原告主張のような自治省行政課長の回答が出ていることは当事者間に争いがなく,〈証拠〉によると市町村長や区長には弁護士会を通じてなされる本件と同じような前科照会に応じていないものが多いことが認められるので本件の中京区長もこれと同じ扱いをした方が無難であつたとは思われるが形式上からもこの自治省の行政課長回答が当然被告らを拘束するものとは解されず弁護士法二三条の二の解釈は既に述べたとおりであるからこれに回答したことを以て被告に故意又は過失があるとすることもできない。

 又仮に原告が中京区長の本件回答により不利益を被つた事実があるとしても,中京区長は正当な業務行為をしたまでであつて違法性を欠いているからその不利益につき損害賠償の責を負うものということはできない。

 四 〈証拠〉によると被告の南区役所は稲村五男弁護士が行つた訴外亀川良夫の前科照会に対して照会先が誤りであるといつてこれを返戻したことが認められ,本件のように他の区役所へ廻送していないことが認められるが,本件は原告の本籍地が中京区なのに現住所の伏見区役所へ照会があつたから廻送の手続をなしたものと認められ,韓国人であることと住所しか書いていない亀川良夫の場合とは異つており,又甲一九号証には照会先が誤つている理由が書いていないのでこれを以て直ちに被告の方が不公平な取扱いをしているとみることはできない。返戻するより廻送した方が要求者の意思に副い親切となる場合も多いのでそれに副つたものと解されるからである。

 五 原告の本訴請求は国家賠償法による損害賠償と解されるところ,以上説明のごとく,本件回答が被告の方の故意又は過失によりなされた違法なものとはいえないので爾余の判断を俟つまでもなくその請求は失当であるからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(菊地博)