最高裁第一小法廷平成23年12月15日判決〔再生手続開始後の取立てに係る取立金と銀行取引約定・上告審〕

【オレンジ法律事務所の私見・注釈】

1 本件は,株式会社である被上告人Xが,銀行である上告人Yにおいて,Xから取立委任を受けた約束手形をXの再生手続開始後に取り立てたにもかかわらず,その取立金を法定の手続によらず同会社の債務の弁済に充当し得る旨を定める銀行取引約定に基づきXの当座貸越債務の弁済に充当したことを理由にXに引き渡さないことは,上記取立金を法律上の原因なくして利得するもの等と主張して,Yに対し,不当利得返還請求権に基づき,上記取立金等の支払を求める事案である。

商事留置権は,別除権が定められているが(民事再生法53条1項,1項),優先弁済権がないため,取立金を銀行取引約定に基づき再生債権に充当するが弁済禁止の原則(同法85条1項)に反し許されないかが問題となる。

2 この点,原審は,留置権は,留置的効力のみを有するものであり,商法及び民事再生法には商事留置権に優先弁済権を付与する旨の規定もなく,留置権による競売の場合,再生手続開始後に受領した換価金を再生債務者に返還しなければならない,再生手続開始前における私人間の合意によって弁済禁止の原則に例外を設けることは許されないなどとしてXの請求を認容した。

3 これに対し,最高裁第一小法廷は,留置権は,他人の物の占有者が被担保債権の弁済を受けるまで目的物を留置することを本質的な効力とするものであり(民法295条1項),留置権による競売(民事執行法195条)は留置権の本質的な効力を否定する趣旨に出たものでなく,留置権者は,留置権による競売が行われた場合には,その換価金を留置することができるものと解され,この理は,商事留置権の目的物が取立委任に係る約束手形であり,当該約束手形が取立てにより取立金に変じた場合であっても異なるところはなく,取立金を留置することができる(留置的効力が及ぶ)とした。

そうすると,銀行は再生手続開始後に取り立てた場合であっても,別除権の行使として取立金を留置することができるから,取立金については,その額が被担保債権の額を上回るものでない限り,再生計画の弁済原資や再生債務者の事業原資に充てることを予定し得ないこと等を考慮し,取立金を法定の手続によらず債務の弁済に充当できる旨定める銀行取引約定は,別除権の行使に付随する合意として,民事再生法上も有効であるとした。また,このように解しても,民事再生法の各規定の趣旨や,目的に反するものではないとしている。

4 本件は,原審及び最高裁で判断が分かれており,留置権の本質についての理論的意義が大きい。

なお,「金銭は,特別の場合を除いては,物としての個性を有せず,単なる価値そのものと考えるべきであり,価値は金銭の所在に随伴するものであるから,金銭の所有権者は,特段の事情のないかぎり,その占有者と一致する」(最高裁第二小法廷昭和39年 1月24日判決・昭38 (オ)146号)と解されているが,本件は,銀行は再生手続開始後に取り立てた場合,取立金に商事留置権の留置的効力が及ぶとしており,上記の「特段の事情」があると認めたものといえる。

主文

原判決を破棄し,第1審判決を取り消す。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。 

理由

上告代理人今井和男ほかの上告受理申立て理由について

 1 本件は,株式会社である被上告人が,銀行である上告人において,被上告人から取立委任を受けた約束手形を被上告人の再生手続開始後に取り立てたにもかかわらず,その取立金を法定の手続によらず同会社の債務の弁済に充当し得る旨を定める銀行取引約定に基づき被上告人の当座貸越債務の弁済に充当したことを理由に被上告人に引き渡さないことは,上記取立金を法律上の原因なくして利得するものであり,上告人は悪意の受益者に当たると主張して,上告人に対し,不当利得返還請求権に基づき,上記取立金合計5億6225万9545円の返還及びこれに対する民法704条前段所定の利息の支払を求める事案である。

 会社から取立委任を受けた約束手形につき商事留置権を有する銀行が,同会社の再生手続開始後の取立てに係る取立金を銀行取引約定に基づき同会社の債務の弁済に充当することの可否が争われている。

 2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

  (1) 被上告人は建築の請負等を目的とする株式会社であり,上告人は銀行業務を目的とする株式会社である。

  (2) 被上告人と上告人は,平成18年2月15日付けで,被上告人について,支払の停止又は破産,再生手続開始,会社更生手続開始,会社整理開始若しくは特別清算開始の各申立てがあった場合,上告人からの通知催告等がなくても,被上告人は上告人に対する一切の債務について当然に期限の利益を喪失し,直ちに債務を弁済する旨の条項のほか,次の条項(以下「本件条項」という。)を含む銀行取引約定を締結した。

 被上告人が上告人に対する債務を履行しなかった場合,上告人は,担保及びその占有している被上告人の動産,手形その他の有価証券について,必ずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法,時期,価格等により取立て又は処分の上,その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず被上告人の債務の弁済に充当することができる。

  (3) 被上告人は,平成20年2月12日,東京地方裁判所に再生手続開始の申立てをし,同月19日,再生手続開始の決定を受けた。

 被上告人は,上記再生手続開始の申立て当時,上告人に対し,少なくとも9億6866万9079円の当座貸越債務(以下「本件当座貸越債務」という。)を負担していたが,上記銀行取引約定に基づき,その期限の利益を喪失した。

  (4) 上告人は,被上告人の再生手続開始の申立てに先立ち,被上告人から,満期を平成20年2月20日~同年6月25日とする第1審判決別紙「代金取立手形の明細」記載の各約束手形(以下「本件各手形」と総称する。)について,取立委任のための裏書譲渡を受けた。

 上告人は,本件各手形について商法521条の商事留置権を有する。

  (5) 上告人は,被上告人の再生手続開始後,本件各手形を順次取り立て,合計5億6225万9545円の取立金(以下「本件取立金」という。)を受領した。

  (6) 上告人は,本件各手形につき商事留置権を有する上告人が,本件取立金を本件条項に基づき本件当座貸越債務の一部の弁済に充当することは,民事再生法上,別除権の行使として許されるものであって,上告人による本件取立金の利得は法律上の原因を欠くものではないと主張している。

 3 原審は,次のとおり判断し,上記事実関係の下において,上告人による本件取立金の利得は法律上の原因を欠くものであるとして,被上告人の請求を認容すべきものとした。

  (1) 民事再生法53条1項及び2項は,別除権とされた各担保権につき新たな効力を創設するものではなく,当該担保権本来の効力の範囲内でその権利の行使を認めるにとどまるものであるから,別除権者が別除権の行使によって優先的に弁済を受けるためには,当該別除権とされた担保権に優先弁済権が付与されていることが必要である。留置権は,留置的効力のみを有するものであり,商法及び民事再生法には商事留置権に優先弁済権を付与する旨の規定もないから,再生手続において商事留置権に優先弁済権が付与されているとはいえず,商事留置権を有する者が商事留置権の行使によって優先的に弁済を受けることはできない。留置権による競売(民事執行法195条)の場合,その被担保債権と競売による換価金引渡債務に対応する反対債権との相殺により事実上の優先弁済が受けられるとしても,再生債権者が再生手続開始後に債務を負担したときは相殺が禁止されるから(民事再生法93条1項1号),留置権者は,再生手続開始後に受領した換価金を再生債務者に返還しなければならない。

  (2) 別除権の目的である財産の受戻し(民事再生法41条1項9号)や担保権の消滅(同法148条)は,目的物の価値や事業の継続のための必要性等を考慮して厳格な要件の下に行われる制度であって,単なる任意弁済である本件条項に基づく弁済充当の場合とはその利益状況を異にするから,上記制度の下で商事留置権者が被担保債権について優先的に弁済を受けることになるからといって,再生手続開始前における私人間の合意によって弁済禁止の原則(同法85条1項)に例外を設けることは許されない。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

  (1) 留置権は,他人の物の占有者が被担保債権の弁済を受けるまで目的物を留置することを本質的な効力とするものであり(民法295条1項),留置権による競売(民事執行法195条)は,被担保債権の弁済を受けないままに目的物の留置をいつまでも継続しなければならない負担から留置権者を解放するために認められた手続であって,上記の留置権の本質的な効力を否定する趣旨に出たものでないことは明らかであるから,留置権者は,留置権による競売が行われた場合には,その換価金を留置することができるものと解される。この理は,商事留置権の目的物が取立委任に係る約束手形であり,当該約束手形が取立てにより取立金に変じた場合であっても,取立金が銀行の計算上明らかになっているものである以上,異なるところはないというべきである。

 したがって,取立委任を受けた約束手形につき商事留置権を有する者は,当該約束手形の取立てに係る取立金を留置することができるものと解するのが相当である。

  (2) そうすると,会社から取立委任を受けた約束手形につき商事留置権を有する銀行は,同会社の再生手続開始後に,これを取り立てた場合であっても,民事再生法53条2項の定める別除権の行使として,その取立金を留置することができることになるから,これについては,その額が被担保債権の額を上回るものでない限り,通常,再生計画の弁済原資や再生債務者の事業原資に充てることを予定し得ないところであるといわなければならない。このことに加え,民事再生法88条が,別除権者は当該別除権に係る担保権の被担保債権については,その別除権の行使によって弁済を受けることができない債権の部分についてのみ再生債権者としてその権利を行うことができる旨を規定し,同法94条2項が,別除権者は別除権の行使によって弁済を受けることができないと見込まれる債権の額を届け出なければならない旨を規定していることも考慮すると,上記取立金を法定の手続によらず債務の弁済に充当できる旨定める銀行取引約定は,別除権の行使に付随する合意として,民事再生法上も有効であると解するのが相当である。このように解しても,別除権の目的である財産の受戻しの制限,担保権の消滅及び弁済禁止の原則に関する民事再生法の各規定の趣旨や,経済的に窮境にある債務者とその債権者との間の民事上の権利関係を適切に調整し,もって当該債務者の事業又は経済生活の再生を図ろうとする民事再生法の目的(同法1条)に反するものではないというべきである。

 したがって,会社から取立委任を受けた約束手形につき商事留置権を有する銀行は,同会社の再生手続開始後の取立てに係る取立金を,法定の手続によらず同会社の債務の弁済に充当し得る旨を定める銀行取引約定に基づき,同会社の債務の弁済に充当することができる。

  (3) 以上によれば,上告人は,本件取立金を本件条項に基づき本件当座貸越債務の弁済に充当することができるというべきであり,上告人による本件取立金の利得が法律上の原因を欠くものでないことは明らかである。

 5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は以上と同旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,被上告人の請求は理由がないから,第1審判決を取り消し,上記請求を棄却することとする。

 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官金築誠志の補足意見がある。

 裁判官金築誠志の補足意見は,次のとおりである。

 民事再生法は,商事留置権を別除権としているが,優先弁済権を有せず留置的効力のみを有する留置権の本来の効力に,変更を加えていない。これに対し,破産法は,商事留置権を特別の先取特権とみなし,優先弁済権を与えている。このような取扱いの差異は,破産手続が債務者財産の清算を目的としているのに対し,再生手続は債務者の事業の継続を目的としているという,手続の目的の違いに由来するところが大きいものと考えられる。再生手続において,例えば債務者所有の事業用機械や商品について留置権が成立している場合を想定すると,留置権及びその被担保債権の処理について,留置権者との交渉によって解決するインセンティヴが再生債務者に働き,別除権の目的財産の受戻しや担保権の消滅の制度が有効に機能することが期待できるから,留置権が本来有していない優先弁済権を付与するまでの必要性はないといえるであろう。

 本件で問題になっている手形の留置権については,事情は相当に異なる。再生手続の開始は,委任契約の終了事由ではないから,取立委任を受けている銀行は,満期が来れば手形を取立てに回さざるを得ない。満期に呈示しなければ遡求権を失い,時間の経過で手形債務者の資力が悪化することもあり得るから,手形を留置しつつ,満期前に取立委任契約を解除して満期の取立てを事実上不能にすることは,不利な時期に委任を解除したものとして損害賠償責任を負う危険を冒すことになる。手形は満期に金銭化が予定されているものであり,再生債務者に,銀行に対する債務を弁済して手形の返還を受けるというインセンティヴが働くことは期待できないであろう。また,民事執行法に基づいて留置権の目的物が換価された場合,換価金を弁済に充当することを認めなくても,債権者は,自己の債権と換価金引渡債務とを相殺することによって,実質的に優先弁済を受けることができるから,担保としての実効性は確保されると考えられているが,本件のように再生手続の開始後に満期が到来する手形について,こうした解決方法に十分な実効性は認められないと思われる。本件のような手形について,再生手続開始前に取立金引渡債務に係る停止条件不成就の利益を放棄することによって相殺が可能になるという見解を採ったとしても,条件不成就の利益の放棄は不渡りのリスクを全て引き受けることを意味するのであるから,銀行にとって極めて限られた場合にしか選択できない方法と考えられるからである。そうしてみると,銀行は,取立金に対する留置的効力又は本件条項のような銀行取引約定に基づく弁済充当が認められなければ,民事再生法において商事留置権が別除権とされているにもかかわらず,代償なしに担保権を失うおそれが強いことになる。

 そこで,少なくとも,取立金について留置権の効力を及ぼすことを認めなければ実質的に不当であると思われるが,手形交換制度は,取立てをする者の裁量の介在する余地のない公正な方法であり,これによって手形金を取り立てた場合,取立金としてある限り,取立委任契約に基づいて委任者のために適正に管理すべき金銭であって,銀行において個別的に計算が明らかにされているものと考えられるから,留置権の目的としての特定性は備えているといってよい(信託法34条1項2号ロ参照)。したがって,取立金については留置権の効力が及ぶと解すべきであるところ,銀行が取立金を留置することができるとすれば,法廷意見が述べるように,これを再生計画の弁済原資や再生債務者の事業原資に充てることは予定できない筋合いであるから,上記の弁済充当が認められると解しても,再生債権者らの本来有する利益を害するとはいえない。

 さらに別の観点から考えると,民事再生法は,別除権に係る担保権の被担保債権のうち別除権の行使によって弁済を受けることができない部分(不足額)についてのみ再生債権者としての権利行使ができるとし,その権利行使のためには不足額の見込額を届け出なければならないとして,担保目的物の価値の範囲内の被担保債権について再生債権としての地位を否定している。これは,上記範囲内の被担保債権については,担保目的物の換価等によって満足を得ることが予定されているからであるが,このことと,同法85条1項が再生計画の定めるところによらなければ弁済してはならないとしているのは再生債権についてであることを考慮すると,再生債権としての権利行使が否定されている上記範囲内の被担保債権に関する限り,担保目的物の価値をもって被担保債権の満足に充てるための合理的な当事者間の特約については,別除権の行使に付随する合意として,その有効性を認める余地があるものと思う。前述のように,取立金について留置権の効力を及ぼすことができれば,一応不当な結果は避けることができるが,弁済期にある金銭債権を被担保債権とし金銭を目的物とする留置権について,留置的効力に期待されるところの交渉による解決のインセンティヴが働くものかどうか疑問であり,この留置権を,再生手続が終了して相殺が可能となるまで存続させることに,実質的な意味があるとも思われないのであって,弁済充当合意の有効性を認めることが合理的である。

 なお,本件条項のような銀行取引約定に基づく弁済充当と,別除権の目的財産の受戻しや担保権の消滅請求とは,趣旨・目的,どちらにイニシアティヴがあるかなどの点で異なるが,債務の弁済により担保権を消滅させるという効果において共通する。しかし,受戻し等に裁判所の許可を要することとした趣旨は,事業にとっての必要性や目的物の価額評価の相当性を審査するためであるが,満期における手形の取立ては,銀行にとっては委任契約上の義務の履行であり,再生債務者,再生債権者らにとっても不利益なものではないし,手形交換制度による取立てについて,換価手続の適正さを特に審査する必要性もないと思われる。

主文

 1 本件控訴を棄却する。

 2 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1 控訴の趣旨

 1 原判決を取り消す。

 2 被控訴人の請求を棄却する。

第2 事案の概要

 1 本件は,銀行である控訴人に対して約束手形の取立てを委任していた被控訴人が再生手続開始決定を受けたところ,控訴人が同手続開始決定後に原判決添付「代金取立手形の明細」記載の各手形により取り立てた金員全額を自己の被控訴人に対する債権の弁済に充当したことにつき,被控訴人が,控訴人に対し,控訴人による銀行取引約定の条項に基づく上記弁済の充当は許されず,控訴人が同金員を不当に利得していると主張して,民法704条に基づき,前記取立金相当額の返還及びこれに対する前記各手形の各満期日のうちの最も遅い日(利得後)である平成20年6月25日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による利息の支払を求めた事案である。

 原審は,銀行取引約定の条項に基づき前記取立金を控訴人の被控訴人に対する債権の弁済に充当することは許されない等として,被控訴人の請求を認容したため,これを不服とする控訴人が控訴した。

 2 前提事実

 前提事実は,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」2項に記載のとおりであるから,これを引用する。

 3 控訴人の主張

  (1) 民事再生法53条2項は,別除権は,再生手続によらないで,行使することができる旨規定しており,別除権の行使は,弁済禁止の原則(同法85条1項)の適用が排除される「この法律に特別の定めがある場合」に該当する。

 控訴人は,別除権者たる本件各手形の商事留置権者であり,その被担保債権である本件当座貸越債権について,再生手続によらない別除権の行使として,本件条項に基づき,本件各手形を取り立て,本件取立金を被控訴人に対する本件当座貸越債権の弁済に充当したものであって,この弁済充当は,法律上の原因を有しているから,被控訴人の不当利得返還請求は理由がない。

 商事留置権者は,民事再生手続の制約を受けずに,目的物を留置し続け,目的物の占有を解いて商事留置権を失うことと引き換えに再生債務者から被担保債権の弁済を受けることができ,再生債務者も,商事留置権の被担保債権について弁済をすることにより商事留置権を消滅させることができるのであり,本件条項に基づく弁済充当は,被控訴人が債務を履行しなかった場合に,商事留置権を失うことと引き換えに,商事留置権の行使として本件取立金をもって,商事留置権の被担保債権に弁済充当するものであり,まさに商事留置権本来の行使の在り方である。

  (2) 商事留置権の十全な保護の必要性,他の債権者を害さないこと

   ア 本件条項の効力を認めなかった場合には,不合理な結果が生じることとなり,商事留置権が民事再生手続において別除権として直接保護されている趣旨が完全に没却されてしまう。

 すなわち,被控訴人からの取立委任は,再生手続開始決定によっても当然には終了しない(民法656条,653条2号)ため,控訴人が留置していた手形について控訴人による手形交換が遅れたことで不渡りになってしまうと被控訴人に対する債務不履行となり,控訴人は,損害賠償責任を負ってしまう。したがって,控訴人としてはかかる損害賠償責任を回避しようとすれば,商事留置権の目的物である預り手形を手形交換に回すしかない。ところが,手形取立金を弁済に充当することができないとすると,控訴人は,手形交換によって取得した取立金全額を被控訴人に返還しなくてはならなくなってしまい,商事留置権の被担保債権への弁済を一切受けることができないまま,別除権者としての地位が消滅してしまうことになる。

 なお,民事再生法128条1項は,本来,再生債務者による支払停止又は再生手続開始申立ての後の手形金の支払は否認の対象となるところ,手形所持人は一方で遡求権保全の支払を求める必要があるとともに,他方では支払を受けても後に否認をされてしまうと拒絶証書作成の機会を喪失するというジレンマがある場合は,手形所持人が再生債務者から受けた弁済についても否認できないと定め,手形所持人の利益を保護している。このような規定の存在からしても,本件控訴人のような状況にある商事留置権者を保護することが,民事再生法の趣旨に合致する。

   イ 民事再生法上,商事留置権が別除権である以上,これを消滅させるのであれば,被担保債権全額の弁済,受戻し(民事再生法41条1項9号)又は担保権消滅請求(同法148条以下)を行うしかない。そして,かかる方法がとられた場合には,商事留置権者は,いずれも商事留置権が消滅することと引き換えに,債務者等から正当な対価を受け被担保債権について弁済を受けることができる。

 ところが,本件のような場合に,取立金による弁済充当を認めないとすると,被控訴人は,控訴人にそのまま本件各手形の取立てを委任さえしておけば,自らは商事留置権の被担保債権に対する弁済を一切することなく,本件各手形の取立金全額を取得し,かつ,控訴人の商事留置権を消滅させることもできることになり不当である。

 また,民事再生手続開始後に本件条項に従って弁済充当を認めたとしても,商事留置権者は別除権者であり,もともと再生債権者とは異なり再生手続外で権利行使をすることが認められているのであるから,他の再生債権者を不当に害することにはならない。

   ウ 本件のように取立委任手形が商事留置権の目的であるときは,当該手形につき,他の別除権者の存在は想定できないのであるから,控訴人が本件条項に基づいて本件取立金を本件当座貸越債権の弁済に充当したとしても,他の別除権等を含む第三者の権利を害することはおよそ考えられない。

   エ 本件においては,本件取立金を考慮することなく被控訴人の再生計画が認可され確定しているのであるから,本件条項の効力により控訴人が本件取立金をその債権の弁済に充当したことを認めたとしても,被控訴人の事業の再生を図ることを困難とすることにはならないし,他の再生債権者の利益を害することにもならない。

  (3) 破産手続等との整合性

   ア 商事留置権は,破産法においては先取特権とみなされることで別除権としての地位が認められるが,他の特別の先取特権には劣後するとされている(破産法66条2項)。すなわち,破産手続における商事留置権は,別除権の中でも劣後的な地位しか認められていない。

 ところが,民事再生法では,商事留置権が直接別除権として認められており(民事再生法53条1項),しかも,破産法とは異なって,他の別除権に劣後した取扱いもされていない。

 それにもかかわらず,本件条項に基づく弁済充当を認めないと,民事再生手続における商事留置権は,破産手続と同様の保護を受けられないどころか,全く保護されない結果となり,極めて不合理である。

 さらに,手形の取立依頼を受けた銀行にとって,その預り手形に対して有する担保的期待の内容は,その後,当該債務者が破産手続を選択するか民事再生手続を選択するかによって異なるものではなく,しかも,手形取立依頼人である債務者が破産手続と民事再生手続とのどちらを選択するかについては銀行が関与することはできない。

   イ 民事再生法には破産法66条1項のような規定は置かれていないが,破産手続においては,時間的制約のある中で,速やかに債務者の全財産を強制的に換価しなければならないことから,商事留置権を特別の先取特権とみなすとの規定を設け,商事留置権者が迅速に執行手続を取り得ることとし,手続の促進を図ったのに対し,再生手続においては,他の再生債権者は再生手続開始の効力によって個別的権利行使を禁止されているため,事実上商事留置権者が優先弁済的満足を受ける可能性が高いことから,特別の先取特権とみなす旨の定めが設けられなかったにすぎず,破産手続上の商事留置権に格別の保護を与える趣旨ではない。

   ウ 取立依頼人につき,民事再生手続と同様の再建型の手続である会社更生手続が開始された場合であれば,商事留置権者は,更生担保権者として取り扱われる。

 一方,民事再生法では,会社更生法とは異なり,商事留置権はあくまでも別除権として保護されているのであり,再生手続によらずに権利行使をすることも認められている。

 ところが,本件条項による弁済充当を認めないと,民事再生法上商事留置権者は上記のような強力な権利が保障されているにもかかわらず,権利行使を制限される更生担保権者が受けることのできる保護すら受けられない結果となる。

  (4) 目的物による比較

 商事留置権の目的物が手形ではない場合,例えば,営業用機械など事業用財産であれば,商事留置権者は,その換価を強いられることはなく,占有を継続することによって再生債務者又は第三者から被担保債権について弁済を受けることができる。

 ところが,商事留置権の目的物が手形である場合には,手形を取り立てても,これをもって被担保債権に弁済充当することができないということは,同じ商事留置権者であるにもかかわらず,正反対の結果となり,明らかに不合理である。

  (5) 最高裁判所平成10年7月14日第三小法廷判決・民集52巻5号1261頁(以下「平成10年判例」という。)について

 平成10年判例は,破産手続に関する事案であったことから,特別の先取特権に基づき優先弁済権を有することを,手形等を銀行が自ら取り立てて債権の弁済に充当し得るとの趣旨の約定をすることの合理性が認められる根拠となる一事情として挙げているだけであり,取立て,弁済充当の根拠はあくまで当事者の合理的意思に合致した合意である当該銀行取引約定4条4項にあるとしたものであって,特別の先取特権に基づく優先弁済権が,かかる趣旨の約定の合理性や同約定に基づく取立て,弁済充当が認められることの不可欠の要件である旨を判示したものではない。

 4 被控訴人の主張

  (1) 再生手続における商事留置権の効力について

 控訴人が本件取立金を充当した債権(本件当座貸越債権)は,本件再生手続開始前に貸し付けた貸金債権であって,民事再生法84条1項所定の再生債権に該当するところ,同法85条1項により,被控訴人の控訴人に対する同債権の弁済は禁止され,本件取立金を控訴人の再生債権である本件当座貸越債権の弁済に充当することはできない。したがって,控訴人は本件取立金を保持する法律上の原因を有しない。

  (2) 弁済禁止の趣旨について

 弁済禁止(民事再生法85条1項)の趣旨は,倒産時における強行法規である債権者平等原則であり,他の担保権者との優劣のみが問題となるものではなく,一般債権者との優劣関係も問題となる。したがって,弁済禁止の例外を認めるためには,法律上の優先弁済権を有しなければならず,法定の優先弁済権を有しないにもかかわらず,再生手続開始前の弁済充当合意等によって一般債権者より優先して弁済を受けることは債権者平等原則に抵触して許されない。

 しかるところ,留置権は,目的物を占有し物質的に支配して弁済を促す権利を有するにすぎず,優先弁済的効力を有しないのであるから,債権者平等の原則を破る効力までは付与されていない。

 また,別除権自体は,再生手続によることなく,別除権を基礎付けている担保権の本来の実行方法による行使を認めるものであり,担保権として実体法上認められた以上の効力を付与されるものではないから,商事留置権が別除権であることによって弁済禁止の例外となるものではない。

  (3) 平成10年判例について

   ア 平成10年判例は,手形につき,商事留置権を有する銀行が,「担保は,かならずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法,時期,価格等により貴行において取立または処分のうえ,その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず債務の弁済に充当できるものとし,なお残債務がある場合には直ちに弁済します(4条3項)。」,「貴行に対する債務を履行しなかった場合には,貴行の占有している私の動産,手形その他の有価証券は,貴行において取立または処分することができるものとし,この場合もすべて前項に準じて取り扱うことに同意します(4条4項)。」との銀行取引約定に基づき,債務者に対する破産宣告後に同手形を手形交換制度によって取り立てて,被担保債権の弁済に充当する行為が破産管財人に対する不法行為とならないと判示しているところ,平成10年判例の趣旨からすれば,特別の先取特権に基づく法定の優先弁済権を有することが,本件取立金の弁済が認められるための不可欠の要件としたものと解するのが相当である。

   イ 実体法上の優先弁済権を有する担保権者が上記のような特約をなす場合には,それは担保権に内在する優先弁済権の実現方法に関する特別の契約と解釈できるのであって,上記約定自体により何らかの担保が設定され,優先弁済権が付与されるものではない。

   ウ 平成10年判例が出された当時施行されていた和議法(民事再生法の前身)にも破産法66条1項に対応する規定はなかったところ,平成10年判例は,かかる状況において,あえて「特別の先取特権に基づく優先弁済権を有する場合には」と判示しているのであり,これによれば,和議であれば商事留置権が生じている取立委任手形の取立金による被担保債権への弁済充当は否定されると解される。学説も,和議においては和議債権として行使し得るにすぎないとしていた。そして,このような判例,学説状況を踏まえて制定された民事再生法において,破産法66条1項に相当する規定が置かれなかったのであるから,控訴人による本件条項に基づく手形の取立金の弁済充当は認められない。

  (4) 別除権の受戻し等との関係

   ア 本件の弁済充当の本質が任意弁済ないし受戻しであり,本件約定が監督委員の同意を排除する事前合意であるとみることはできない。

 なぜなら,別除権の受戻しにおける裁判所の許可又は監督委員の同意は,単に,受戻金額と別除権の目的物の評価額との釣合いのみならず,再生債務者の資金繰り,他の再生債務者への弁済原資に与える影響等も考慮してなされるため,予め排除することはできないからである。

   イ 担保権消滅請求,別除権の受戻しは,いずれも厳格な要件の下で再生債務者の利益のために認められる制度であって,単なる債務の弁済とは法的性質を異にし,別除権者に対し,担保権としての実体法上の効力を超えた権利を付与するものではない。

  (5) 取立委任手形に対する商事留置権の担保的期待について

 控訴人の主張する担保的期待は合理的なものではない。手形の取立委任は,貸出先が手形を取立てのため持ち込むことにより成立するが,貸出先は手形を持ち込む義務はない。また,いったん持ち込まれたとしても,貸出先は,取立委任を撤回し,返還を求めることができ,貸出先に債務不履行が生じていない限り,金融機関はこれを拒否することはできない。加えて,金融機関の手許にある具体的な取立委任手形の金額は,刻々と変化するものであり,不確定なものである。

 このように,控訴人の主張する担保的期待は,不確定なものである。取立委任手形を与信の見合いにするのは危険であって,控訴人は,手形に担保権を設定したいのであれば,譲渡担保を設定することもできたのに,これをしていなかったのである。

第3 当裁判所の判断

 1 当裁判所は,被控訴人の控訴人に対する不当利得返還請求は理由があるから認容すべきものと判断する。その理由は,次項以下のとおりである。

 2 (1) 前提事実によれば,控訴人は,平成20年2月12日の時点で,被控訴人に対して本件当座貸越債権を有していたところ,被控訴人が,同日,本件再生手続開始の申立てをしたことから,本件銀行取引約定5条1項1号に基づき,被控訴人が本件当座貸越債務につき期限の利益を喪失することにより同債務の弁済期が到来し,同日,控訴人は,その占有に係る本件各手形に対して本件当座貸越債権を被担保債権とする商事留置権を取得したことが認められる。

  (2) 控訴人は,商事留置権が民事再生法53条1項及び2項により再生手続によらないで行使することができる別除権として定められており,本件条項に基づく弁済充当が,同条2項の別除権の行使に当たり,「この法律に特別の定めがある場合」として弁済禁止の原則(同法85条1項)が適用されないと主張する。

 しかし,同法53条1項及び2項は,別除権とされた各担保権につき新たな効力を創設するものではなく,別除権者は,当該担保権本来の効力の範囲内で権利を行使し得るにとどまるというべきであり,別除権の行使によって優先的に弁済を受けられるためには,当該別除権者が他の債権者に対して優先して弁済を受けられる権利を有していることが必要であると解すべきである。この点は,同法85条1項が規定する弁済禁止の原則が,債権者に再生計画によらない個別的権利行使を許しては,再生債務者の事業又は経済生活の再生を図ることができないことに加え,債権者間の衡平を害することにもなるから認められたものであって,債権者間の平等にも根拠を有するものであることからも明らかである。

 また,平成10年判例も,破産法において商事留置権が特別の先取特権とみなされ,優先弁済権を有する場合に,「貴行に対する債務を履行しなかった場合には,貴行の占有している私の動産,手形その他の有価証券は,貴行において取立または処分することができるものとし,この場合もすべて前項に準じて取り扱うことに同意します。」との銀行取引約定の条項(本件条項と同趣旨)が,銀行が自ら取り立てて弁済に充当し得る趣旨の約定として合理性があることを認めていることは明らかであり,優先弁済権の存在が上記条項に基づく弁済充当の前提として要求されているというべきである。この点について,控訴人は,平成10年判例が,特別の先取特権に基づく優先弁済権が,上記条項の合理性や同条項に基づく取立て,弁済充当が認められることの不可欠の要件である旨を判示したものではないと主張するが,同主張は採用することができない。

 しかるところ,留置権は,留置的効力のみを有し,優先弁済的効力を有しないことから,目的物を占有し,これを物質的に支配して弁済を促す権利を有するにすぎないのが本来的な性質であり,また,商法において商事留置権に優先弁済権を付与する旨の定めはなく,民事再生法においても商事留置権を特別の先取特権とみなす等の優先弁済権を付与する定めが見当たらないことからすれば,再生手続において,商事留置権に法律上優先弁済権が付与されていると解することはできない。

 ところで,民事執行法195条は,留置権による競売は担保権の実行としての競売の例によるとして,留置権による形式競売を規定しているが,留置権に基づく形式競売において消除主義が採用され,配当が実施される場合,留置権者は,留置的効力を有することに加え,担保権の効力として弁済を受ける権利をも有しているとみることは可能であるが,この場合には実体法上の優先順位に基づいて配当が実施されるのであり,留置権者は,他の一般債権者と同順位で配当に預かるというべきであり,優先弁済権が認められるものではない。また,引受主義を取り,留置権者に換価金が交付される場合には,留置権者は優先的に債権の満足を得ることができることになるが,この場合は,競売による換価金が留置権者に交付され,留置権者は,その被担保債権をもって換価金引渡債務と相殺することにより,事実上の優先的満足を達し得ることになるのであって,留置権者が再生手続開始後に競売権を行使して換価代金を受け取った場合には,再生債権者が再生手続開始後に債務を負担したときは相殺が禁止されること(民事再生法93条1項1号)から,留置権者は相殺をすることができず,受け取った換価代金を再生債務者に返還しなければならないと解される。このように,留置権に基づく形式競売の権能を根拠として,再生手続開始後において留置権者には優先弁済権が認められるとの解釈を採用することもできない。

 さらに,本件条項は,銀行の取引先がその債務を履行しない場合に,銀行に対し,その占有する取引先の動産,手形その他の有価証券を取り立て又は処分する権限及び取立て又は処分によって取得した金員を取引先の債務の弁済に充当する権限を授与したものであって,手形等につき取引先の債務不履行を停止条件とする譲渡担保権や質権等の担保権を設定する趣旨の定めと解することはできないというべきである(最高裁判所昭和63年10月18日第三小法廷判決・民集42巻8号575頁参照。)から,本件条項によって,手形等につき取引先の債務不履行を停止条件とする譲渡担保権や質権等の担保権が設定されたと解することもできない。また,本件条項の存在を前提として,取立委任手形が金融取引の担保的な機能をしている実体が公知かつ周知されているとしても,その担保的な機能が,優先弁済権を含む担保権であり,強行規定である民事再生法85条1項の適用を排するものであるとは,到底いえない。

 したがって,控訴人は,本件手形取立金について何ら法的な優先権を有するものではなく,本件条項に基づき,被控訴人の再生手続開始後に取り立てた本件手形取立金をもって商事留置権の被担保債権の弁済に充当することはできないというべきである。

 3 (1) 控訴人は,本件のように取立委任手形が商事留置権の目的であるときは,当該手形につき,他の別除権者の存在は想定できないのであるから,控訴人が本件条項に基づいて本件取立金を本件当座貸越債権の弁済に充当したとしても,他の別除権等を含む第三者の権利を害することはおよそ考えられないと主張するが,そもそも,弁済禁止の原則は,他の担保権者との間での平等を問題とするのではなく,一般債権者との間での平等が問題となるというべきであり,控訴人の主張する利害状況をもって,取立委任手形の商事留置権者に手形取立金による弁済充当の権限を認める根拠とすることはできない。

 また,債務者が手形を買い取った際の売買代金が未払である場合の売買先取特権や手形の運送による先取特権など,取立委任手形につき特別の先取特権が成立し得る場合も想定することができないわけではなく,取立委任手形の商事留置権者に優先弁済権を認めた場合,又は優先弁済権を否定しながら,優先的回収を認めた場合には,民事再生法には破産法66条2項のように他の先取特権との優劣関係を定める規定が存在しないことから,不都合が生じ得るのであり,かかる観点からも控訴人の主張は採用することができない。

  (2) 控訴人は,別除権の受戻し(民事再生法41条1項9号)や担保権の消滅請求(同法148条以下)を挙げ,商事留置権者は,もともと再生債権者とは異なり再生手続外で権利行使をすることが認められていることから,本件条項による弁済充当も再生債権者の利益を害するものとはいえないと主張する。

 しかし,別除権の受戻しや担保権の消滅請求は,再生債務者等が目的物の価値や事業の継続のための必要性等を考慮して,厳格な要件の下に行われるものであり,結果として他の再生債権者の利益にも適うものであって,単なる別除権者に対する任意弁済とは,その利益状況が異なるといわなければならない。したがって,受戻しや担保権の消滅請求の制度があり,各制度に従えば,商事留置権者が被担保債権について優先的に弁済を受ける結果になるからといって,これらの制度から離れて,私人間の再生手続開始前の合意によって,弁済禁止の原則に例外を設けることは許されないというべきである。

  (3) 控訴人は,本件においては,本件取立金を考慮することなく被控訴人の再生計画が認可され確定しているのであるから,本件条項の効力を認めて控訴人が本件取立金をその債権の弁済に充当したとしても,被控訴人の事業の再生を図ることを困難とすることにはならないと主張する。確かに,被控訴人の再生計画の基本的な枠組みは,被控訴人の再生手続開始後10年間の収益を原資とする弁済であり,本件取立金が直接考慮されているものではない(乙4の1・2)。しかし,このことは,そもそも控訴人の本件取立金取得が民事再生法85条1項に反しないことを根拠づけるものとはいえず,しかも,本件取立金は,被控訴人の事業資金となり,結果として収益を生み出す元手となるものであるから,被控訴人の事業の再生において重要な意義を有していることは明らかであり,ひいては,一般の再生債権者の利害にも影響を与えることは明らかであるから,控訴人の前記主張は採用することができない。

  (4) 控訴人は,本件条項による弁済充当を認めないと,取立委任手形を目的物とする商事留置権は十分保護されないと主張し,前記第2の3(2)ア及びイの事情を挙げるが,商事留置権が本来的に有している権能は留置的効力のみであり,それ以外の権能は一般債権者と変わるところはないのであるから,再生手続の開始により弁済が禁止される以上,商事留置権者の権能が制約を受けることは当然であり,控訴人が主張するような事情により前記2の解釈が左右されるものではない。

 また,控訴人は,破産法等における商事留置権の保護と比較して均衡を失する等と主張し,前記第2の3(3)アないしウの事情を挙げるが,各倒産手続において商事留置権がどのように保護されるかは,各手続における立法政策によるのであり,破産法や会社更生法の場合に比べ民事再生法において商事留置権の保護が劣るとしても,立法政策の問題であるといえるのであり,控訴人の主張は採用することができない。

 さらに,控訴人は,取立委任手形以外の目的物に対する商事留置権者は,再生手続が開始されても,換価を強いられることはなく,占有を継続することによって再生債務者又は第三者から被担保債権について弁済を受けることができることと比較して,取立委任手形を目的物とする商事留置権者の保護に欠けることが不合理である旨主張するが,これは,再生手続の開始が委任契約の終了原因となっていないことから取立委任の効果が継続していることなど,目的物の特性の違いにより生じる事情であり,前記2の解釈を左右するものではない。

  (5) 本件条項と同様の銀行取引約定は広く用いられており,取立委任手形の商事留置権者が取立金を被担保債権の弁済に充てることができないとした場合,金融実務に一定の影響が与えられることは推測し得ないでもないが,このこと自体は,もとより前記2の解釈を左右するものではなく,しかも,債権につき,取立委任手形に優先弁済権を有する担保が必要である場合には,商事留置権以外に,当該手形に譲渡担保又は質権を設定することも可能であるから,その影響は限定的であり,前記2の解釈をなんら左右するものではない。

 4 以上によれば,控訴人の本件当座貸越債権に対する弁済充当は効力を有さず,その他控訴人が本件取立金を保持する法律上の原因は認められないのであり,また,控訴人は,民事再生法上弁済が禁止されているにもかかわらず,本件条項に基づき弁済充当したとして本件取立金を保持しているものであって,悪意の受益者と言わざるを得ないから,本件各手形を取り立てたことによる本件取立金相当額の返還義務及びこれに対する利得時点からの商事法定利率年6分の割合による利息の支払義務を負うというべきである。したがって,被控訴人の控訴人に対する,本件取立金の返還及びこれに対する本件各手形の各満期日のうちの最も遅い日(利得後)である平成20年6月25日から支払済みに至るまで商事法定利率年6分の割合による利息の支払を求める請求は理由がある。

 よって,原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから,これを棄却する。

 

主文

1 被告は,原告に対し,5億6225万9545円及びこれに対する平成20年6月25日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

 2 訴訟費用は,被告の負担とする。

 3 この判決は,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 請求

 主文と同旨

第2 事案の概要

 1 本件は,原告が,銀行である被告に対して約束手形の取立てを委任していたところ,原告がその後に再生手続開始決定を受け,被告が同手続開始決定後に同手形により取り立てた金員全額を自己の原告に対する債権の弁済に充当したことにつき,原告が,被告による銀行取引約定に基づく上記債権への弁済の充当は許されず,被告が同金員を原告に対する債権の弁済に充当したとして原告に支払わないことは不当利得に該当すると主張して,被告に対し,取立金相当額及びこれに対する弁済期の後の日(最終の手形満期日)である平成20年6月25日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による利息(民法704条の悪意の受益者)の支払を求めた事案である。

 2 争いのない事実等(争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)

  (1) 当事者等

   ア 原告は,建築及び構造物の設計,施工,監理,請負及び販売並びに仮設建物及び付帯設備の製造,販売及び賃貸等を主たる業とする株式会社であるところ,平成20年2月12日,東京地方裁判所に再生手続開始を申し立て(当庁平成20年(再)第34号),同月19日,同裁判所から再生手続開始決定を受けた(以下,同事件における再生手続を「本件再生手続」という。)。

   イ 被告は,銀行業務を目的とする株式会社である。

  (2) 原告と被告大阪支店は,平成18年2月15日付けで,以下の各条項を含む銀行取引約定(以下「本件銀行取引約定」という。)を締結した(《証拠省略》)。

   ア 甲(原告,以下同じ)が乙(被告,以下同じ)に対する債務を履行しなかった場合には,乙は,担保およびその占有している甲の動産,手形その他の有価証券について,かならずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法,時期,価格等により取立または処分のうえ,その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず甲の債務の弁済に充当できるものとします(4条2項,以下「本件条項」という。)。

   イ 甲について次の各号の事由が一つでも生じた場合には,乙からの通知催告等がなくても,甲は乙に対するいっさいの債務について当然期限の利益を失い,直ちに債務を弁済するものとします(5条1項)。

 支払の停止または破産,民事再生手続開始,会社更生手続開始,会社整理開始もしくは特別精算開始の申立があったとき(1号)。

  (3) 原告は,被告に対し,本件再生手続開始の申立てに先立ち,別紙「代金取立手形の明細」《省略》記載の約束手形(手形金合計5億6225万9545円,以下,これらの手形を併せて「本件各手形」という。)を,取立委任のため裏書譲渡した。

  (4) 被告は,平成20年2月19日の本件再生手続開始決定以降,本件各手形を取り立て,合計5億6225万9545円(以下「本件取立金」という。)を受領した。

  (5) 原告は,被告に対し,同年2月19日到達の「ご連絡」と題する書面により,本件取立金の返還を請求した。

  (6) 被告は,原告に対し,同年3月19日の時点で,本件銀行取引約定に基づく合計9億7057万8668円の当座貸越債権(以下「本件当座貸越債権」というが,文脈により,「本件当座貸越債務」ということもある。)を有していたとして,本件銀行取引約定に基づき,本件取立金を被告の原告に対する本件当座貸越債権の一部に充当する,又は同債権の一部と原告の被告に対する手形取立金返還請求権を対当額で相殺する旨の意思表示をした(《証拠省略》)。

  (7) 原告は,再生債権として被告が届け出た本件当座貸越債権のうち9億6866万9079円を認めた上で,本件取立金による弁済充当について争っている(《証拠省略》)。

 3 争点

 本件銀行取引約定中の本件条項に基づき,本件取立金を本件当座貸越債権の弁済に充当したことが許されるか否か

 4 争点に対する当事者双方の主張

 (原告の主張)

 以下のとおり,本件取立金を原告に対する本件当座貸越債権の弁済に充当することは許されず,被告は本件取立金相当額を保持する法律上の原因を有しない。

  (1) 再生手続における商事留置権の効力について

 本件銀行取引約定中の本件条項は,法定の手続によらない取立処分権と弁済の充当権を規定しているところ,弁済の充当とは,弁済がなされた場合の充当方法を言うのであって,弁済が可能であることが前提となっている。

 本件において,被告が本件取立金を充当した債権は,本件再生手続開始前に貸し付けた貸金債権であって,民事再生法84条1項所定の再生債権に該当するところ,同法85条が「再生債権については,再生手続開始後は,この法律に特別の定めがある場合を除き,再生計画の定めるところによらなければ,弁済をし,弁済を受け,その他これを消滅させる行為(免除を除く。)をすることができない。」と定めていることから,原告の被告に対する弁済は禁止され,本件取立金を被告の再生債権である本件当座貸越債権の弁済に充当することはできない。

 例外とされる別除権は,実体法で定められた担保権の行使を可能とするのみであって,再生手続開始後に再生債権の弁済が認められるためには,別除権となる当該担保権の実体法上の効力として優先弁済権を有することが必要であると解すべきである。

 そして,被告は,本件各手形に対して商事留置権を有していたところ,商事留置権は,再生手続において別除権として認められている(民事再生法53条1項)ものの,商法において優先弁済権を付与されず,民事再生法においても,商事留置権を特別の先取特権とみなす旨の破産法66条1項に対応する規定が定められていないため,再生手続において商事留置権に優先弁済効は認められない。商事留置権について,再生手続と破産手続とではその扱いを明確に異にしているのである。

 したがって,商事留置権は,再生手続によらず換価するという担保権本来の実行方法による行使が可能であるものの,本件各手形を本件条項に定める方法により換価したとしても,法定の優先弁済権が認められていないことから,本件取立金を弁済充当することは許されない。

  (2) なお,最高裁判所平成10年7月14日第三小法廷判決・民集52巻5号1261頁(以下「平成10年判例」という。)は,手形につき,商事留置権を有する銀行が,「担保は,かならずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法,時期,価格等により貴行において取立または処分のうえ,その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず債務の弁済に充当されても異議なく,なお残債務がある場合にはただちに弁済します(4条3項)。」「貴行に対する債務を履行しなかった場合には,貴行の占有している私の動産,手形その他の有価証券は,貴行において取立または処分することができるものとし,この場合もすべて前項に準じて取り扱われることに同意します(4条4項)。」との銀行取引約定に基づき,債務者に対する破産宣告後に同手形を手形交換制度によって取り立てて被担保債権の弁済に充当する行為が破産管財人に対する不法行為とならないと判示しているところ,平成10年判例の趣旨からすれば,特別の先取特権に基づく法定の優先弁済権を有することが,本件取立金の弁済が認められるための不可欠の要件としたものと解するのが相当である。

  (3) 以上によれば,被告が本件各手形に対して有する商事留置権は,優先弁済権を認められていないため,本件取立金を原告に対する本件当座貸越債権の弁済に充当することは民事再生法85条の弁済禁止の規定に反して許されないから,被告は,本件取立金相当額を保持する法律上の原因を有していない。

 よって,原告は,被告に対し,不当利得返還請求権に基づき,本件取立金相当額5億6225万9545円及びこれに対する弁済期の後の日である平成20年6月25日(本件各手形のうち最終の手形満期日)から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める。

 (被告の主張)

 被告は,以下のとおり,商事留置権の法律の定めによらない処分権の行使として,本件各手形を取り立て,本件取立金を原告に対する本件当座貸越債権の弁済に充当したものであって,本件条項に基づくもので法律上の原因を有しているから,原告の不当利得返還請求には理由がない。

  (1) 再生手続における商事留置権の効力について

 被告は,本件各手形につき商事留置権を有しており,民事再生法53条1項によれば商事留置権は弁済禁止の例外である別除権とされているところ,別除権の行使方法としては,法律に定められた方法により自らの権利を実現するほか,法律の定めた方法によらないで別除権の目的物である財産の処分をする権利が認められている。すなわち,民事再生法においては,破産法185条1項が定めるような,法律に定められた方法によらない別除権の目的物である財産の処分をすることを許す旨の規定は存在しないものの,それは,債務者の全財産を換価する必要のある破産手続と異なり,再生手続においては別除権者の処分期間を定めて目的財産の処分を急がせる必要がないことを理由とするものであり,民事再生法が,別除権者に法律に定められた方法以外の方法による別除権の目的財産を処分できる権利を認めない趣旨ではないから,別除権の行使方法として,法律に定められた方法によらないで別除権の目的物である財産の処分をすることが許されると解される。

  (2) 本件条項の効力について

 そして,本件条項は,取引先からの委託に基づき,銀行が占有している手形を取り立て,取立てにより取得した金員を他の債権者に先立って取引先に対する債権に充当するという不可分一体の一連の権能を認めたものであるところ,再生手続の開始は委任の終了原因ではないため,原,被告間の本件条項の効力は,本件再生手続開始後も消滅せずに存続していることから,本件条項に基づく上記権能は,再生手続において,法律の定めた方法によらないで別除権の目的物である財産の処分をする権利として認められる。

  (3) 本件条項に基づく本件取立金の弁済充当の有効性について

   ア 本件再生手続において,手形交換という取立てをする者の裁量等の介在する余地のない適切妥当な方法によって本件各手形が換価され,被告は本件各手形に対して商事留置権という適法な占有権限を有している。

   イ また,商事留置権の制度的意義は,商取引における信用の維持と安全確実なる取引関係の持続の点にあり,特に,銀行は,銀行取引約定書に基づいて継続的信用取引を行う場合,自己の占有下においた取立委任手形については,債務者の経営が破綻し,債務の履行ができない状態になったとき,本件条項に基づいて取り立てて,債務の弁済に充当することができるという担保としての機能を期待しているのであって,このことは,取引当事者間の当然の相互認識として一般に定着しており,このような手形の担保的機能は健全な金融システム維持のために不可欠なものである。取立委任手形がそのような担保的機能を果たすことにより,債務者は融資に見合った担保を提供することが困難な場合であっても,融資の実行を受けることが可能となるところ,このような商事留置権の目的たる取立委任手形が金融取引の担保として機能している実体は,商慣習といえるほど公知かつ周知の事実として定着しており,その合意をもって手形金を取り立て,銀行の債務者に対する債権に充当しても他の一般債権者に何ら不測の損害を与えるものではない。

   ウ また,破産手続及び再生手続いずれにおいても,商事留置権者が別除権者として留置の目的物を通じて優先弁済的満足を受けることは当然の前提とされているのであって,破産手続においては,時間的制約のある中で,速やかに債務者の全財産を強制的に換価しなければならないことから,商事留置権を特別の先取特権とみなすとの規定を設け,商事留置権者が迅速に執行手続を取りうることとし,手続の促進という便法を認めたのに対し,再生手続においては,他の再生債権者は再生手続開始の効力によって個別的権利行使を禁止されているため,事実上商事留置権者が優先弁済的満足を受ける可能性が高いことから,特別の先取特権とみなす旨の定めが設けられなかったにすぎず,破産手続上の商事留置権にのみ格別の保護を与える趣旨ではない。それにもかかわらず,取立手形につき商事留置権を有する場合,債務者が破産手続を選択すれば,本件条項に基づいて手形を取り立てて債権に充当することができるのに対し,債務者が再生手続を選択すれば,本件条項が失効して,銀行は全ての取立金を返還しなければならないということは,明らかに取引当事者の合理的意思に反するのであって,著しく不合理である。

 仮に,かかる合意が再生手続開始後に失効するようなことがあれば,金融取引実務において計り知れない混乱が生じることは必至である。

   エ なお,本件再生手続における再生計画においては,本件取立金は資金繰りとしては全く見込まれておらず,本件取立金が返還されなくとも再生計画に従った弁済ができることに加え,仮に本件取立金が原告に返還されたとしても,これを再生計画に基づく返済に充てることも全く予定されていないことからすれば,原告は本件取立金が返還されても再生債権者に対する配当原資とすることなく,単に原告の余剰資金として使おうとしているにすぎないのであり,再生債務者の再生を図ることを目的とする再生手続において,本件取立金が返還されることは何ら不可欠なものではない。

   オ 以上のことからすれば,手形を銀行自ら取り立てて弁済に充当しうるとの趣旨の約定をすることの合理性は当然に認められ,本件条項をかかる趣旨の約定と解することは当事者の意思に合致するものである。そして,再生手続においても,取立委任を受けた銀行以外に,当該取立委任手形に関し,一般優先権を有する他の債権者が存在することは通常考えにくく,他の優先弁済権を有する債権者が害される特段のおそれはない。

  (4) したがって,被告は,本件銀行取引約定に含まれる本件条項に基づく合意により,別除権たる商事留置権の法律の定めによらない処分権の行使として,本件条項に基づき手形金を取り立て,原告に対する債権に充当することができるのであり,当該弁済充当は法律上の原因に基づくものであるから,原告の被告に対する不当利得返還請求が発生することはない。

  (5) 平成10年判決について

 原告は,平成10年判決に基づき,本件取立金の債権への充当が認められるためには特別の先取特権に基づく法定の優先弁済権が必要である旨主張するが,平成10年判決は,破産手続に関する事案であったことから,特別の先取特権に基づき優先弁済権を手形等を銀行が自ら取り立てて弁済に充当しうるとの趣旨の約定をすることの合理性が認められる根拠となる一事情として挙げているだけであり,取立て・弁済充当の根拠はあくまで当事者の合理的意思に合致した合意である銀行取引約定4条4項にあるとしたものであって,特別の先取特権に基づく優先弁済権が,かかる趣旨の約定の合理性やかかる趣旨の約定に基づく取立て,弁済充当が認められることの不可欠の要件である旨を判示したものではない。

第3 争点に対する判断

 1 前記争いのない事実等及び弁論の全趣旨によれば,被告は,平成20年2月12日の時点で,原告に対して本件当座貸越債権を有していたところ,原告が,同日,本件再生手続開始の申立てをしたことから,本件銀行取引約定5条1項1号に基づき,原告が本件当座貸越債務につき期限の利益を喪失することにより同債務の弁済期が到来し,同日,被告は,その占有にかかる本件各手形に対して本件当座貸越債権を被担保債権とする商事留置権を取得したことが認められる。

 そして,再生手続において,商事留置権は,民事再生法53条1項及び2項により,再生手続によらないで行使することができる別除権として定められているものの,商法において,商事留置権に優先弁済権を付与する旨の定めはなく,民事再生法においても,商事留置権を特別の先取特権とみなす旨の定め及びその他優先弁済権を付与する定めが見当たらないことからすれば,再生手続において,商事留置権には優先弁済権が付与されていないものと解すべきことになる。

 2 以上のことを前提として,本件の事実関係において,本件条項に基づき,本件取立金を本件当座貸越債権の弁済に充当することが許されるか否かについて検討する。

  (1) まず,本件条項の文言,内容及び本件条項を含む銀行取引約定の成立経緯(《証拠省略》)に照らすと,本件条項は,銀行の取引先がその債務を履行しない場合に,銀行に対し,その占有する取引先の動産,手形その他の有価証券を取り立て又は処分する権限及び取立て又は処分によって取得した金員を取引先の債務の弁済に充当する権原を授与したに止まるものであって,同条項によって,手形等につき取引先の債務不履行を停止条件とする譲渡担保権や質権等の担保権を設定する趣旨の定めと解することはできない。

  (2) 被告は,別除権としての商事留置権(民事再生法53条1項)の任意処分として,本件条項に基づく取立てと弁済充当が認められると主張する。

   ア 確かに,本件条項が存在することにより,金融機関としては,取引先の危殆時においても取立手形の決済金をもって債権回収することが迅速かつ容易になることから,被告が主張するように,金融機関とその取引先の間では,本件条項に担保的機能があることを前提として融資条件の設定や融資の実行,取立手形の受入れによる取引先の経営実態の把握等が行われるなど,本件条項が金融機関とその取引先との間の取引に様々に影警を与えることはあり得るところである。

 しかしながら,昭和37年8月に全国銀行協会により制定された銀行取引約定書のひな型については,変遷を経た後,平成に入って以降,金融の自由化や事業の多様化,銀行間の横並びを助長するおそれがあるとの公正取引委員会の指摘を受けて,平成12年4月に廃止され,その後,各金融機関が独自に取引約款を設けているものであり,被告において,廃止前の銀行取引約定書ひな型に近い形の本件銀行取引約定を設け,本件条項を規定したのであるが,事業者間の決済方法や資金調達方法などの経営を取り巻く様々な事柄が変化している情勢に鑑みても,本件条項の存在が「商慣習」にまで高められていると認めることには躊躇せざるを得ず(《証拠省略》),本件条項が存在することをもって,弁済充当が許されるわけではないというべきである。

 仮に本件条項と同様の条項を設けて取引を行っている金融機関が多数あったとしても,これら金融機関が一律に本件条項の担保的機能への依存度を高く保っているかが明らかとはいえないことからすれば,それにより上記結論は左右されないというべきである。

   イ ところで,被告は,破産手続と再生手続は,いずれも,商事留置権者が別除権者として留置の目的物を通じて優先弁済的満足を受けることを当然の前提としていると主張して,再生手続において,取立手形を留置する場合に事実上の優先弁済を受ける可能性がなく,手形の取立金を債務者に返還しなければならないのは著しく不合理であると主張する。

 しかしながら,破産手続においては,商事留置権は特別の先取特権とみなされ(破産法66条1項),商事留置権を実行したことによる回収金についての優先弁済が認められているが,民事再生法には同様の規定が設けられておらず,前記説示のとおり優先弁済権はないと解されていて,商事留置権本来の効力の範囲内で別除権者としての権利行使をし得るに止まるのであって,その相違は,両手続における商事留置権者に対する保護の違いに起因するものであるから,そのような相違が生じること自体を不合理であるということはできない。また,金融機関が本件条項を設けることによって優先的に債権回収を図ることが可能になると解すると,再生手続における商事留置権者の地位を債権的合意により容易に変更できることになり,他の商事留置権者との関係においてかえって不合理・不公平と言えることをも併せ考慮すると,被告の上記主張を採用することはできない。

   ウ さらに,被告は,本件再生手続の再生計画における資金繰りには,本件取立金は全く予定されておらず,本件取立金が返還されなくとも再生計画に従った弁済ができることに加え,仮に本件取立金が原告に返還されたとしても,これを再生計画に基づく返済に当てることも全く予定されていないなどと主張するが,仮にそのような事情があるとしても,被告の主張は,本件取立金の返還が再生計画の履行に与える影響を指摘するものにすぎないから,このような事情があることをもって被告の主張の裏付けとすることはできない。

  (3) 以上によれば,本件条項に基づき,本件取立金を本件当座貸越債権の弁済に充当することは許されないというべきである。

 3 以上に認定,説示したところによれば,本件において,被告が本件取立金を原告に対する本件当座貸越債権の弁済に充当することは,再生手続における別除権の行使として許されるものではなく,したがって,当該弁済への充当には法律上の原因がないことに帰するから,被告は,原告に対し,本件取立金相当額5億6225万9545円及びこれに対する弁済期の後の日(本件各手形のうち,最終の手形満期日)である平成20年6月25日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金を支払う義務を負うことになる。

 よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。