(参考判例)最高裁判所第三小法廷平成21年4月28日判決〔民法160条の法意をふまえた,民法724条後段の適用 排除〕

【オレンジ法律事務所の私見・注釈】

被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま上記殺害の時から20年が経過した場合において,その後相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないとした判例。


■判例 水戸地裁下妻支部平成25年10月11日判決〔724条後段の期間制限の適用排除〕



主文

 本件上告を棄却する。

 上告費用は上告人の負担とする。 


理由

 上告代理人秋山賢三,同今村核の上告受理申立て理由について

 1 本件は,殺人事件の被害者の有していた権利義務を相続した被上告人らが,加害者である上告人に対して,不法行為に基づく損害賠償を請求する事案であり,不法行為から20年が経過したことによって,民法724条後段の規定に基づき損害賠償請求権が消滅したか否かが争われている。

 2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

  (1) Aは,足立区立a小学校(以下「本件小学校」という。)に図工教諭として勤務していた者であり,上告人は,本件小学校に学校警備主事として勤務していた者である。

  (2) 上告人は,昭和53年8月14日,本件小学校内においてAを殺害し(以下「本件殺害行為」という。),その死体を同月16日までに上告人の自宅の床下に掘った穴に埋めて隠匿した。

  (3) Aの両親であるB及びCは,Aの行方が分からなくなったため,警察に捜索願を出し,本件小学校の教職員らと共に校内やAの住んでいたアパートの周辺を捜すなどしたが,手掛かりをつかむことができなかった。

  (4) Bは,昭和57年▲月▲日に死亡し,C及び被上告人ら(いずれもBとCの間の子であり,Aの弟である。)が,その権利義務を相続した。

  (5) 上告人は,本件殺害行為の発覚を防ぐため,自宅の周囲をブロック塀,アルミ製の目隠し等で囲んで内部の様子を外部から容易にうかがうことができないようにし,かつ,サーチライトや赤外線防犯カメラを設置するなどした。

  (6) 上告人の自宅を含む土地は,平成6年ころ,土地区画整理事業の施行地区となった。上告人は,当初は自宅の明渡しを拒否していたが,最終的には明渡しを余儀なくされたため,死体が発見されることは避けられないと思い,本件殺害行為から約26年後の平成16年8月21日に,警察署に自首した。

  (7) 上告人の自宅の捜索により床下の地中から白骨化した死体が発見され,DNA鑑定の結果,平成16年9月29日,それがAの死体であることが確認された。これにより,C及び被上告人らは,Aの死亡を知った。

  (8) C及び被上告人らは,平成17年4月11日,本件訴えを提起した。

  (9) Cは平成19年▲月▲日に死亡し,被上告人らがその権利義務を相続した。

 3 民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきである(最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照)。

 ところで,民法160条は,相続財産に関しては相続人が確定した時等から6か月を経過するまでの間は時効は完成しない旨を規定しているが,その趣旨は,相続人が確定しないことにより権利者が時効中断の機会を逸し,時効完成の不利益を受けることを防ぐことにあると解され,相続人が確定する前に時効期間が経過した場合にも,相続人が確定した時から6か月を経過するまでの間は,時効は完成しない(最高裁昭和35年(オ)第348号同年9月2日第二小法廷判決・民集14巻11号2094頁参照)。そして,相続人が被相続人の死亡の事実を知らない場合は,同法915条1項所定のいわゆる熟慮期間が経過しないから,相続人は確定しない。

 これに対し,民法724条後段の規定を字義どおりに解すれば,不法行為により被害者が死亡したが,その相続人が被害者の死亡の事実を知らずに不法行為から20年が経過した場合は,相続人が不法行為に基づく損害賠償請求権を行使する機会がないまま,同請求権は除斥期間により消滅することとなる。しかしながら,被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま除斥期間が経過した場合にも,相続人は一切の権利行使をすることが許されず,相続人が確定しないことの原因を作った加害者は損害賠償義務を免れるということは,著しく正義・公平の理念に反する。このような場合に相続人を保護する必要があることは,前記の時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは,条理にもかなうというべきである(最高裁平成5年(オ)第708号同10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁参照)。

 そうすると,被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま上記殺害の時から20年が経過した場合において,その後相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。

 4 これを本件についてみるに,前記事実関係によれば,上告人が本件殺害行為後にAの死体を自宅の床下に掘った穴に埋めて隠匿するなどしたため,B,C及び被上告人らはAの死亡の事実を知ることができず,相続人が確定せず損害賠償請求権を行使する機会がないまま本件殺害行為から20年が経過したというのである。

 そして,C及び被上告人らは,平成16年9月29日にAの死亡を知り,それから3か月内に限定承認又は相続の放棄をしなかったことによって単純承認をしたものとみなされ(民法915条1項,921条2号),これにより相続人が確定したところ,更にそれから6か月内である平成17年4月11日に本件訴えを提起したというのであるから,本件においては前記特段の事情があるものというべきであり,民法724条後段の規定にかかわらず,本件殺害行為に係る損害賠償請求権が消滅したということはできない。

 5 以上と同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の意見がある。

 裁判官田原睦夫の意見は,次のとおりである。

 私は,上告人の殺害行為によって死亡した被害者の遺族たる被上告人らの,本件損害賠償請求を認容した原判決は維持されるべきである,との多数意見の結論に賛成するものであるが,その理由は,多数意見とは異なる。私は,民法724条後段の規定は,時効と解すべきであって,本件においては民法160条が直接適用される結果,被上告人らの請求は認容されるべきものと考える。以下敷衍する。

 民法724条後段の規定の法的性質について,時効と解すべきか,除斥期間と解すべきかにつき,かつて学説,下級審裁判例でそれぞれ見解の対立が存したところ,最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁(以下「平成元年判決」という。)は,同規定は,除斥期間を定めたものと解すべきものとし,除斥期間の性質にかんがみ,その期間の経過により原告の主張する損害賠償請求権は消滅した旨の主張がなくても,裁判所は同期間の経過により,同請求権は消滅したものと判断すべきであり,除斥期間の経過を主張することが信義則違反又は権利濫用であるとの主張は,主張自体失当である,と判示した。

 平成元年判決の説くところに従えば,本件訴えは,被害者が殺害されてから26年余を経て提起されたものであって,被上告人らの損害賠償請求権は,既に除斥期間の経過によって消滅しているところ,多数意見は,本件事案にかんがみ法的には既に消滅している請求権の行使を認めるものであって,論理的には極めて困難な解釈をしているものと言わざるを得ない。

 ところで,上記平成元年判決は,民法724条後段の規定を除斥期間と解すべきであるとする理由として,①同条後段の規定を時効と解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の趣旨に沿わないこと,②同条後段の規定は,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であること,の二点を示している。

 しかし,そのうち①の点は,時効と解しても法律関係の速やかな確定に寄与するものと評することができるのであり,また,②の点は,除斥期間の制度は,相手方の保護,取引関係者の法的地位の安定,その他公益上の必要から一定期間の経過によって法律関係を確定させるために権利の存続期間ないし行使期間を画一的に定めることを目的とするものと一般に解されているところ,不法行為に基づく損害賠償請求権について,加害者につき時効制度と別に除斥期間によって保護すべき特段の事情は認められず,また,被害者の損害賠償請求権の行使期間を一定の期間に制限すべき公益上の必要性も認められないのであって,②に掲げる理由が同条後段の規定を除斥期間と解すべき理由とならないというべきである。これらの点については,最高裁平成5年(オ)第708号同10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁における河合伸一裁判官の意見及び反対意見において詳細に指摘されているところである。

 また,民法724条後段の規定を時効と解した場合には,中断の規定が適用される結果,法律関係の速やかな確定が損なわれるとする見解が存するが,民法724条後段の20年の時効期間が中断されるのは,事実上は同条前段の3年の時効期間の中断によるものであって,最長で20年の期間が23年に延びるにすぎず,その3年間の伸長をもって法的安定が害されると評するには値しない(論理的には,その後3年の時効の中断が更に更新されることがあり得るが,それは債務者による承認等極めて特殊な事例であり,法的安定性という側面からは個別に評価すれば足りることである。)。

 次に民法724条後段の規定を時効と解することが,民法の定める不法行為法体系と整合するか否かが問題となり得るところ,一般に時効に関する民法の諸規定のうち,除斥期間には類推適用されないものとして,①中断,②援用,③起算点,④遡及効,⑤停止,⑥放棄,⑦確定判決による期間延長(民法174条の2),⑧相殺(民法508条)の諸規定が上げられる。そのうち,①の中断については,上記に検討したとおりであり,また,③の起算点の点は,加害行為から長期間を経て損害が発生する事案においては,民法724条後段の適用については,損害発生時をその起算点とすることは,当裁判所の判例(最高裁平成13年(受)第1760号同16年4月27日第三小法廷判決・民集58巻4号1032頁,最高裁平成13年(オ)第1194号,第1196号,同年(受)第1172号,第1174号同16年10月15日第二小法廷判決・民集58巻7号1802頁,最高裁平成16年(受)第672号,第673号同18年6月16日第二小法廷判決・民集60巻5号1997頁)であり,また通説も認めているところであって,後段の規定を時効と解することに何ら支障をもたらすものではない。また,上記のうちのその余の諸点についても,同規定を時効と解し,その適用を認めることについて理論上,実務上支障となるような点は認められない。

 かえって,同規定を除斥期間と解し,不法行為時(損害の発生が遅発するものについては損害発生時)から20年の経過によって,その損害賠償請求権が絶対的に消滅するものと解する場合には,19年目に被害者が損害の発生及び加害者を知り,加害者が債務を承認した場合であっても,20年の終了までに訴えを提起しなければ(除斥期間説に立つ学説も,20年以内に訴えを提起すれば,20年を経過した後でもその訴訟を遂行することができると解している。)その権利を行使できないこととなり,また,不法行為時から15年目に損害賠償請求にかかる勝訴判決が確定して,民法174条の2により時効期間が判決確定時から10年伸長したと思っていたところ,不法行為時から20年の経過によって,権利が失効し,同判決に基づいて強制執行することができないと解すべきことになるが,かかる結論には何人も違和感を禁じ得ないであろう。また,損害賠償請求権の存在が明確ではあるが,種々の事情からその具体的行使を控えていたところ,不法行為時から21年目に,加害者からの反対債権に基づく請求に対し,被害者がその損害賠償請求権を自働債権として相殺の主張をすることが許されないとすることについても,同様に違和感を禁じ得ないであろう。

 さらに,民法724条後段の規定を時効と解することにより,その適用は加害者の援用をまたなければならないと解することとなるが,そのことにより,個々の事案において,その援用が権利濫用や信義則違反に該当すると認められる場合には,その援用の効力を否定するという既に確立した手法を用いることができるのであって,損害賠償請求権という個別性の強い事案において,当該事案に応じた社会的に妥当な解決を導くことができることとなるのである。

 他方,民法724条の文意からすれば,後段の規定は時効と解するのが自然な解釈であり,また,学説が指摘するようにその立法経緯からしても時効と解すべきものであることに加え,学界では,平成元年判決に対しては批判が強く,今日では,民法724条後段の規定は除斥期間ではなく,時効期間を定めたものと解する説が多数を占めており,また,近年,債権法改正の一環として時効制度の見直しを含めた法改正がなされたドイツ,フランス,オランダ等の欧州諸国においても,不法行為による損害賠償請求権について,民法724条と同様,二重の期間制限を設ける場合において,長期の期間については,何れも「時効」とする制度が設けられているのである。

 このように,民法724条後段の規定を,除斥期間と解する場合には,本件に典型的に見られる如く具体的妥当な解決を図ることは,法論理的に極めて難しく,他方,時効期間を定めたものと解することにより,本件において具体的に妥当な解決を図る上で理論上の問題はなく,また,そのように解しても上記のとおり不法行為法の体系に特段の支障を及ぼすとは認められないのであり,さらに,そのように解することが,今日の学界の趨勢及び世界各国の債権法の流れに沿うことからすれば,平成元年判決は変更されるべきである。

 そして,上記のように解することによって,今後,不法行為時から20年以上経過した損害賠償請求訴訟が提起された場合には,上記のとおり既に確立している権利濫用,信義則違反の法理に則って適切な解決を図ることができるのである。

 なお,実務上は,上記の平成元年判決を受け,その後の下級審裁判例が,民法724条後段の規定を除斥期間と解する運用をなしているところから,ここで上記判例変更をなす場合には,一定の混乱が生じかねない可能性がある。しかし,上記の判例変更の結果を受けて真に救済せざるを得ない事案は,社会的には極く僅かに止まり,また,それは個別に対応することが可能であると推察されるのであって,判例変更が社会的に相当な混乱を引き起こすおそれはないと思われる。

 おって,現在,法務省において債権法の改正作業が開始されているところ,時効制度の見直しに当たっては,かかる観点を踏まえた見直しがなされることを望むものである。




主文

 1 原判決主文第1ないし第4項を次のとおり変更する。

  (1) 被控訴人は,控訴人甲野一郎に対し,2127万6603円及びこれに対する昭和53年8月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  (2) 被控訴人は,控訴人甲野二郎に対し,2127万6603円及びこれに対する前同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  (3) 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

 2 本件附帯控訴を棄却する。

 3 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを4分し,その1を被控訴人の,その余は控訴人らの各負担とする。

 4 この判決の第1項の(1)及び(2)は,仮に執行することができる。 


事実及び理由

第1 当事者の求めた裁判

 (控訴事件)

 1 控訴人ら

  (1) 原判決主文第1ないし第4項を次のとおり変更する。

 ア 被控訴人は,控訴人甲野一郎に対し,9388万2436円及びこれに対する平成17年4月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 イ 被控訴人は,控訴人甲野二郎に対し,9256万2436円及びこれに対する平成17年4月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  (2) 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

 2 被控訴人

  (1) 本件控訴をいずれも棄却する。

  (2) 控訴費用は控訴人らの負担とする。

 (附帯控訴事件)

 1 被控訴人

  (1) 原判決中,被控訴人敗訴部分を取り消す。

  (2) 上記取消しに係る部分につき控訴人らの請求をいずれも棄却する。

  (3) 訴訟費用は,第1,2審とも控訴人らの負担とする。

 2 控訴人ら

  (1) 本件附帯控訴を棄却する。

  (2) 附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

第2 事案の概要

 本件は,訴外甲野春子(以下「春子」という。)の相続人であった第1審原告亡甲野冬子(以下「亡冬子」という。),第1審原告甲野一郎及び第1審原告甲野二郎(以下「第1審原告ら」という。)が,足立区の小学校に警備員として勤務していた被控訴人において同じ小学校に教諭として勤務していた春子を殺害した上,その遺体を約26年間にわたって自宅の床下に隠していたとして,被控訴人に対し,民法709条による不法行為責任に基づき,春子の逸失利益及び慰謝料等並びに第1審原告ら遺族固有の慰謝料の支払を求めた事案である。

 原判決は,殺害行為に関する不法行為による損害賠償請求権は民法724条後段の除斥期間の経過により消滅したとしたが,春子の遺体を隠匿し続けた行為は独立の不法行為を構成するとして,第1審原告らの各請求につき,それぞれ110万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し,その余の請求を棄却した。これに対して,第1審原告らが控訴し,被控訴人が附帯控訴した。なお,亡冬子は,控訴提起後の平成19年1月*日死亡し,第1審原告甲野一郎及び第1審原告甲野二郎がその権利義務を各2分の1の割合で相続により承継した。

 1 前提となる事実

  (1) 当事者等

 ア 春子(昭和24年7月*日生)は,昭和53年8月14日当時,足立区の設置する足立区立N小学校(以下「N小学校」という。)において,図工教諭として勤務していた。

 イ 訴外甲野太郎(以下「亡太郎」という。)は,春子の父であるが,昭和57年5月*日死亡した。

 亡冬子は,春子の母であり,第1審原告甲野一郎及び第1審原告甲野二郎は,それぞれ亡冬子の長男及び次男であり,春子の弟に当たる。亡冬子は,控訴提起後の平成19年1月*日死亡した(甲6,甲62,弁論の全趣旨)。

 ウ 被控訴人は,昭和48年4月,足立区において学校警備の職務を行う職員として採用され,以降平成3年3月まで,N小学校において警備員として勤務していたが,平成7年3月,足立区を退職した(乙1)。

 被控訴人は,平成16年7月下旬ころまで,東京都足立区六木〈番地略〉所在の自宅(以下「本件自宅」という。)に居住していた(甲8,乙1)。

  (2) 被控訴人は,昭和53年8月14日,N小学校において勤務中,同じくN小学校に勤務していた春子を殺害し(以下「本件殺害行為」という。),その後,春子の遺体を本件自宅の床下に穴を掘り埋めた。

  (3) 被控訴人は,平成16年8月21日,警視庁綾瀬警察署に出頭して春子の殺害及び隠匿を申告し自首したところ,同月22日,本件自宅の床下から白骨化した遺体及び春子の所持品が発見され,その後DNA鑑定が実施された結果,同年9月29日,その遺体が春子のものであることが確認された(甲12ないし甲20)。

  (4) 第1審原告一郎及び第1審原告二郎は,平成16年10月7日,被控訴人に対する,不法行為による損害賠償請求権を被保全権利として,本件自宅の土地についての被控訴人の持分につき,仮差押決定(以下「本件仮差押え」という。)を得た(甲51)。

  (5) 第1審原告らは,平成17年4月11日,本件訴訟を提起した。

  (6) 平成18年10月13日,地方公務員災害補償基金東京都支部長は,本件を公務上災害と認定し(甲58),同年12月15日,春子の遺族らに対し,以下のとおり遺族補償一時金等を支払った(甲59,甲60)。

 遺族補償一時金 571万6000円

 遺族特別支給金 200万円

 遺族特別援護金 100万円

 遺族特別給付金 114万3200円

 葬祭補償金 34万2960円

 2 争点及びこれに関する当事者の主張

  (1) 春子の殺害行為及び死体遺棄行為以外に,被控訴人が春子の遺体を隠匿し続けた行為が,第1審原告らに対する独立の不法行為を構成するか(争点1)

 (控訴人らの主張)

 被控訴人の行為は,①春子を殺害した行為,②遺体を自宅の床下に埋めた行為,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為に分けられるところ,①春子を殺害した行為が不法行為に該当することはいうまでもない。被控訴人が,春子の殺害行為の発覚を免れるために遺体を埋め直したりしていること,本件自宅の周囲をトタンで囲んだり,防犯カメラを設置するなど殊更に他人を寄せ付けないようにしていたこと及び区画整理事業による立ち退きにも最後まで頑強に応じようとしなかったことからすれば,被控訴人が春子の遺体を隠匿し,遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為は,それ自体独立した不法行為を構成するというべきである。

 そして,近親者は,死者に対して,敬愛追慕の情を抱き,死者を懇ろに弔い埋葬したいという宗教的感情を有しており,その死体が他者によって損壊されることによって被る精神的苦痛は社会生活上無視できないものであり,かかる感情は,法的保護に値するものである。

 したがって,被控訴人が春子を殺害後,その遺体を隠匿し続けた行為は,遺族である第1審原告らに対する不法行為を構成する。

 (被控訴人の主張) 16:36 2015/04/10

 ア 被控訴人は,従前と同様,本件土地上で日常生活をしていたにすぎず,その行為は,春子の殺害という事実の発覚を免れる目的としてなされたとはいい難い。したがって,被控訴人において春子の遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為が,独立に不法行為を構成することはない。

 そもそも,刑法上,死体遺棄罪は,いわゆる状態犯であるとされ,法益侵害の発生によって犯罪は終了するとされており,その後,法益侵害状態が存続しても,犯罪とはみなされないものである。そうすると,民法上の不法行為も,死体遺棄行為それ自体によって完了するというべきであり,その後の隠匿状態は何ら継続的な不法行為を構成するものではない。

 実際にも,本件の死体の隠匿行為は,犯人だけが遺体の場所を知っているという意味では,山中に死体を遺棄する行為と変わらない。そして,一般に殺害後の死体遺棄行為は,殺人が行われたことの発覚を免れるためになされるものであることからすれば,本件における被控訴人の行為は,他の死体遺棄行為と本質的な差異はないというべきであるから,春子の遺体を隠し続けたことのみで,継続的な不法行為が成立し,長期間にわたって不法行為責任が問われるのは不当というべきである。

 イ 仮に,かかる隠匿行為が継続的な不法行為に当たるとしても,春子の死亡により,既に損害は発生しているというべきであって,上記隠匿行為及びその継続により,第1審原告らに法的に保護されるべき損害が生じているとはいえない。

 ウ したがって,被控訴人が春子の遺体を隠匿し続けたことは,何ら不法行為を構成するものではない。

  (2) 本件殺害行為及び死体遺棄行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段所定の20年の経過により消滅したか(争点2)

 (被控訴人の主張)

 以下のとおり,本件殺害行為及び死体遺棄行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,被控訴人の春子殺害時あるいは遺体隠匿時から既に20年が経過していることから,民法724条後段の除斥期間の経過によって消滅したというべきである。

 ア 民法724条後段の20年の起算点について

 (ア) 控訴人らは,被控訴人の行為につき,①春子を殺害した行為,②遺体を自宅の床下に埋めた行為,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為は一連の不法行為であると主張し,除斥期間の起算点は,上記③の行為終了時すなわち本件自宅から春子の遺体が発見された時点である旨主張する。

 しかし,②遺体を自宅の床下に埋めた行為は,先行する①春子を殺害した行為と関連性を有するとしても,それぞれ個別に不法行為が成立するものである以上,独立に除斥期間は進行するというべきである。また,②遺体を自宅の床下に埋めた行為が,①春子を殺害した行為の発覚を免れる目的のためになされたものであるといい得ても,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為は,単にその土地上で従前と同様に生活をしているだけであって,そもそも不法行為が成立することはない。

 したがって,上記①ないし③の各行為を一連の不法行為ということはできず,除斥期間の起算点は,不法行為といい得る①春子を殺害した行為あるいは②遺体を自宅の床下に埋めた行為の各時点というべきである。

 (イ) 仮に,控訴人らの主張するとおり,民法724条後段に規定される20年の除斥期間が,「損害」が顕在化した時点から進行するものと解することができるとしても,本件においては,既に損害が顕在化していたが,単に第1審原告らがその事実を知らなかったというにすぎず,損害の発生が顕在化していることには変わりがない。

 イ 民法724条後段の適用制限について

 民法724条後段の規定は,同条前段の3年の時効が,損害及び加害者を知ったときという被害者の主観的事情によって左右され,これらの事情を被害者が知らなければ消滅時効の起算点が定まらないという点に鑑み,そのような状態を一定の期間で確定させるため,被害者の認識いかんを問わず,画一的に法律関係の確定を図ろうとするものである。そのような趣旨からすれば,同条後段は除斥期間を定めたものと解されるから,信義則・権利濫用という個別的事情によって,その適用が制限されるものではない。

 また,本件においては,控訴人らの主張するような信義則,権利濫用及び正義・衡平の原理あるいは条理によって,除斥期間の適用が制限されるような事実関係にもない。

 (控訴人らの主張)

 ア 民法724条後段の20年の起算点について

 (ア) 被控訴人の行為は,①春子を殺害した行為,②遺体を自宅の床下に埋めた行為,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為に分けられるところ,①春子を殺害した行為が不法行為に該当することはいうまでもない。また,②遺体を自宅の床下に埋めた行為及び③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為についても,被控訴人が,犯行の発覚を免れるために遺体を埋め直したり,本件自宅に殊更に他人を寄せ付けないようにしていたことや区画整理事業による立ち退きにも最後まで応じようとしなかった経緯からすれば,時間的・場所的にも非常に近接している①春子を殺害した行為の発覚を免れる目的で行ったものであることは明らかであり,上記②及び③の各行為が密接不可分の関係にあるとともに,①春子を殺害した行為と同様,不法行為に該当する。

 したがって,上記①ないし③の各行為は,すべて一連の不法行為と評価すべきである。

 この点,被控訴人は,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為は,単に従前と同様にその土地上で日常生活をしているにすぎず,何ら不法行為に該当するものではない旨主張する。しかし,被控訴人は,自己の犯行の発覚を恐れ,他者を容易に本件自宅内に立ち入らせないようにするため,本件自宅の周囲に有刺鉄線を張ったり,防犯カメラを設置するなど,異様な状況を作出していたことからすれば,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為も,遺体の隠匿の重要な要素であるというべきであり,①春子を殺害した行為及び②遺体を自宅の床下に埋めた行為と一体となった継続的不法行為の要件を充足していることは明らかである。

 継続的不法行為においては,当該不法行為の終了時点を民法724条後段の20年の期間経過の起算点とすべきであるから,本件の場合の上記期間経過の起算点は,被控訴人が春子の遺体の上での生活を終了した平成16年8月22日というべきである。

 (イ) 万一,上記の①春子を殺害した行為のみが不法行為であり,②遺体を自宅の床下に埋めた行為及び③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為が不法行為になり得ないと解すべきであるとしても,不法行為に基づく損害賠償請求は,加害行為の存在だけでなく,加害行為により損害が発生することにより初めて成立しその行使が可能となるものである。そして,蓄積進行性の健康被害の事案である最高裁平成16年4月27日判決・民集58巻4号1032頁においては,損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは,被害者にとって著しく酷である一方,加害者にとっては,自らの行為により生じ得る損害の性質からみて,相当期間経過後に損害賠償請求を受けることを予期すべきであることから,民法724条後段に規定される20年の期間も,当該損害の全部又は一部が発生した時から進行するとされている。

 しかるところ,被控訴人自らが殺害行為を隠匿して損害の顕在化を妨害したような本件の場合において,殺害行為の時点から除斥期間の進行を認めることは,蓄積進行性の健康被害の事案以上に,著しく被害者側である第1審原告らにとって酷であるし,また加害者である被控訴人も,損害賠償請求を受けることは当然予期できたものということができる。

 したがって,本件における除斥期間は,本件の損害が顕在化した時点,すなわち発見された遺骨が春子のものであるとDNA鑑定によって確認された平成16年9月29日,あるいは早くとも本件自宅から遺体が発見された同年8月22日から進行するというべきである。

 イ 民法724条後段の適用制限について

 (ア) 信義則違反,権利の濫用に当たること

 民法724条後段は,除斥期間を定めたものではなく,消滅時効を規定したものと解すべきであり,信義則・権利の濫用による適用制限に服するというべきである。

 仮に,同条後段が除斥期間を規定したものであると解されるとしても,それをもって演繹的に信義則違反・権利の濫用による適用制限の主張を許さないという結論を導くのは相当でなく,同条後段による保護を与えることが相当でない特段の事情が認められる場合には,除斥期間経過の主張は信義則違反ないし権利の濫用に当たるとして,その適用が制限されるべきである。

 本件において,被控訴人自らが春子を殺害した上,その後約26年間にわたって遺体を本件自宅に隠し続けて,第1審原告らの権利行使を妨げ続けたものであり,以下に述べる被害者の権利行使可能性とその権利行使可能性に関する加害者側の関与とを勘案すれば,被控訴人について,民法724条後段による保護を与えることが相当でない特段の事情があることは明らかであるから,被控訴人の除斥期間経過の主張は,信義則違反ないし権利の濫用に当たるというべきである。

 a 被害者(遺族)の権利行使可能性

 春子の遺体は被控訴人の支配下に置かれ続けており,その隠匿行為も,殺害行為の発覚を免れる目的をもって行われていたものであったために,第1審原告らにとっては,被控訴人の自首まで,春子の生死すら全く判明しないままであって,20年の期間経過前に損害賠償請求権を行使することが合理的に期待できた特段の事情は,全く存しなかった。

 b 加害者側の事情

 被控訴人は,春子を殺害した後,自宅床下に密かに隠匿した。被控訴人は自宅玄関を高さ2mに及ぶ鉄製の門扉にし,自宅周辺をトタンで覆い,鉄柵や有刺鉄線を張り巡らせただけでなく,監視カメラまで複数設置するなどして,他者を容易に自宅に立ち入らせないようにし,主観的にも客観的にも自宅床下に埋めた春子の遺体の発見を妨害しており,権利行使の困難性に対する被控訴人の関与の程度は著しく深い。被控訴人が自首したのは,隠匿した自宅土地が区画整理事業の対象地と指定されたために遺体を埋めたことが発覚しそうになったからという消極的理由に過ぎず(それも被控訴人は,周囲の住民が立ち退きを進める中でも頑なに明渡しを拒み続けていた。),そして,自首時点ですでに刑事の公訴時効が成立しており,刑事責任を免れる状態になっていたのである。

 (イ) 正義・衡平の原理,条理

 除斥期間制度の趣旨を前提としても,なお,除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,衡平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限できると解すべきである。

 本件において,被控訴人の隠匿行為に照らすと,除斥期間を適用することは著しく正義,衡平の原理に反しており,その適用を制限することが条理にかなう。

 (ウ) 時効ないし除斥期間の停止

 a 最高裁平成10年6月12日判決・民集52巻4号1087頁においては,不法行為の被害者が,不法行為の時から20年を経過する前6か月内において,同不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合,その後当該被害者が後見開始の審判を受け,後見人に就職した者がその時から6か月内に損害賠償請求権を行使したなどの特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないと解するのが相当である旨判示している。これは,加害者自身の行為により権利行使が妨げられてきた場合には,同法724条後段の効果は生じないという趣旨であるところ,本件においては,被控訴人の隠匿行為により,第1審原告らの権利行使が妨げられていたものであるから,同条後段の適用は制限されるべきである。

 b 民法160条の法意

 ① 民法160条は,「相続財産に関しては,相続人が確定した時,管理人が選任された時または破産手続開始の決定があった時から6箇月を経過するまでの間は,時効は,完成しない。」と定める。そして,相続人の確定に関しては,民法915条1項が,「相続人は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,相続について単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。」と規定し,単純承認をした時(920条)や,3箇月以内に限定承認・放棄をしなかった時(921条2号)等に相続人が確定するものとされる。

 民法160条の規定の趣旨は,相続人の立場から見た場合,相続人が確定しない間には時効中断の措置を取ることができないのであるから,相続人が確定しないにもかかわらず時効の完成を認めるのは相続人に酷であるとして,これを保護することにあると解される。なお,民法160条は,相続人を保護する側面のみならず,相続財産に対して権利を有する者を保護する側面も有していることが立法の過程から明らかであるが,本件との関係では上記趣旨を検討すれば足りる。

 ② 民法724条後段の規定を形式的に適用すれば,相続の開始と損害賠償請求権の発生が当該不法行為に起因し,かつ,相続人らが相続の開始を知らないことが当該不法行為に起因する場合であっても,遺族らはおよそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,損害賠償請求権の発生(相続の開始)及び相続人らが相続の開始を知らないことの原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。

 そうすると,少なくとも上記のような場合にあっては,当該被害者(相続人)を保護する必要があることは前記時効(民法160条)の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。

 ③ 本件は,殺害行為によって損害賠償請求権が発生し,かつ相続が開始したが,加害者である被控訴人の隠匿行為によって相続人である亡冬子及び亡太郎(昭和57年5月*日に死亡し,第1審原告らがその権利義務を相続により承継した。)が相続の開始を知らず,相続人が確定しないまま民法724条後段に定める20年が経過してしまい,その後被控訴人の自首により,第1審原告らが相続の開始を知り,相続人確定後6箇月内に損害賠償請求権を行使したという事案であり,20年の期間を「時効」と「同様」とするとした民法724条後段の文言から素直に解すれば,本来,民法160条が直接適用されて然るべき場面である。

 また,仮に,民法724条後段の20年を除斥期間と解したとしても,前掲最高裁平成10年6月12日判決の重視する被害者側の権利行使可能性と,権利行使の困難性に関する加害者側の事情とを考慮すれば,本件では特段の事情があるものとして,民法160条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないものと解すべきである。

 ウ 以上のことから,本件殺害行為及び死体遺棄行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,未だ消滅していない。

  (3) 第1審原告らの損害(争点3)

 (控訴人らの主張)

 ア 第1次的主張

 (ア) 春子の損害

 a 死亡による逸失利益(1億3829万5343円)

 春子が,昭和53年8月14日,当時29歳で被控訴人によって殺害されて以降,本訴提起の前年である平成16年(55歳)までの間の収入の合計は,各年度の賃金センサス(女子大卒労働者の産業計・企業規模計)を基にして計算すると,1億4003万0200円となる。

 その後,春子は56歳(平成17年)から少なくとも67歳まで12年間就労可能であり,平成16年(55歳)の賃金センサス(女子大卒労働者の産業計・企業規模計)を基にすると,その間,年間649万1400円の収入を得られるはずであった。そして,56歳から67歳までの12年間に対応するライプニッツ係数は,8.8632,春子は独身女性であったため,その生活費控除を30パーセントとするのが相当である。

 そうすると,春子の逸失利益は,次のとおり,1億3829万5343円となる。

 (140,030,200+6,491,400×8.8632)×0.7=138,295,343

 b 死亡慰謝料(1500万円)

 理不尽にも29歳という若年で殺害され,命を奪われた春子の慰謝料は,1500万円を下らない。

 c 葬儀関係費用(120万円)

 春子の葬儀関係費用としては,120万円が相当である。

 (イ) 損害賠償請求権の相続

 春子の両親である亡冬子及び亡太郎は,本件当時,上記(ア)a及びbの損害1億5329万5343円の2分の1に当たる7664万7671円を各々相続したところ,昭和57年に父である亡太郎が死亡したことにより,亡太郎の相続分のうち,その妻である亡冬子は,その2分の1に当たる3832万3835円を,その子である第1審原告一郎及び第1審原告二郎は,各々その4分の1に当たる1916万1917円をそれぞれ相続した。

 そのため,結局のところ,春子の被控訴人に対する損害賠償請求権につき,亡冬子は1億1497万1506円,第1審原告一郎及び第1審原告二郎は各々1916万1917円をそれぞれ相続した。

 なお,葬儀関係費用は第1審原告一郎が負担したから,第1審原告一郎が損害賠償請求権を承継したものとする。

 (ウ) 第1審原告ら固有の損害

 a 亡冬子には民法711条に基づく固有の慰謝料が発生している。

 そして,第1審原告一郎及び第1審原告二郎と春子の間には,春子が両名の世話を親同様に行っていたことなどに照らせば,同条に規定する者と実質的に同視できる身分関係が存在したというべきであり,第1審原告一郎及び第1審原告二郎にも,同条の類推適用に基づく固有の慰謝料が発生しているというべきである。

 b また,第1審原告らは,かけがえのない家族を奪われただけではなく,約26年間もの長きにわたり春子の捜索を懸命に続けたところ,春子の遺体が被控訴人の自宅の床下に埋められ,その上で被控訴人が生活していたという異常な事態に直面させられた。そのため,第1審原告らには,民法710条,民法709条に基づき,固有の慰謝料が発生しているというべきである。

 c そして,第1審原告らの固有の慰謝料としては,第1審原告ら各自につき500万円を下らない。

 (エ) 弁護士費用

 被控訴人において負担すべき弁護士費用は,亡冬子については1199万7150円,第1審原告一郎については253万6191円,第1審原告二郎については241万6191円が相当である。

 (オ) まとめ

 以上のことから,第1審原告らが被控訴人に対して有する損害賠償請求権は,亡冬子については1億3196万8656円,第1審原告一郎については2789万8108円,第1審原告二郎については2657万8108円となる。その後,第1審原告一郎及び第1審原告二郎が亡冬子の権利義務を相続により承継したから,控訴人らの有する損害賠償請求権は,控訴人甲野一郎につき9388万2436円,控訴人甲野二郎につき9256万2436円となる。

 イ 第2次的主張

 (ア) 春子の損害

 a 逸失利益(2537万7773円)

 昭和53年度賃金センサス(産業計・企業規模計・女子大卒)の平均賃金は214万9300円であり,春子は死亡時(29歳)から少なくとも67歳までの38年間は就労可能であり,これに対応するライプニッツ係数は16.8678である。春子は独身女性であったので,生活費控除率を3割とすると,逸失利益は,次のとおり2537万7773円となる。

 2,149,300円×16.8678×(1−0.3)=25,377,773

 b 慰謝料(1500万円)

 理不尽にも29歳という若年で殺害され,命を奪われた春子の慰謝料は,1500万円を下らない。

 c 葬儀関係費用(70万円)

 春子の葬儀関係費用としては,70万円が相当である。

 (イ) 損害賠償請求権の相続

 春子の両親である亡冬子及び亡太郎は,本件当時,上記(ア)a及びbの損害4037万7773円の2分の1に当たる2018万8886円を各々相続したところ,昭和57年に父である亡太郎が死亡したことにより,亡太郎の相続分のうち,その妻である亡冬子は,その2分の1に当たる1009万4443円を,その子である第1審原告一郎及び第1審原告二郎は,各々その4分の1に当たる504万7221円をそれぞれ相続した。また,亡冬子の死亡により,第1審原告一郎及び第1審原告二郎は,亡冬子の権利義務を各2分の1の割合で承継した。

 そのため,結局のところ,春子の被控訴人に対する損害賠償請求権につき,第1審原告一郎及び第1審原告二郎は各2018万8886円をそれぞれ承継したことになる。

 なお,葬儀関係費用は第1審原告一郎が負担したから,第1審原告一郎が損害賠償請求権を承継したものとする。

 (ウ) 第1審原告ら固有の損害

 a 亡冬子及び亡太郎には民法711条に基づく固有の慰謝料が発生している。

 そして,第1審原告一郎及び第1審原告二郎と春子の間には,春子が両名の世話を親同様に行っていたことなどに照らせば,同条に規定する者と実質的に同視できる身分関係が存在したというべきであり,第1審原告一郎及び第1審原告二郎にも,同条の類推適用に基づく固有の慰謝料が発生しているというべきである。

 b また,第1審原告らは,かけがえのない家族を奪われただけではなく,約26年間もの長きにわたり春子の捜索を懸命に続けたところ,春子の遺体が被控訴人の自宅の床下に埋められ,その上で被控訴人が生活していたという異常な事態に直面させられた。そのため,第1原告らには,民法710条,民法709条に基づき,固有の慰謝料が発生しているというべきである。

 c そして,控訴人らの固有の慰謝料としては,亡太郎及び亡冬子の固有の慰謝料の相続分をも含め,控訴人ら各自につき250万円を下らない。

 (エ) 弁護士費用

 被控訴人において負担すべき弁護士費用については,第1審原告一郎については233万8888円,第1審原告二郎については226万8888円が相当である。

 (オ) まとめ

 以上のことから,控訴人らが被控訴人に対して有する損害賠償請求権は,控訴人甲野一郎については2572万7774円,控訴人甲野二郎については2495万7774円となる。

 そして,これら損害賠償請求権に対する遅延損害金の起算日は,不法行為の日である昭和53年8月14日となる。

 (被控訴人の主張)

 ア 第1次的主張について

 (ア) 控訴人らの主張する損害及びその額につき,争う。

 (イ) 殊に,春子の逸失利益につき,60歳で定年退職した後は,定年前と同額の収入が得られることはあり得ない以上,61歳から67歳までの期間は,賃金センサスのうち女子労働者平均賃金を基に計算すべきである。

 したがって,本訴提起の前年である平成16年(55歳)まで及び56歳から60歳で退職するまでの5年間(この期間のライプニッツ係数は4.3294)は,控訴人らの主張するとおりの年間収入により計算するとしても,61歳から67歳までの7年間は,女子労働者平均賃金である349万0300円の年間収入(この期間のライプニッツ係数は8.8632)を基に計算すべきである。

 そうすると,春子の逸失利益は,次の計算式により,1億2877万0872円と算定される。

 (140,030,200+6,491,400×4.3294+3,490,300×(8.8632−4.3294))×0.7

 イ 第2次的主張について

 控訴人らの主張は争う。

 ウ 前記前提となる事実(6)のとおり,平成18年10月13日,地方公務員災害補償基金東京都支部長は,本件を公務上災害と認定し,同年12月15日,春子の遺族らに対し,遺族補償一時金等が支払われた。そこで,第1審原告らの損害については,然るべき損益相殺がされるべきである。

第3 当裁判所の判断

 1 認定事実

 丙山晴子,丁原雨子及び被控訴人の各陳述書(甲52ないし甲54,丙1ないし丙5),原審証人丙山晴子,同証人丁原雨子の各証言及び原審での控訴人甲野一郎本人の尋問の結果及び後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の各事実が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。

  (1) 被控訴人は,昭和11年3月*日,北海道小樽市に生まれ,本件殺害行為当時,42歳であった。

 被控訴人は,昭和29年3月,北海道立小樽水産高等学校製造課程を卒業し,製缶会社で働くなどしていたが,昭和36年1月*日には,自衛隊に入隊した。その後,自衛隊で勤務する傍ら,中央大学法学部通信教育課程に入学し,その際,刑務官採用試験を受験し合格したため,昭和38年11月*日からは,千葉刑務所で法務事務看守として勤務することとなった。そして,被控訴人は,北海道に一旦戻るなどしたが,再び上京して,妻風子の実家のアパートに下宿しつつタクシー運転手として勤務し,昭和45年には,風子と結婚した。風子は,足立区の給食調理職として勤務していたところ,被控訴人は,その紹介で足立区の職員採用試験を受験して合格し,昭和48年4月1日以降,学校警備主事としてN小学校で勤務することとなった。

  (2) 春子は,昭和24年7月*日,北海道小樽市に生まれ,本件殺害行為当時29歳であった。春子は,北海道教育大学を卒業後上京し,昭和47年以降,N小学校で図工科専科教諭として勤務していた。

  (3) 本件殺害行為当時,N小学校は夏季休業中であり,教頭をはじめ数名の教職員及び被控訴人が登校していた。また,春子は,昭和53年8月12日にヨーロッパへの研修旅行から帰国し,同月14日は,学校で仕事をするため,午前9時ころから登校していた(乙1,乙5の1及び2,乙6)。

  (4) 被控訴人は,昭和53年8月14日午後4時半ころ,N小学校において勤務中,その1階給食室前廊下において,同じく同小学校に勤務していた春子の首を絞めて殺害した(なお,被控訴人は,陳述書(丙1ないし丙5)において,本件殺害行為に至る経緯及び動機につき縷々供述するが,かかる供述を裏付ける客観的な証拠はなく,その経緯及び動機を認定すべき的確な証拠はない。)。

 被控訴人は,勤務し終えるまで,その遺体を毛布でくるんだ上ロープで縛り,自己所有の乗用車のトランクに乗せて隠し,翌15日,その遺体を本件自宅の1階南側に位置する6畳和室の床下に遺棄した。さらに,被控訴人は,翌16日,その遺体を再度ビニールシートでくるんだ上でロープで縛り,本件自宅の床下に穴を掘って埋めた。

  (5) 春子は,給料日である同月15日,日直であった同月17日,プール当番であった同月22日,さらに日直であった同月23日にも登校しなかったことから,同日,学校は,春子の北海道の実家に連絡するとともに,校長及び他の教職員が校舎内を捜索したほか,春子のアパートを訪ねるなどしたが,何らの手がかりもつかめなかったため,警視庁綾瀬警察署に連絡した。そして翌24日には,春子の実家から,北海道赤平警察署に対して捜索願が出される一方で,同年9月11日及び16日には,春子の父親が上京し,春子のアパートの周辺を捜索し,警察に赴き状況を聴いたり捜索を依頼した。さらに,同年10月25日,再び父親が上京し,学校を訪問するとともに,春子の荷物を整理した。また,控訴人らは,春子につき,拉致被害者に関する特定失踪者問題調査会にも連絡するなどした(甲1,甲2,乙4の1ないし乙5の2)。

  (6) 被控訴人の自宅(本件自宅)は,被控訴人とその妻の共有であったところ,被控訴人は,妻風子とともに,本件殺害行為以前から平成16年7月下旬ころまでの間,本件自宅において生活していた(丙3,丙4)。

 被控訴人は,本件殺害行為後,本件自宅の周囲を,ブロック塀,アルミ製の目隠し,ビニール製の色付き波トタン,有刺鉄線等で囲むなどし,低いところでも高さ約1.80メートルの仕切を設けるなどして,その内部の様子を外部から容易に窺うことができない状態とした。また,被控訴人は,玄関に外灯,サーチライト,赤外線カメラを設置し,本件自宅の建物の南側壁面にもサーチライトを設置するなどした(甲2,甲11,甲12,丙4)。

  (7) 平成6年ころ,本件自宅を含む土地が,区画整理事業の対象地に指定された。被控訴人は,用地の買収に応じることを頑なに拒んでいたが,周囲の住居の立ち退きが進む中,本件自宅からの立ち退きを余儀なくされた(甲3)。

 そのため,被控訴人は,平成16年7月下旬ころ,本件自宅から千葉県安房郡丸山町(当時)所在の妻が所有する土地建物に転居するとともに,区画整理事業に伴う本件自宅の解体の際に,春子の遺体が発見されることもやむなしと考え,同年8月21日,春子の殺害及び隠匿行為につき警視庁綾瀬警察署に出頭して自首した。

 警察において捜索したところ,翌22日,本件自宅の床下から白骨化した遺体及び春子の所持品が発見され,その後DNA鑑定が実施された結果,同年9月29日,それが春子の遺体であることが確認された(甲12ないし甲20)。

  (8) 控訴人らは,春子の遺体が発見されたとの連絡を受け,第1審原告一郎は,本件自宅を訪れ,その状況を確認するなどした。また,第1審原告らは,春子の遺骨を火葬し(甲5),平成16年10月10日,内輪だけの葬儀が催された。

 第1審原告一郎及び第1審原告二郎は,平成16年10月7日,被控訴人に対する不法行為に基づく損害賠償請求権を被保全権利として,本件自宅の土地についての被控訴人の持分につき仮差押えした(甲51)。その後,第1審原告らは,平成17年4月11日,本件訴訟を提起した。

 2 前記1の認定によれば,被控訴人は,昭和53年8月14日,N小学校に警備員として勤務中に,春子を殺害したことが認められ,この殺害行為が不法行為を構成することはいうまでもない。そして,前記1(4)で説示したとおり,本件殺害に至る経緯,動機についてこれを認定すべき的確な証拠はないが,被控訴人が公務を行うにつき小学校の女性教諭を首を絞めて殺害に至るなどは考えにくいことであり,被控訴人が殺害の事実を隠し,春子の遺体を遺棄していることをも考慮すれば,被控訴人の上記殺害行為が公権力の行使としてなされたものと評価することはできず,他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

 3 争点1(春子の殺害行為及び死体遺棄行為以外に,被控訴人が春子の遺体を隠匿し続けた行為が,第1審原告らに対する独立の不法行為を構成するか)について

 前記1認定のとおり,被控訴人は,春子を殺害した後に,本件自宅の床下に遺体を隠し,その後,自宅周囲をトタンで囲んだり,防犯カメラを設置するなど容易に他人を近づかせないようにした上,平成16年7月下旬ころまで,約26年間にわたり,春子の遺体を埋めたままの状態で,本件自宅で生活し続けたことが認められるところ,春子の遺体を遺棄した行為が近親者の死者に対する敬募の念,死者を懇ろに弔い埋葬したいという宗教的感情を損なうものであって,不法行為を構成することは明らかである。

 控訴人らは,被控訴人が春子の遺体を隠匿し続けた行為が,第1審原告らに対する独立の不法行為を構成する旨主張するが,死体遺棄の不法行為は,死体遺棄の行為が完了した時点で終了し,その後に,被控訴人が犯行の発覚を恐れて,死体遺棄の事実が露見することのないよう画策したとしても,このことをもって遺体の隠匿を継続する行為であるとして,これにより近親者に死体遺棄行為により被る法益侵害とは別個の新たな法益侵害を生じるとみることはできない。したがって,控訴人らが遺体の隠匿を継続したという被控訴人の行為は,死体遺棄の行為とは別の独立の不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。

 4 争点2(本件殺害行為及び死体遺棄行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段所定の20年の経過により消滅したかどうか)について

  (1) 被控訴人による本件殺害行為及びその後の死体遺棄行為が不法行為を構成することは既に説示したとおりであるが,被控訴人が春子の殺害行為を完了した昭和53年8月14日及び春子の遺体の遺棄を完了した同月15日から起算して,第1審原告一郎及び第1審原告二郎が本件仮差押えを行い被控訴人に対して権利行使を行った平成16年10月7日の時点又は第1審原告らが本訴を提起した平成17年4月11日の時点において,既に20年が経過していることから,特段の理由がない限り,上記不法行為に基づく損害賠償請求権は法律上当然に消滅したことになるというべきである。

  (2)ア 控訴人らは,本件殺害行為に関する除斥期間の起算点について,被控訴人の行為は,①春子を殺害した行為,②遺体を自宅の床下に埋めた行為,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為からなるところ,これらの各行為は継続した一連の不法行為であるとし,本件の除斥期間は,上記③の行為の終了時から起算されるべきであると主張する。

 しかし,控訴人らがいう遺体の隠匿を継続する行為が死体遺棄行為と別個独立の不法行為を構成するものとは解されず,また,殺害による不法行為と遺体の隠匿による不法行為とは,事実経過としては一連のものであるとしても,両者は法益侵害の性質及び程度を大きく異にするものであるから,これを一体的に評価することは困難である。したがって,これと異なる見解を前提とする控訴人らの主張はその前提において理由がないというべきである。

 イ 控訴人らは,最高裁平成16年4月27日判決・民集58巻4号1032頁を引用して,除斥期間は,損害が顕在化した時点から進行すべきであるとし,本件においては,被控訴人が春子を殺害後,その遺体を隠匿していたため,被控訴人が自首して遺骨が発見されて,はじめて損害が顕在化したのであるから,その時点が除斥期間の起算点となる旨主張する。

 しかし,上記の判例は,蓄積性の物質による健康被害や遅発性の疾病のように,損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合を前提とするものであるところ,本件殺害行為及びその後の死体遺棄行為による損害は,春子の殺害及びその遺体の遺棄の時点において,既に発生しているから,本件は,上記判例とは事案を異にし,その除斥期間の起算点は,原則どおり,本件殺害行為及びその後の死体遺棄行為のいずれについても当該各行為の時点であると解さざるを得ない。

  (3)ア 控訴人らは,民法724条後段の規定は消滅時効を定めたものであるとし,あるいは除斥期間を定めたものであるとしても,被控訴人の側に信義則違反ないし権利の濫用に当たる事情がある場合には,これを援用ないし主張することはできないとし,あるいは正義・衡平の原理から,裁判所がこれを適用することが制限されるべきであると主張し,本件においては,春子を殺害した被控訴人自身が,その発覚を免れるために,春子の遺体を本件自宅の床下に隠匿し続けたために,控訴人らの権利行使が不可能であったという特別の事情があることから,民法724条後段の規定の適用が制限ないし排除されるべきである旨主張する。

 しかし,民法724条後段の20年の期間は,被害者側の認識の如何を問わず,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため,請求権の存続期間を画一的に定めたものであり,除斥期間の性質を有するものと解するのが相当である。そして,裁判所は,当事者の主張がなくとも,除斥期間が経過している場合は,請求権が消滅したものと判断すべきであり,除斥期間を適用することが信義則に反するとか権利の濫用であるなどの主張は,主張自体失当となるものと解される(最高裁平成元年12月21日判決・民集43巻12号2209頁参照)。

 イ 控訴人らは,最高裁平成10年6月12日判決・民集52巻4号1087頁に依拠して,本件において除斥期間の適用が制限されるべきであると主張するが,同判決の事案は,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において,その不法行為を原因として心神喪失の常況にあるにもかかわらず,法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が後見開始の審判を受け,被害者の後見人に就職した者がその時から6か月内に損害賠償請求権を行使したなど特段の客観的事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないとするものであって,その射程は限定されているものと解される。したがって,控訴人らが主張するように,上記判例をもって,加害者自身の行為により権利行使が妨げられてきた場合には,民法724条後段の効果は生じないという趣旨を明らかにしたものと解することはできず,本件において,上記判例の射程は及ばないというほかはない。

  (4)ア 控訴人らは,本件は殺害行為によって損害賠償請求権が発生し,かつ相続が開始したが,加害者である被控訴人の隠匿行為によって相続人である亡冬子及び亡太郎が相続の開始を知らず,相続人が確定しないまま民法724条後段に定める20年が経過してしまい,その後被控訴人の自首により,第1審原告らが相続の開始を知り,相続人確定後6箇月内に損害賠償請求権を行使したという事案であり,民法724条後段の20年が除斥期間と解されるとしても,前掲最高裁平成10年6月12日判決の重視する被害者側の権利行使可能性と,権利行使の困難性に関する加害者側の事情とを考慮すれば,本件では特段の事情があるものとして,民法160条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないものと解すべきである旨主張する。

 イ そこで検討するに,民法160条は,「相続財産に関しては,相続人が確定した時,管理人が選任された時又は破産手続開始の決定があった時から6箇月を経過するまでの間は,時効は,完成しない。」と定めるところ,その趣旨は,相続人が確定するまでに多少の日数を要することがあり,時として相続人がないため一時管理人を選任して相続財産を管理せしめることがあり,これらの場合に時効の停止がなければ,被相続人の権利は,相続人が確定しない間に,または相続人や管理人等がまだその権利があることを知らない間に,時効により消滅することがあり,そのようなことは相続人に酷な面があるとして,これを保護するところにあると解される(なお,民法160条は,相続人を保護する側面のみならず,相続財産に対して権利を有する者を保護する側面も有しているが,本件との関係では相続人の保護の面を考慮すれば足りる。)。そして,民法915条1項により,相続人となるべき者が承認又は放棄をし得る時までは相続人は確定しないものというべきであり,被相続人が死亡して相続が開始したが,その死亡の事実が不明のため,相続人となるべき者において相続開始の事実を知ることができない場合にも,相続人が確定しないものとして,民法160条が適用になるものと解するのが相当である。

 これに対し,民法724条後段の規定の趣旨は,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため,被害者側の事情等は特に顧慮することなく,請求権の存続期間を画一的に定めるという除斥期間を定めたものと解されるところ,上記規定を字義どおりに解すれば,不法行為の被害者が殺害され,遺体を隠匿されるなどしたため,相続人に死亡の事実が20年以上知られないままとなったときは,上記20年が経過する前に不法行為による損害賠償請求権を行使することができないまま,上記損害賠償請求権が消滅することとなる。

 しかし,これによれば,特定人の死亡(及びそれに伴う相続開始)の事実が相続人に知られないことになったのが当該不法行為に起因する場合であっても,被害者の相続人は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,殺害を行った加害者は,20年の経過によって被害者に対する損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると,少なくとも,上記のような場合にあっては,当該相続人を保護する必要があることは,前記時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。

 したがって,不法行為により被害者が死亡し,不法行為の時から20年を経過する前に相続人が確定しなかった場合において,その後相続人が確定し,当該相続人がその時から6箇月内に相続財産に係る被害者本人の取得すべき損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法意に照らし,上記相続財産に係る損害賠償請求権について同法724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。

 ウ これを本件についてみると,前記1に認定したとおり,昭和53年8月14日に春子が被控訴人から殺害されて死亡し,客観的に相続が開始したが,被控訴人において春子の遺体を自宅床下に隠匿したため,春子の父亡太郎及び母亡冬子は,春子が死亡したこと即ち自己のために相続の開始があったことを知らないままであったこと,平成10年8月14日,被控訴人による殺害行為時から20年が経過したが,同時点でも,春子の権利義務の相続人による承継人ら(既に亡太郎が死亡していたことから当時の承継人は第1審原告らの3名)はやはり春子の死亡,すなわち自己のために相続の開始があったことを知らないままであったこと,その後,平成16年8月22日,被控訴人の自首に伴い,本件自宅の床下から白骨化した遺体が発見され,同年9月29日,DNA鑑定によりそれが春子の遺体であると確認されたため,同年10月7日,第1審原告一郎及び第1審原告二郎は被控訴人に対する不法行為に基づく損害賠償請求権(春子が取得すべき損害賠償請求権の相続による承継分を含む。)を被保全権利として,本件自宅の土地についての被控訴人の持分を仮差押えし,さらに,平成17年4月11日,第1審原告らは,本件訴えを提起することにより上記損害賠償請求権を行使したことが認められる。

 以上の経緯により,第1審原告らは,春子の遺体が確認された平成16年9月29日から3箇月経過してその相続人が確定した時から6箇月以内に本訴を提起したものであるから,本件においては前記特段の事情があるものというべきであり,民法724条後段の規定にかかわらず,本件殺害行為に係る不法行為により春子が取得すべき損害賠償請求権が消滅したということはできない。

  (5) そうすると,上記の春子が取得すべき損害賠償請求権は民法724条後段の除斥期間の経過によっては消滅していないというべきであり,他方,他に特段の理由はないから,控訴人らが主張するその余の損害賠償請求権は上記除斥期間の経過により消滅したというべきである。

 5 第1審原告らの損害(争点3)

  (1) 春子の損害

 ア 死亡による逸失利益 2537万7773円

 春子が,昭和53年8月14日,当時29歳で被控訴人によって殺害されたが,昭和53年度賃金センサス(女子大卒労働者の産業計・企業規模計)の平均賃金は214万9300円であり,本件殺害行為がなければ,67歳までの38年間は就労可能であり,これに対応するライプニッツ係数は16.8678,春子は独身女性であったため,その生活費控除を30パーセントとして計算すると,逸失利益は,次のとおり,2537万7773円となる。

 2,149,300×16.8678×(1−0.3)=25,377,773

 イ 死亡慰謝料 1500万円

 春子は,29歳という若年で殺害され,本件自宅床下に埋められ,遺族にも知られないまま約26年もの間放置されたもので,本件犯行の態様,遺族感情などを総合すると,昭和53年当時の交通事故等による死亡事故被害者の平均的慰謝料が1000万円前後であったことを考慮しても,春子の慰謝料としては1500万円を認めるのが相当である。

 ウ 葬儀費用 70万円

 諸般の事情から,本件殺害行為に係る不法行為と因果関係のある葬儀費用としては70万円を認めるのが相当である。

 エ 以上の合計 4107万7773円

  (2) 春子の逸失利益に係る損害については上記のとおり計算するのが相当であり,控訴人らの主張する第1次的主張に係る損害の計算方法は採用しない。

 なお,春子の死亡により第1審原告らが被った固有の損害及び春子の遺体の遺棄により第1審原告らが被った損害に係る損害賠償請求権がいずれも民法724条後段の除斥期間の経過により消滅したことは,前記4に説示したとおりである。

  (3) 損益相殺について

 ア 証拠(甲58ないし甲60)によれば,地方公務員災害補償基金東京都支部長は,本件を公務上災害と認定し,平成18年12月15日,遺族らに対し,以下のとおり遺族補償一時金等を支払ったことが認められる。

 (ア) 遺族補償一時金 571万6000円

 (イ) 遺族特別支給金 200万円

 (ウ) 遺族特別援護金 100万円

 (エ) 遺族特別給付金 114万3200円

 (オ) 葬祭補償金 34万2960円

 このうち,(ア)遺族補償一時金と(オ)葬祭補償金の合計605万8960円は損益相殺の対象となる。しかし,(イ)ないし(エ)の特別支給金,特別援護金及び特別給付金は,基金が被災職員の遺族の援護を図るための福祉事業の一環として,地方公務員災害補償法47条,同法施行規則第38条に基づき支給するもので,遺族補償一時金等の場合とは異なり,同法59条のような調整規定の定めもないから,これらについては,損益相殺の対象とはならないと解するのが相当である。

 イ そうすると,地方公務員災害補償基金から支給された金員のうち,遺族補償一時金と葬祭補償金の合計605万8960円は損益相殺の対象として春子の損害額から控除すべきであるが,これらが支給されたのは,殺害後約28年経過した後であり,衡平の観点から,民事法定利率年5分で計算した昭和53年当時の現価をもって損益相殺することが相当である。これによれば,損益相殺すべき金額は次のとおり,252万4566円となる。

 6,058,960÷(1+0.05×28)=2,524,566

 ウ 以上によれば,損益相殺後の残額は,次のとおり,3855万3207円となる。

 (1)エの合計41,077,773−2,524,566=38,553,207

  (4) 損害賠償請求権の相続

 春子の両親である亡太郎と亡冬子は,本件殺害行為当時,春子の損害賠償請求権の2分の1を各々相続したところ,昭和57年に亡太郎が死亡したことにより,亡太郎の相続分のうち,その妻である亡冬子はその2分の1を,その子である第1審原告一郎及び第1審原告二郎は各々その4分の1を相続した。その後,平成19年1月28日に亡冬子が死亡したことにより,控訴人らが亡冬子の有する被控訴人に対する損害賠償請求権を各2分の1ずつ相続した。そのため,結局のところ,春子の被控訴人に対する損害賠償請求権につき,控訴人らは,各自1927万6603円ずつをそれぞれ相続により承継したというべきである。

  (5) 弁護士費用

 控訴人らが控訴人ら訴訟代理人弁護士に委任して本件訴訟を追行していることは記録上明らかであるところ,本件殺害行為に係る不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は,本件の訴訟経緯,認容額等諸般の事情を考慮して,控訴人ら各自につき各200万円が相当である。

  (6) まとめ

 以上のことから,控訴人らが被控訴人に対して有する損害賠償請求権は,控訴人ら各自につきそれぞれ2127万6603円となる。

 6 結論

 以上の次第で,控訴人らの本件請求は,被控訴人に対して,控訴人ら各自につき各2127万6603円及びこれに対する不法行為の日である昭和53年8月14日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれらを認容し,その余の請求については理由がないから棄却すべきである。よって,これと異なる原判決を上記のとおり変更し,被控訴人の附帯控訴は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。




主文

 1 被告乙川一夫は,原告甲野冬子に対し,110万円及びこれに対する平成17年4月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 被告乙川一夫は,原告甲野一郎に対し,110万円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 3 被告乙川一夫は,原告甲野二郎に対し,110万円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 4 原告らの被告乙川一夫に対するその余の請求をいずれも棄却する。


 5 原告らの被告足立区に対する請求をいずれも棄却する。

 6 訴訟費用は,これを100分し,その1を被告乙川一夫の,その余は原告らの負担とする。

 7 この判決は,第1項ないし第3項に限り,仮に執行することができる。 


事実及び理由

第1 請求

 1 被告らは,原告甲野冬子に対し,連帯して,1億3196万8656円及びこれに対する平成17年4月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 被告らは,原告甲野一郎に対し,連帯して,2789万8108円及びこれに対する平成17年4月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 3 被告らは,原告甲野二郎に対し,連帯して,2657万8108円及びこれに対する平成17年4月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

 本件は,訴外甲野春子(以下「春子」という。)の相続人である原告らが,被告足立区の小学校に警備員として勤務していた被告乙川一夫(以下「被告乙川」という。)が,同じ小学校に教諭として勤務していた春子を殺害した上,その遺体を約26年間にわたって自宅の床下に隠していたとして,被告乙川に対しては民法709条の不法行為責任に基づき,被告足立区に対しては民法715条の使用者責任ないし国家賠償法1条に基づく責任さらには安全配慮義務違反による債務不履行責任に基づき,連帯して春子の逸失利益等及び原告らの慰謝料等の支払を求めた事案である。

 1 前提となる事実

  (1) 当事者等

 ア 春子(昭和24年*月*日生)は,昭和53年8月14日当時,被告足立区の設置する足立区立N小学校(以下「N小学校」という。)において,図工教諭として勤務していた。

 イ(ア) 原告甲野冬子(以下「原告冬子」という。)は,春子の母である。

 なお,原告冬子は,平成17年2月23日,札幌家庭裁判所において,後見開始の審判を受け,原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)がその成年後見人に選任された。

 (イ) また,訴外甲野太郎(以下「太郎」という。)は,春子の父であるが,昭和57年*月*日,死亡した。

 (ウ) 原告一郎及び原告甲野二郎(以下「原告二郎」という。)は,各々原告冬子の長男及び次男であり,春子の弟に当たる。春子には,原告ら3名の外に相続人はいない(甲6,甲7,弁論の全趣旨)。

 ウ 被告乙川は,昭和48年4月,被告足立区において学校警備の職務を行う職員として採用され,以降平成3年3月まで,N小学校において警備員として勤務していたが,平成7年3月,被告足立区を退職した(乙1)。

 被告乙川は,平成16年7月下旬ころまで,東京都足立区六木〈番地略〉所在の自宅(以下「本件自宅」という。)に居住していた(甲8,乙1)。

 エ 被告足立区は,地方自治法281条の規定に基づく特別区として,N小学校を設置・管理し,教育事務を行う地方公共団体である。

  (2) 被告乙川による春子の殺害及び隠匿

 被告乙川は,昭和53年8月14日,N小学校において勤務中,同じくN小学校に勤務していた春子を殺害し(以下「本件殺害行為」という。),その後,春子の遺体を本件自宅の床下に穴を掘り埋めた。

  (3) 自首

 被告乙川は,平成16年8月21日,警視庁綾瀬警察署に出頭して春子の殺害及び隠匿を申告し自首したところ,同月22日,本件自宅の床下から白骨化した遺体及び春子の所持品が発見され,その後DNA鑑定が実施された結果,同年9月29日,それが春子の遺骨であることが確認された(甲12ないし甲20)。

  (4) 仮差押え

 原告一郎及び原告二郎は,平成16年10月7日,被告乙川に対する,不法行為に基づく損害賠償請求権を請求債権として,本件自宅の土地についての被告乙川の持分につき,仮差押決定(以下「本件仮差押え」という。)を得た(甲51)。

  (5) 本件訴訟の提起

 原告らは,平成17年4月11日,本件訴訟を提起した。

 2 争点及びこれに対する当事者の主張

  (1) 本件殺害行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段所定の20年の経過により消滅したか(争点1)。

 (原告らの主張)

 ア 民法724条の適用制限について

 (ア) 信義則違反,権利の濫用に当たること

 民法724条後段は,除斥期間を定めたものではなく,消滅時効を規定したものと解すべきであり,信義則・権利濫用による適用制限に服するというべきである。

 仮に,同条後段が除斥期間を規定したものであると解されるとしても,それをもって演繹的に信義則違反・権利の濫用による適用制限の主張を許さないという結論を導くのは相当でなく,同条後段による保護を与えることが相当でない特段の事情が認められる場合には,除斥期間経過の主張は信義則違反ないし権利の濫用に当たるとして,その適用が制限されるべきである。

 本件においては,被告乙川自らが春子を殺害した上,その後約26年間にわたって遺体を本件自宅に隠し続けて,原告らの権利行使を妨げ続けたものである。

 また,被告足立区においても,このような被告乙川を雇用していたことに加え,春子の失踪当時,あくまで春子の措置・処分を中心として調査を行うのみで,調査を早々に終了させるなど,事実関係の解明に消極的であったこと,事件発覚後も遺族である原告らに対し,何らの報告や謝罪もなく,本件訴訟においても事実関係の調査や書証の提出に極めて消極的である。

 このような被告らについて,民法724条後段による保護を与えることが相当でない特段の事情があることは明らかであるから,被告らの除斥期間経過の主張は,信義則違反ないし権利の濫用に当たるというべきである。

 (イ) 正義・衡平の原理,条理

 さらに,除斥期間制度の趣旨を前提としても,なお,除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,衡平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限できると解すべきである。

 本件において,被告乙川の隠匿行為や,被告足立区の消極的な態度に照らすと,除斥期間を適用することは著しく正義,衡平の原理に反しており,その適用を制限することが条理にかなう。

 (ウ) 時効ないし除斥期間の停止

 最高裁判所平成10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁においては,不法行為の被害者が,不法行為の時から20年を経過する前6か月内において,同不法行為を原因として心神喪失の状態にあるのに法定代理人を有しなかった場合,その後当該被害者が後見開始の審判を受け,後見人に就職した者がその時から6か月内に損害賠償請求権を行使したなどの特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないと解するのが相当である旨判示している。これは,加害者自身の行為により権利行使が妨げられてきた場合には,同法724条後段の効果は生じないという趣旨であるところ,本件においては,被告乙川の隠匿行為及び被告足立区の不誠実な対応により,原告らの権利行使が妨げられていたものであるから,同条後段の適用は制限されるべきである。

 イ 民法724条後段の20年の起算点について

 (ア) 被告乙川の行為は,①春子を殺害した行為,②遺体を自宅の床下に埋めた行為,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為に分けられるところ,①春子を殺害した行為が不法行為に該当することは言うまでもない。さらに,②遺体を自宅の床下に埋めた行為及び③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為についても,被告乙川が,犯行の発覚を免れるために遺体を埋め直したり,本件自宅に殊更に他人を寄せ付けないようにしていたことや区画整理事業による立ち退きにも最後まで応じようとしなかった経緯からすれば,時間的・場所的にも非常に近接している①春子を殺害した行為の発覚を免れる目的で行ったものであることは明らかであり,上記②及び③の各行為が密接不可分の関係にあるとともに,①春子を殺害した行為と同様,不法行為に該当する。

 したがって,上記①ないし③の各行為は,全て一連の不法行為と評価すべきである。

 この点,被告らは,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為は,単に従前と同様にその土地上で日常生活をしているにすぎず,何ら不法行為に該当するものではない旨主張する。しかしながら,被告乙川は,自己の犯行の発覚を恐れ,他者を容易に本件自宅内に立ち入らせないようにするため,本件自宅の周囲に有刺鉄線を張ったり,防犯カメラを設置するなど,異様な状況を作出していたことからすれば,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為も,遺体の隠匿の重要な要素であるというべきであり,①春子を殺害した行為及び②遺体を自宅の床下に埋めた行為と一体となった継続的不法行為の要件を充足していることは明らかである。

 継続的不法行為においては,当該不法行為の終了時点を起算点とすべきであるから,民法724条後段の20年の期間経過の起算点は,被告乙川が春子の遺体の上での生活を終了した平成16年8月22日というべきである。

 (イ) 万一,上記の①春子を殺害した行為のみが不法行為であり,②遺体を自宅の床下に埋めた行為及び③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為が不法行為になり得ないと解すべきであるとしても,不法行為に基づく損害賠償請求は,加害行為の存在だけでなく,加害行為により損害が発生することにより初めて成立しその行使が可能となり,蓄積進行性の健康被害の事案である最高裁判所平成16年4月27日第三小法廷判決・民集58巻4号1032頁においても,損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは,被害者にとって著しく酷である一方,加害者にとっては,自らの行為により生じ得る損害の性質からみて,相当期間経過後に損害賠償請求を受けることを予期すべきであることから,民法724条後段に規定される20年の期間も,当該損害の全部又は一部が発生した時から進行するとされている。

 しかるところ,被告乙川自らが殺害行為を隠匿して損害の顕在化を妨害したような本件の場合において,殺害行為の時点から除斥期間の進行を認めることは,蓄積進行性の健康被害の事案以上に,著しく被害者である原告らにとって酷であるし,また加害者である被告乙川も,損害賠償請求を受けることは当然予期できたものということができる。

 したがって,本件における期間は,本件の損害が顕在化した時点,すなわち発見された遺骨が春子のものであるとDNA鑑定によって確認された平成16年9月29日,あるいは早くとも本件自宅から遺体が発見された同年8月22日から進行するというべきである。

 ウ その他,民法715条の使用者責任の根拠は,報償責任及び危険責任の法理に基礎付けられた代位責任であると解されることから,被用者が責任を負う場合には,原則として使用者も責任を負うべきである。したがって,時効の適用が問題となる場面において,時効の援用の相対効を前提としつつも,なお被用者が責任を負う場合には,使用者は,被害者に対して積極的に協力したなどの特段の事情のない限り,代位責任を負い,民法724条後段の効果は生じないというべきである。

 エ 以上のことから,本件殺害行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,未だ消滅していない。

 (被告らの主張)

 以下のとおり,本件殺害行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,被告乙川の春子殺害時あるいは遺体隠匿時から既に20年が経過していることから,民法724条後段の除斥期間の経過によって消滅したというべきである。

 ア 民法724条の適用制限について

 民法724条後段の規定は,同条前段の3年の時効が,損害及び加害者を知ったときという被害者の主観的事情によって左右され,これらの事情を被害者が知らなければ消滅時効の起算点が定まらないという点に鑑み,そのような状態を一定の期間で確定させるため,被害者の認識いかんを問わず,画一的に法律関係の確定を図ろうとするものである。そのような趣旨からすれば,同条後段は除斥期間を定めたものと解されるから,信義則・権利濫用という個別的事情によって,その適用が制限されるものではない。

 さらに,本件においては,原告らの主張するような信義則,権利濫用及び正義・衡平の原理あるいは条理によって,除斥期間の適用が制限されるような事実関係にもない。殊に,被告足立区は,直接加害行為に及んだものではなく,また春子を隠匿するなどして原告らの権利行使を妨げる状況を作出したわけではない以上,除斥期間の適用の制限を受けることは,およそない。

 イ 民法724条後段の20年の起算点について

 (ア) 原告らは,被告乙川の行為につき,①春子を殺害した行為,②遺体を自宅の床下に埋めた行為,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為は一連の不法行為であると主張し,除斥期間の起算点は,上記③の行為終了時すなわち本件自宅から春子の遺体が発見された時点である旨主張する。

 しかしながら,②遺体を自宅の床下に埋めた行為は,先行する①春子を殺害した行為と関連性を有するとしても,それぞれ個別に不法行為が成立するものである以上,独立に除斥期間は進行するというべきである。

 また,②遺体を自宅の床下に埋めた行為が,①春子を殺害した行為の発覚を免れる目的のためになされたものであると言い得ても,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為は,単にその土地上で従前と同様に生活をしているだけであって,そもそも不法行為が成立することはない。

 したがって,上記①ないし③の各行為を一連の不法行為ということはできず,除斥期間の起算点は,不法行為と言い得る①春子を殺害した行為あるいは②遺体を自宅の床下に埋めた行為の各時点というべきである。

 (イ) さらに,仮に,原告らの主張するとおり,民法724条後段に規定される20年の除斥期間が,「損害」が顕在化した時点から進行するものと解することができるとしても,本件においては,既に損害が顕在化していたが,単に原告らがその事実を知らなかったというにすぎず,損害の発生が顕在化していることには変わりがない。

  (2) 本件殺害行為につき,被告足立区には安全配慮義務違反が認められるか(争点2)。

 (原告らの主張)

 被告足立区は,その所属する公務員であった春子に対し,公務遂行のために設置すべき場所,設備若しくは器具等の設置管理又は公務員が被告足立区若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たって,公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務,すなわち安全配慮義務を負う。

 しかるところ,被告乙川は,N小学校において,子どもたちのランドセルを窓から放り投げる,職員に殴りかかりそうになるなど,職員との間でトラブルを起こしており,また,警備中にこん棒を所持したり,ペットの猿を連れたりするなど,異様な行動をとっていたことからも明らかなとおり,警備員としての資質に欠けていただけでなく,当該学校に勤務する職員や児童らに対して危害を加える可能性は十分にあった。

 したがって,被告足立区は,春子の生命・身体に生じていた危険を回避するために,被告乙川について,職員らとのトラブルに関する事実調査や,被告乙川への注意・勧告,配置転換等を行い,春子に対して危害が加えられないよう,人事上の処置をすべき義務を負っていたというべきである。それにもかかわらず,当該学校の学校長や教頭は,被告乙川に対して何らの注意も行うことはなかったのであり,その結果,被告乙川によって春子が殺害されたものである。

 したがって,被告足立区は,春子に対して,安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負うものというべきである。

 (被告足立区の主張)

 被告乙川が警備中にこん棒を持っていたとしても,警備員として問題のある行為とはいえない。また,仮にランドセルを投げたり,警備中にペットを連れていたことがあったとしても,そのことをもって職員や児童に危害を加える可能性があったといえるものでもない。また,職員は単に殴りかかられそうになったにすぎず,これらの行為から,被告足立区が,被告乙川の危険性を予測し,春子の生命・身体に危害が加えられないようにすべき措置を採るべき義務を負っていたとはいえない。

 したがって,被告足立区の春子に対する安全配慮義務違反の事実は存しない。

  (3) 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権につき消滅時効が完成しているか(争点3)。

 (被告足立区の主張)

 仮に,被告足立区の春子に対する安全配慮義務違反が認められたとしても,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効は,権利行使が可能な時点から10年であるところ,本件における消滅時効の起算点は,春子が殺害された昭和53年8月14日であり,その時点からの10年の期間の経過によって,既にかかる請求権の消滅時効は完成している。なお,原告らは春子の遺体が発見されるまでは権利行使が不可能であった旨主張するが,かかる事情は事実上の障害に基づくものにすぎないから,上記起算点に影響を及ぼさない。

 したがって,被告足立区は,本件訴訟において,上記消滅時効を援用する。

 (原告らの主張)

 本件においては,原告らの被告足立区に対する権利行使は,DNA鑑定により本件自宅から発見された遺骨が春子のものであることが判明した平成16年9月29日,あるいは早くとも殺害の事実が発覚して遺体が発見された同年8月22日に可能となったもので,それまでは,被告足立区に対する権利行使をなすことが不可能であった。そして,最高裁判所平成15年12月11日第一小法廷判決・民集57巻11号2196頁においても,権利行使が現実に期待できない特段の事情が存在する場合には,その間,消滅時効は進行しないと解されているところである。

 そのため,本件の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は,同年9月29日あるいは同年8月22日というべきであり,本件において,未だ消滅時効は完成していない。

  (4) 被告乙川が春子の遺体を隠匿し続けた行為が,原告らに対する独立の不法行為を構成するか(争点4)。

 (原告らの主張)

 上記のとおり,被告乙川が,春子の殺害行為の発覚を免れるために遺体を埋め直したりしていること,本件自宅の周囲をトタンで囲んだり,防犯カメラを設置するなど殊更に他人を寄せ付けないようにしていたこと及び区画整理事業による立ち退きにも最後まで頑強に応じようとしなかったことからすれば,被告乙川が春子の遺体を隠匿し,同遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為については,それ自体独立した不法行為を構成するというべきである。

 そして,近親者は,死者に対して,敬愛追慕の情を抱き,死者を懇ろに弔い埋葬したいという宗教的感情を有しており,その死体が他者によって損壊されることによって被る精神的苦痛は社会生活上無視できないものである。そのため,かかる感情は,法的保護に値するものである。

 したがって,被告乙川が春子を殺害後,その遺体を隠匿し続けた行為は,遺族である原告らに対する不法行為を構成する。

 (被告らの主張)

 ア 被告乙川は,従前と同様,本件土地上で日常生活をしていたにすぎず,その行為は,春子の殺害という事実の発覚を免れる目的としてなされたとは言い難い。したがって,被告乙川において春子の遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為が,独立に不法行為を構成することはない。

 そもそも,刑法上,死体遺棄罪は,いわゆる状態犯であるとされ,法益侵害の発生によって犯罪は終了するとされており,その後,法益侵害状態が存続しても,犯罪とはみなされないものである。そうすると,民法上の不法行為も,死体遺棄行為それ自体によって完了するというべきであり,その後の隠匿状態は何ら継続的な不法行為を構成するものではない。

 実際にも,本件の死体の隠匿行為は,犯人だけが遺体の場所を知っているという意味では,山中に死体を遺棄する行為と変わらない。そして,一般に殺害後の死体遺棄行為は,殺人が行われたことの発覚を免れるためになされるものであることからすれば,本件における被告乙川の行為は,他の死体遺棄行為と本質的な差異はないというべきであるから,春子の遺体を隠し続けたことのみで,継続的な不法行為が成立し,長期間にわたって不法行為責任が問われるのは不当というべきである。

 イ 仮に,かかる隠匿行為が継続的な不法行為に当たるとしても,春子の死亡により,既に損害は発生しているというべきであって,上記隠匿行為及びその継続により,原告らに法的に保護されるべき損害が生じているとはいえない。

 ウ したがって,被告乙川が春子の遺体を隠匿し続けたことは,何ら不法行為を構成するものではない。

  (5) 原告らの損害(争点5)

 (原告らの主張)

 ア 春子の損害

 (ア) 死亡による逸失利益(1億3829万5343円)

 春子が,昭和53年8月14日,当時29歳で被告乙川によって殺害されて以降,本訴提起の前年である平成16年(55歳)までの間の収入の合計は,各年度の賃金センサス(女子大卒労働者の産業計・企業規模計)をもとにして計算すると,1億4003万0200円となる。

 その後,春子は56歳(平成17年)から少なくとも67歳まで12年間就労可能であり,平成16年(55歳)の賃金センサス(女子大卒労働者の産業計・企業規模計)をもとにすると,その間,年間649万1400円の収入を得られるはずであった。そして,56歳から67歳までの12年間に対応するライプニッツ係数は,8.8632,春子は独身女性であったため,その生活費控除を30パーセントとするのが相当である。

 そうすると,春子の逸失利益としては,1億3829万5343円となる。

 (140,030,200+6,491,400×8.8632)×0.7=138,295,343円

 (イ) 死亡慰謝料(1500万円)

 理不尽にも29歳という若年で殺害され,命を奪われた春子の慰謝料は,1500万円を下らない。

 イ 損害賠償請求権の相続

 春子の両親である原告冬子及び太郎は,本件当時,上記アの損害1億5329万5343円の2分の1に当たる7664万7671円を各々相続したところ,昭和57年に父である太郎が死亡したことにより,太郎の相続分のうち,その妻である原告冬子は,その2分の1に当たる3832万3835円を,その子である原告一郎及び原告二郎は,各々その4分の1に当たる1916万1917円をそれぞれ相続した。

 そのため,結局のところ,春子の被告らに対する損害賠償請求権につき,原告冬子は1億1497万1506円,原告一郎及び原告二郎は各々1916万1917円をそれぞれ相続した。

 ウ 原告ら固有の損害

 (ア) 慰謝料

 a 原告冬子には民法711条に基づく固有の慰謝料が発生している。

 そして,原告一郎及び原告二郎と春子の間には,春子が両名の世話を親同様に行っていたことなどに照らせば,同条に規定する者と実質的に同視できる身分関係が存在したというべきであり,原告一郎及び原告二郎にも,同条類推に基づく固有の慰謝料が発生しているというべきである。

 b また,原告らは,かけがえのない家族を奪われただけではなく,約26年間もの長きにわたり春子の捜索を懸命に続けたところ,春子の遺体が被告乙川の自宅の床下に埋められ,その上で被告乙川が生活していたという異常な事態に直面させられた。そのため,原告らには,民法710条,民法709条に基づき,固有の慰謝料が発生しているというべきである。

 c そして,原告らの固有の慰謝料としては,各原告につき500万円を下らない。

 (イ) 葬儀関係費用

 原告一郎の支出した,春子の葬儀関係費用としては,120万円が相当である。

 (ウ) 弁護士費用

 原告らにおいて負担すべき弁護士費用は,原告冬子については1199万7150円,原告一郎については253万6191円,原告二郎については241万6191円が相当である。

 エ まとめ

 以上のことから,原告らが被告らに対して有する損害賠償請求権は,原告冬子については1億3196万8656円,原告一郎については2789万8108円,原告二郎については2657万8108円となる。

 (被告らの主張)

 ア 原告らの主張する損害及びその額につき,争う。

 イ 殊に,春子の逸失利益につき,60歳で定年退職した後は,定年前と同額の収入が得られることはあり得ない以上,61歳から67歳までの期間は,賃金センサスのうち女子労働者平均賃金をもとに計算するべきである。

 したがって,本訴提起の前年である平成16年(55歳)まで及び56歳から60歳で退職するまでの5年間(この期間のライプニッツ係数は4.3294)は,原告の主張するとおりの年間収入により計算するとしても,61歳から67歳までの7年間は,女子労働者平均賃金である349万0300円の年間収入(この期間のライプニッツ係数は8.8632)をもとに計算すべきである。

 そうすると,春子の逸失利益としては,1億2877万0872円が相当である。

 (140,030,200+6,491,400×4.3294+3,490,300×(8.8632−4.3294))×0.7=128,770,872円

 ウ また,原告らの主張する被告足立区に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について,春子と被告足立区との間の雇用関係ないしこれに準ずる法律関係の当事者でない原告らには,債務不履行に基づく固有の慰謝料請求権が発生することはない。

第3 当裁判所の判断

 1 本件に関する経緯として,証人丙山晴子,証人丁原雨子及び被告乙川一夫の各陳述書(甲52ないし甲54,丙1ないし丙5),証人丙山晴子,証人丁原雨子及び原告甲野一郎の各尋問の結果及び後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の各事実が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。

  (1) 被告乙川について

 被告乙川は,昭和11年*月*日,北海道小樽市に生まれ,本件殺害行為時,42歳であった。

 被告乙川は,昭和29年3月,北海道立小樽水産高等学校製造課程を卒業し,製缶会社で働くなどしていたが,昭和36年1月*日には,自衛隊に入隊した。その後,自衛隊で勤務する傍ら,中央大学法学部通信教育課程に入学し,その際,刑務官採用試験を受験し合格したため,昭和38年*月*日からは,千葉刑務所で法務事務看守として勤務することとなった。そして,被告乙川は,北海道に一旦戻るなどしたが,再び上京して,妻風子の実家のアパートに下宿しつつタクシー運転手として勤務し,昭和45年には,風子と結婚した。風子は,被告足立区の給食調理職として勤務していたところ,被告乙川は,その紹介で被告足立区の職員採用試験を受験して合格し,昭和48年4月1日以降,学校警備主事としてN小学校で勤務することとなった。

 被告乙川は,職場において,教室の戸締まり等をめぐって,教員との間で軋轢を生じ,校長室で教員と言い合いになるけんかをしたり,放課後に課外活動をしている生徒のランドセルを校庭に放り出したりすることがあったほか,巡回中に,こん棒を所持したり,ペットの猿を連れているという行動がみられ,教職員からも敬遠される存在であった。

  (2) 春子について

 春子は,昭和24年*月*日,北海道小樽市に生まれ,本件殺害行為時,29歳であった。春子は,北海道教育大学を卒業後上京し,昭和47年以降,N小学校で図工科専科教諭として勤務していた。

  (3) 本件殺害行為当時(昭和53年8月14日)のN小学校における教職員の登校状況(乙1,乙5の1,2,乙6)

 本件殺害行為当時,N小学校は夏季休業中であり,教頭をはじめ数名の教職員及び被告乙川が登校していた。また,春子は,同月12日にヨーロッパへの研修旅行から帰国し,同月14日は,学校で仕事をするため,午前9時ころから登校していた。

  (4) 本件殺害行為及び遺体の隠匿行為

 ア 被告乙川は,昭和53年8月14日午後4時半ころ,N小学校において勤務中,その1階給食室前廊下において,同じく同小学校に勤務していた春子の首を絞めて殺害した(なお,被告乙川は,陳述書(丙1ないし丙5)において,本件殺害行為に至る経緯及び動機につき縷々供述するが,かかる供述を裏付ける客観的な証拠はない上,それ自体必ずしも首肯し難いものであることからすれば,本件においては,被告乙川が春子を殺害したという以上に,その経緯及び動機を認定すべき的確な証拠はない。)。

 イ そして,被告乙川は,勤務し終えるまで,その遺体を毛布でくるんだ上ロープで縛り,自己所有の乗用車のトランクに乗せて隠し,翌15日,その遺体を本件自宅の1階南側に位置する6畳和室の床下に遺棄した。さらに,被告乙川は,同月16日,その遺体を再度ビニールシートでくるんだ上でロープで縛り,本件自宅の床下に穴を掘って埋めた。

  (5) 本件殺害行為後の関係者の行動(甲1,甲2,乙4の1ないし乙5の2)

 春子は,給料日である同月15日,日直であった17日,プール当番であった22日,さらに日直であった同月23日にも登校しなかったことから,同日,学校としては,春子の北海道の実家に連絡するとともに,校長及び他の教職員が校舎内を捜索したほか,春子のアパートを訪ねるなどした。しかしながら,学校としては,春子に関する何らの手がかりもつかめず,そのまま警視庁綾瀬警察署に連絡し,また教育委員会に報告した。

 そして翌24日には,春子の実家から,北海道赤平警察署に対して捜索願が出される一方で,春子の叔父が来校し,学校から経過に関する説明を受けた。また,同年9月11日及び16日には,春子の父親が上京し,春子のアパートの周辺を捜索し,警察に赴き状況を聴いたり捜索を依頼し,さらに学校とも経過等について話し合った。さらに,同年10月25日,再び父親が上京し,学校を訪問するとともに,春子の荷物を整理した。

 さらに,原告らは,春子につき,拉致被害者に関する特定失踪者問題調査会にも連絡するなどした。

  (6) 本件殺害行為後の被告乙川の生活状況

 ア 本件自宅は,妻風子の所有する土地及び被告乙川が10分の1,妻風子が10分の9の持分を有する建物からなるところ,被告乙川は,妻風子とともに,本件殺害行為以前から平成16年7月下旬ころまでの間,本件自宅において生活していた(丙4)。なお,本件自宅の周囲は,高いブロック塀で囲まれ,その上に有刺鉄線が張り巡らされ,監視カメラやサーチライトが設置されるなど,容易に人が近付き難い状況を呈しているが,被告乙川が本件自宅にこのような工作物等を設置したのは,本件殺害行為の後であり,さらに平成6年ころに,本件自宅が東京都市計画事業・佐野六木地区区画整理事業の対象地に指定されて以降,このような行為をエスカレートさせた(甲2)。

 イ 本件自宅の状況(甲11,甲12)

 (ア) 本件自宅の周囲の状況

 a 本件自宅は,その北側及び西側が道路に面し,その東側は人家と接していたが(丙4),平成16年8月22日時点においては,区画整理事業のため,周辺の他の建物は解体途中であり実際に住んでいる人家等は少数であった。

 また,本件自宅の周囲は,以下のように,ブロック塀のみならず,アルミ製の目隠し,ビニール製の色付き波トタン,有刺鉄線等で囲まれるなど,低いところでも高さ約1.80メートルの仕切が設けられているため,その内部の様子を外部から容易に覗き見ることはできない状態となっている。

 b 本件自宅の北側西部分(別図1の①部分)には,庭と道路を隔てる形で高さ約2.27メートルの鉄製の門扉が設けられており,その上部には,高さ約0.64メートルの有刺鉄線が張られている。そしてその東隣(別図1の②部分)には,蛇腹式の門扉及びその内側には高さ約1.76メートルの雨戸が3枚設けられ,その上部には,高さ約0.63メートルないし約0.81メートルの薄水色のビニール製波トタンが付されている。

 また,本件自宅の北西角及び西側北部分(別図1の③部分)には,庭に面する形で高さ約1.10メートルのブロック塀があり,その上部には高さ約1.10メートルのアルミ製の目隠し様のフェンスが,さらにその上部には,高さ約0.64メートルの有刺鉄線が張られている。

 そして,本件自宅の西側南部分(別図1の④部分)には,高さ約1.80メートルのブロック塀があり,その上部には,低いところで約0.46メートル,高いところで約1.11メートルの高さの薄青色のビニール製波トタンが設けられている。

 本件土地の南側部分(別図1の⑤部分)には,高さ約0.46メートルのブロックが積まれ,その上部には,約1.80メートルの高さの外面ピンク色の鉄製板が設けられている。

 さらに,本件自宅の東側部分(別図1の⑥部分)には,高さ約1.80メートルの白色のビニール製波トタンあるいは高さ約2.30メートルの薄青色のビニール製波トタンが設けられている。

 (イ) 本件自宅の出入口の状況

 本件自宅には,北側(別図1の①部分)に門扉が設けられているところ,その門扉の中央部分にはシリンダー捻外締錠の設備があり,加えてその錠の鍵穴を隠すように施錠設備が付けられている。

 (ウ) 本件建物の玄関の状況

 北側の門扉(別図1の①部分)を入った奥には,2枚の引き戸の玄関戸が据え付けられているが(別図1の⑦部分),その中央部分には捻子締り錠の設備があり,その鍵穴は,さらにカード式の鍵を解錠しなければ開かないよう二重ロックになっている。加えて,玄関の引き戸のうち,東側の戸及びそれに接する柱には,シリンダー彫込鎌錠の設備が2つ設けられている。

 また,玄関の上部には,外灯に加え,サーチライトが設置されており,また玄関正面には,赤外線カメラも設置されている(丙4)。

 (エ) その他

 本件自宅の建物の南側壁面には,サーチライトが設置されている。

  (7) 自首に至る経緯

 平成6年ころ,本件自宅を含む土地が,区画整理事業の対象地に指定されたところ,被告乙川は,用地の買収に応じることを頑なに拒んでいたが,周囲の住居の立ち退きが進む中,本件自宅からの立ち退きを余儀なくされた(甲2)。

 そのため,被告乙川は,平成16年7月下旬ころ,本件自宅から千葉県安房郡丸山町沓見〈番地略〉所在の妻風子が所有する土地建物に転居するとともに(甲8,甲57),区画整理事業に伴う本件自宅の解体の際に,春子の遺体が発見されることもやむなしと考え,同年8月21日,春子の殺害及び隠匿行為につき警視庁綾瀬警察署に出頭して自首した。

 なお,被告乙川は,現在,千葉県南房総市千倉町瀬戸〈番地略〉千倉荘101に居住している。

  (8) 遺体の発見状況(甲12ないし甲21)

 平成16年8月22日における春子の遺体の発見状況は,以下のとおりである(別図2参照)。

 すなわち,春子の遺体が埋められていた本件自宅の1階南側6畳和室の畳の下には,防虫シート及び昭和62年9月2日付けの新聞紙が敷かれ,その上には一面にビニールシートが被せられていた。そして,床板は,釘と木ネジで固定されており,その床板から約0.23メートルで土砂面となるところ,床板から約1.05メートルの位置に,春子名義のキャッシュカードをはじめ,財布や化粧品一式及び衣類等が入れられたビニール袋が埋められていた。

 そして,床板から約1.15メートルの位置に,ロープで縛られたビニールシートが埋められており,そのビニールシートの中には,春子の遺骨や腐敗したロープ,着衣片,ビニール袋,ビニールテープ片等が包まれた毛布がロープで縛られた状態で発見された。

  (9) 原告らの対応

 原告らは,春子の遺体が発見されたとの連絡を受け,原告一郎は,本件自宅を訪れ,その状況を確認するなどした。また,原告らは,春子の遺骨を火葬し(甲5),平成16年10月9日,N小学校の元同僚の教諭等が中心となり通夜が行われ,翌10日,内輪だけの葬式が催された。

 2 争点1(本件殺害行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段所定の20年の経過により消滅したか。)について

  (1) 被告乙川による本件殺害行為が不法行為を構成することは論ずるまでもないが,これに基づく損害賠償請求権は,被告乙川が春子の殺害行為を完了した昭和53年8月14日を起算点として,原告らが本件仮差押えを行い被告乙川に対して権利行使を行った平成16年10月7日の時点において,既に20年が経過していることから,民法724条後段の規定により,法律上当然に消滅したものと言わざるを得ない。

  (2) 原告らは,民法724条後段の規定は消滅時効を定めたものであるとし,あるいは除斥期間を定めたものであるとしても,被告らの側に信義則違反ないし権利濫用に当たる事情がある場合には,これを援用ないし主張することはできないとし,あるいは正義・衡平の原理から,裁判所がこれを適用することが制限されるべきであると主張し,本件においては,春子を殺害した被告乙川自身が,その発覚を免れるために,春子の遺体を本件自宅の床下に隠匿し続けたために,原告らの権利行使が不可能であったという特別の事情があることから,民法724条後段の規定の適用が制限ないし排除されるべきであると論ずる。

  (3)ア しかしながら,民法724条後段の20年の期間は,被害者側の認識の如何を問わず,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存在期間を画一的に定めたものであり,除斥期間の性質を有するものであるから,裁判所は,当事者の主張がなくとも,除斥期間が経過している場合は,請求権が消滅したものと判断すべきであり,除斥期間を適用することが信義則に反するとか権利の濫用であるなどの主張は,主張自体失当となるものと解される(最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照)。したがって,これに反する原告らの主張は採用しない。

 イ 原告らは,最高裁判所平成10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁に依拠して,本件において除斥期間の適用が制限されるべきであると主張するが,同判決の事案は,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において,その不法行為を原因として心神喪失の常況にあるにもかかわらず,法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が後見開始の審判を受け,被害者の後見人に就職した者がその時から6か月内に損害賠償請求権を行使したなど特段の客観的事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないとするものであって,その射程は限定されているものと解される。したがって,原告らが主張するように,加害者自身の行為により権利行使が妨げられてきた場合には,民法724条後段の効果は生じないという趣旨を一般化したものということはできず,本件において,上記判例の射程は及ばないというほかはない。

  (4)ア 次に,原告らは,本件殺害行為に関する除斥期間の起算点について,被告乙川の行為は,①春子を殺害した行為,②遺体を自宅の床下に埋めた行為,③遺体を埋めた土地上で生活を続けた行為からなるところ,これらの各行為は継続した一連の不法行為であるとし,本件の除斥期間は,上記③の行為の終了時から起算されるべきであると主張する。

 当裁判所も,後述のとおり,遺体を遺棄する行為あるいは遺体を隠匿する行為が殺害行為とは別個の不法行為を構成する余地があり,殊に,本件においては,被告乙川による遺体の隠匿行為は,継続的不法行為の性質を有し,かつ全体として一体評価が可能であると解するものである。

 しかしながら,殺害による不法行為と遺体の隠匿による不法行為とは,事実経過としては一連のものであるとしても,両者は法益侵害の性質及び程度を大きく異にするものであるから,一体的に評価することは困難であるし,既に完了した重い法益侵害行為に引き続き軽い法益侵害行為が継続していることを理由として,前者の不法行為についての除斥期間の起算点を遅らせることは,法的安定性の観点から定められた除斥期間の制限の趣旨にも反するものと解される。

 したがって,原告らの主張は採用することができない。

 イ 原告らは,最高裁判所平成16年4月27日第三小法廷判決・民集58巻4号1032頁を引用して,除斥期間は,損害が顕在化した時点から進行すべきであるとし,本件においては,被告乙川が春子を殺害後,その遺体を隠匿していたため,被告乙川が自首して遺骨が発見されて,はじめて損害が顕在化したのであるから,その時点が除斥期間の起算点となる旨主張する。しかしながら,上記の判例は,蓄積性の物質による健康被害や遅発性の疾病のように,損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合を前提とするものであるところ,本件殺害行為による損害は,春子の殺害時点において,既に発生しているから,上記判例には当たらず,原則どおり,除斥期間の起算点は加害行為である本件殺害行為の時点であると解さざるを得ない。

  (5) 以上からすれば,本件殺害行為に関する不法行為に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段の除斥期間の経過によって消滅したというべきである。

 3 争点2(本件殺害行為につき,被告足立区には安全配慮義務違反が認められるか。)及び争点3(安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権につき消滅時効が完成しているか。)について

  (1) 上記2で判示したとおり,被告乙川に対する,不法行為に基づく損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅している以上,被告足立区が,原告らに対し,本件殺害行為に関して,民法715条あるいは国家賠償法1条による損害賠償責任を負うことはないのであるが,原告らは,被告乙川は,警備員としての資質に欠け,当該学校に勤務する職員や児童らに対して危害を加える可能性があったにもかかわらず,被告足立区が被告乙川に対し注意・勧告,配置転換等の措置を講じなかったことは,安全配慮義務に違反したものであって,債務不履行責任を負う旨主張する。

  (2) そこで検討するに,国あるいは地方公共団体は,公務員に対し,国あるいは地方公共団体が公務遂行のために設置すべき場所,施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国あるいは地方公共団体若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たって,公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解される(最高裁判所昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照)。

 既に認定したとおり,被告乙川が教室の戸締まり等をめぐって教職員と軋轢があったこと,校長室において教職員と言い合いとなるけんかをしたこと,放課後に課外活動をしている生徒のランドセルを校庭に放り出したこと,校内巡回時に,こん棒を所持したり,時には猿を連れていたことなどが認められるところである。

 しかしながら,被告足立区が,その公務員である春子に対し,安全配慮義務を負うというためには,被告乙川の行状等から,春子の生命,身体等に具体的な危険が生じていることにつき,少なくとも認識し得る状況にあったことを要すると解されるところ,上記各事情により,被告乙川とN小学校の職員との関係が職務上円滑ではなかったことは認められるが,その程度が,被告足立区が,被告乙川により職員の生命及び身体等に具体的な危険が生じていることを認識し得たあるいは認識すべき状況にまで至っていたとはいうことはできない。

 したがって,被告足立区は,春子に対する安全配慮義務に違反したものということはできず,その他,これを認めるに足りる的確な証拠はない。

  (3)ア 上記のとおり,被告足立区は本件殺害行為について安全配慮義務に違反したということはできないが,この点はおくとしても,以下に述べるとおり,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は,時効期間の経過によって消滅していると言わざるを得ない。

 イ すなわち,雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は,民法167条1項により10年と解されるところ,かかる消滅時効は,同法166条1項により,損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものとされている。そして,一般に,安全配慮義務違反による損害賠償請求権は,その損害が発生した時に成立し,同時にその権利を行使することが可能となるものと解されるから(最高裁判所平成6年2月22日第三小法廷判決・民集48巻2号441頁参照),本件においても本件殺害行為の時点が消滅時効の起算点となり,被告足立区において時効の援用を行っていることから,仮に被告足立区の春子に対する安全配慮義務違反が認められるとしても,それに基づく損害賠償請求権は,消滅時効により消滅しているものと言わざるを得ない。

 ウ この点,原告らは,最高裁判所平成15年12月11日第一小法廷判決・民集57巻11号2196頁を引用して,本件においては,被告乙川による春子の遺体の隠匿によって,その殺害の事実を知り得ず,権利行使が現実に期待できないような特段の事情があるとして,その消滅時効の起算点は,権利を行使することが可能となった春子の遺体の発見時以降であるべきと主張する。しかしながら,民法166条1項の消滅時効の規定は,その起算点につき,権利者の認識に左右されるものではない上(前掲最高裁判所昭和50年2月25日第三小法廷判決参照),原告らの引用する判例は,権利の性質上,その行使が期待できない場合についていうものであるところ,本件における権利行使の障害は事実上のものにすぎず,法律上あるいは権利の性質上,権利行使の可能性がなかったということはできないから,原告らの主張を採用することはできない。

  (4) 以上のとおり,原告らの足立区に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求には理由がない。

 4 争点4(被告乙川が春子の遺体を隠匿し続けた行為が,原告らに対する独立の不法行為を構成するか。)について

  (1)ア 上記1で述べたとおり,被告乙川は,昭和53年8月14日に春子を殺害した後に,その遺体を裸にしてロープで縛り,これを毛布に包んでロープで縛った上,さらにそれをビニールシートで覆ってロープで結び,本件自宅の床下に,約1.4メートル余りの穴を掘り,春子の所持品を入れたビニール袋とともに埋め,その上にブロックで掘り炬燵を作り,遺体を隠し,その後,平成16年7月下旬ころまで,約26年間にわたり,春子の遺体を埋めたままの状態で,本件自宅で生活し続けた。被告乙川は,その間,本件自宅の周囲をブロック塀の外,ビニール製の波トタンやアルミ製の目隠し板さらには有刺鉄線で覆うとともに,何重にも鍵を付け,監視カメラやサーチライトを設置するなど,本件自宅に外部から近付き難い状況を作出してきたものである。以上のとおり,被告乙川は,春子の殺害の発覚を免れようという意図のもと,外部から春子の遺体に容易に近付けない状況とし,その遺体を自らの占有下に置いて排他的に管理し続けてきたものということができる。このことは,畳の下から発見された新聞が春子を殺害して約9年経過後の昭和62年9月2日付けのものであるなど,殺害後も,被告乙川が遺体の隠匿状況を気に掛けていたことがうかがわれることからも,裏付けられるところである。

 イ しかるところ,遺骨は本来遺族が故人を弔うために,遺族の下に置かれるべきものであり,このため遺族には遺骨に対する権利が認められ,他人に対してその引き渡しを求めることができるものである。したがって,故なく遺骨を自らの占有下に置いて,遺族から故人を弔い,偲ぶ機会を奪う行為は,遺族が故人に対して有する敬愛・追慕の念を侵害し,精神的苦痛を与えるものとして,それ自体として不法行為を構成するものというべきである。

 本件においては,既に述べたとおり,被告乙川は,春子を殺害後,26年余りの間,遺骨を自らの排他的管理下において隠匿し続けることにより,原告ら遺族から死者を弔いその遺骨を祀る機会を奪い,その感情を侵害したのであるから,本件殺害行為とは別個の不法行為に当たるものと認められる。そして,このような被告乙川の不法行為は,一つの意思に貫かれた等質の権利侵害行為の継続であって,さらに損害も累積的に拡大していくものであるから,このような態様及び損害の性質を勘案すると,全体の隠匿行為を一体的に評価すべきものといえる。そうすると,これらの加害行為の終了時点である遺体発見時を除斥期間の起算点とすべきであり,隠匿開始から遺体発見時までの全期間の権利侵害行為に対する損害賠償請求権について,未だ除斥期間の経過によって消滅していないというべきである。

  (2)ア 被告らは,被告乙川が春子の遺体を埋めた時点で遺体の遺棄行為は完了しており,たまたま遺棄した場所が自宅の床下であったにすぎず,殺害前と同様に本件自宅において日常生活をし続けた行為は,何ら不法行為に当たらない旨主張し,被告乙川も,陳述書(丙4)において,本件自宅の周囲にブロック塀,トタンを設置したり,有刺鉄線を設けたりしたのは,隣家とのトラブルを防止するため,放火犯と思われる不審者あるいは野良猫の侵入を防ぐためであるなどと供述する。

 しかしながら,被告乙川の供述は,被告乙川が本件自宅の周囲をトタン等で覆い始めたのは,いずれも本件事件以降であること(丙4),ブロック塀やトタンにも益して,サーチライト,監視カメラ及び有刺鉄線をも設置するのは明らかに不自然であることに照らして,にわかに措信することができない。また,既に認定したとおり,被告乙川は,単に春子の遺体の遺棄場所を本件自宅の床下にしたというにとどまらず,これを自らの排他的な管理下に置く意思が明らかにうかがわれるのであるから,自らの行為により遺族らに対する権利侵害を継続したものとして,不法行為責任を免れないものというべきである。

 したがって,被告らの主張は採用することができない。

 イ 被告らは,刑法上において,死体遺棄罪は状態犯とされ,遺棄後の隠匿行為は何ら犯罪は成立しないとし,本件における不法行為も,殺害行為及び死体遺棄行為によって完了し,その後の隠匿状態は,何ら不法行為を構成するものではない旨主張する。しかしながら,損害の填補を主たる目的とする民法上の不法行為の制度は,刑法とはその目的を異にするものであり,本件においては不法行為規範により保護に値する遺族の利益が侵害され続けていることは既に述べたとおりであり,被告らの主張には理由がないものと言わざるを得ない。

 さらに,被告らは,本件の遺体の隠匿行為は,実質的には山中に死体を遺棄する行為と変わらないにもかかわらず,本件においてのみ,かかる隠匿行為をもって継続的な不法行為が成立し,長期間にわたって不法行為責任が問われるのは不当である旨主張する。しかしながら,当裁判所も遺体を山中に遺棄する行為が不法行為を構成することを否定するものではないから,両者の扱いに均衡を失することはない。仮に,所論が除斥期間の適用に差が生じることを指摘するものであるとしても,本件の遺体の隠匿行為と山中に遺棄する行為とでは,不法行為者が遺体を自らの排他的支配下に置いて隠匿行為を継続するか否かという行為態様に差があり,これに伴い除斥期間の起算点に違いが生じることは何ら不合理ではない。

  (3) なお,被告乙川の上記隠匿行為は,殺害行為とは別個の不法行為であり,その職務に関してなされたものと認めることはできないから,被告足立区が,被告乙川の隠匿行為という不法行為に関して,民法715条,国家賠償法1条による損害賠償責任を負うということはできない。

 5 争点5(原告らの損害)について

 本件においては,春子は,約26年もの間,本件自宅の床下に無残な状態で放置されていたものである。

 原告らは,春子の母あるいは兄弟という近親者であり,被告乙川による春子の殺害後約26年もの間,春子の遺体に対面して同人を弔うこともできず,その遺骨を祀り,故人を偲ぶことすら叶わなかったものであり,春子に対する敬愛・追慕の情を著しく侵害されたことは明らかである。この間の原告らの遺族の心情は,原告一郎が,春子が汚い土の中に26年間も埋められて苦しかっただろうと思い,きれいな墓に一刻も早く遺骨を納めたいと感じたこと,春子が無残な姿で埋められていたことから,いくら骨だけの姿になっていようとも,せめてきれいな着物を着せてやりたいと棺の中に新しい着物を入れたことなどを供述していることからも察して余りがあるというべきである。

 本件における遺体の隠匿態様,隠匿期間など本件における一切の事情を勘案すると,原告らの精神的苦痛に対する慰謝料は,原告ら各自についてそれぞれ100万円と認めるのが相当である。

 さらに,弁護士費用については,各自について10万円が不法行為と相当因果関係を有する損害であると認める。

 6 結論

 以上によれば,本件においては,原告らが,被告乙川に対して,各自110万円を求める限度で理由があるからこれらを認容し,原告らのその余の請求については理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。