(参考判例)最高裁第三小法廷昭和38年11月28日判決〔賃料不払を理由とする建物賃貸借契約の解除〕

賃料不払を理由とする建物賃貸借契約の解除が信義則に反し許されないものとされた事例。

   本件上告を棄却する。

   上告費用は上告人の負担とする。 

    理由

 上告代理人宮浦要の上告理由第一点について。

 所論は,原判決には被上告人松井に対する本件家屋明渡の請求を排斥するにつき理由を付さない違法があるというが,原判決は,所論請求に関する第一審判決の理由説示をそのまま引用しており,所論は,結局,原判決を誤解した結果であるから,理由がない。

 同第二点について。所論は,相当の期間を定めて延滞賃料の催告をなし,その不履行による賃貸借契約の解除を認めなかつた原判決を違法と非難する。しかし,原判決(及びその引用する第一審判決)は,上告人が被上告人松井に対し所論延滞賃料につき昭和三四年九月二一日付同月二二日到達の書面をもつて同年一月分から同年八月分まで月額一二〇〇円合計九六〇〇円を同年九月二五日までに支払うべく,もし支払わないときは同日かぎり賃貸借契約を解除する旨の催告ならびに停止条件付契約解除の意思表示をなしたこと,右催告当時同年一月分から同年四月分までの賃料合計四八〇〇円はすでに適法弁済供託がなされており,延滞賃料は同年五月分から同年八月分までのみであつたこと,上告人は本訴提起前から賃料月額一五〇〇円の請求をなし,また訴訟上も同額の請求をなしていたのに,その後訴訟進行中に突如として月額一二〇〇円の割合による前記催告をなし,また訴訟上も同額の請求をなしていたのに,その後訴訟進行中に突如として月額一二〇〇円の割合による前記催告をなし,同被上告人としても少なからず当惑したであろうこと,本件家屋の地代家賃統制令による賃料額は月額七五〇円程度であり,従つて延滞賃料額は合計三〇〇〇円程度にすぎなかつたこと,同被上告人は昭和一六年三月上告人先代から本件家屋賃借以来これに居住しているもので,前記催告に至るまで前記延滞額を除いて賃料延滞の事実がなかつたこと,昭和二五年の台風で本件家屋が破損した際同被上告人の修繕要求にも拘らず上告人側で修繕をしなかつたので昭和二九年頃二万九〇〇〇円を支出して屋根のふきかえをしたが,右修繕費について本訴が提起されるまで償還を求めなかつたこと,同破上告人は右修繕費の償還を受けるまでは延滞賃料債務の支払を拒むことができ,従つて昭和三四年五月分から同年八月分までの延滞賃料を催告期間内に支払わなくても解除の効果は生じないものと考えていたので,催告期間経過後の同年一一月九日に右延滞賃料弁済のためとして四八〇〇円の供託をしたことを確定したうえ,右催告に不当違法の点があつたし,同被上告人が右催告につき延滞賃料の支払もしくは前記修繕費償還請求権をもつてする相殺をなす等の措置をとらなかつたことは遺憾であるが,右事情のもとでは法律的知識に乏しい同被上告人が右措置に出なかつたことも一応無理からぬところであり,右事実関係に照らせば,同被上告人にはいまだ本件賃貸借の基調である相互の信頼関係を破壊するに至る程度の不誠意があると断定することはできないとして,上告人の本件解除権の行使を信義則に反し許されないと判断しているのであつて,右判断は正当として是認するに足りる。従つて,上告人の本件契約解除が有効になされたことを前提とするその余の所論もまた,理由がない。

 同第三点について。

 所論は,被上告人井上及び同橋本の本件家屋改造工事は賃借家屋の利用の程度をこえないものであり,保管義務に違反したというに至らないとした原審の判断は違法であつて,民法一条二項三項に違反し,ひいては憲法一二条二九条に違反するという。しかし,原審は,右被上告人らの本件改造工事について,いずれも簡易粗製の仮設的工作物を各賃借家屋の裏側にそれと接して付置したものに止り,その機械施設等は容易に撤去移動できるものであつて,右施設のために賃借家屋の構造が変更せられたとか右家屋自体の構造に変動を生ずるとかこれに損傷を及ぼす結果を来たさずしては施設の撤去が不可能という種類のものではないこと,及び同被上告人らが賃借以来引き続き右家屋を各居住の用に供していることにはなんらの変化もないことを確定したうえ,右改造工事は賃借家屋の利用の限度をこえないものであり,賃借家屋の保管義務に違反したものというに至らず,賃借人が賃借家屋の使用収益に関連して通常有する家屋周辺の空地を使用しうべき従たる権利を濫用して本件家屋賃貸借の継続を期待し得ないまでに貸主たる上告人との間の信頼関係が破壊されたものともみられないから,上告人の本件契約解除は無効であると判断しているのであつて,右判断は首肯でき,その間なんら民法一条二項三項に違反するところはない。また,所論違憲の主張も,その実質は右民法違反を主張するに帰すから,前記説示に照らしてその理由のないことは明らかである。所論は,すべて採るを得ない。

 よつて,民訴法四〇一条,九五条,八九条に従い,裁判官全員の一致で,主文のとおり判決する。

主文

被告松井義雄は,原告に対し金三,六二五円を支払え。

原告の被告井上猛司,同橋本栄久に対する請求及び被告松井義雄に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

本判決は,第一項に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は,

「一,被告井上は,原告に対し,大阪府豊中市豊南町西五丁目四三番地所在木造瓦葺平家建居宅二戸一棟建坪二八坪六合二勺の内西側一戸(以下「第一家屋」という。)を原状に復して明渡し,かつ,金四,八〇〇円ならびに昭和三三年二月一日から右明渡ずみまで一カ月金一,二〇〇円の割合による金員を支払え。

二,被告橋本は,原告に対し,右居宅一棟の内東側一戸(以下「第二家屋」という。)を原状に復して明渡し,かつ,金四,八〇〇円ならびに昭和三三年二月一日から右明渡ずみまで一カ月金一,二〇〇円の割合による金員を支払え。

三,被告松井は,原告に対し,大阪府中豊中市豊南町西五丁目四四番地所在木造瓦葺平家建居宅二戸一棟建坪二八坪六合二勺の内西側一戸(以下「第三家屋」という。)を明渡し,かつ,金一〇,六〇〇円ならびに昭和三四年八月二六日から右明渡ずみまで一カ月金一,二〇〇円の割合による金員を支払え。

四,訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに担保を条件とする仮執行の宣言を求め,請求の原因として次のとおり述べた。

「(一)原告の祖父亡水野留次郎は,戦前,期間を定めず,第一家屋を被告井上に,第二家屋を被告橋本に,第三家屋を被告松井にそれぞれ住居として,賃料は毎月一日持参先払いの約定で賃貸したが,昭和二〇年九月二二日右留次郎は死亡し,原告が家督相続により右各賃貸借における賃貸人の地位を承継した。右各家屋の賃料は,数回改訂ののち昭和三一年一二月以降は月額金一,二〇〇円の約定であつた。

(二)被告井上,同橋本は,昭和三〇年頃原告に無断で従来露天であつた各賃借家屋の北側板塀と家屋との間の各空地部分にそれぞれ屋根を葺き,被告井上は同部分に旋盤その他鉄工機械類を設置して爾来これを鉄工場として使用し,被告橋本は同部分にコンクリートを敷いて大工用具類を持ちこみ,爾来これを大工の仕事場として使用するに至つた。同被告らの右所為は,各賃借家屋の用方違反であるから原告は,同被告らに対し,それぞれ昭和三二年一二月二日付の書面で,二週間以内に右各家屋を原状に復すよう催告し,右書面は,二日以内に同被告らに到達したにも拘らず同被告らは,催告期間を徒過したので,原告は同被告らに対し昭和三三年一月三〇日付の書面で同被告らとの各賃貸借契約解除の意思表示をし,右書面はその頃同被告らに到達した。

よつて,右各賃貸借契約は右解除により終了したから,原告は同被告らに対しそれぞれ第一,第二家屋を原状に復して明渡すべきことを求める。

(三)原告は,あわせて被告井上,同橋本に対し,各自,昭和三二年一〇月分から翌三三年一月分まで前記月額金一,二〇〇円の約定賃料合計金四,八〇〇円と,昭和三三年二月一日以降明渡ずみまで一カ月金一,二〇〇円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。

(四)被告松井は,昭和三四年一月分から同年八月分までの賃料合計金九,六〇〇円(月額一,二〇〇円の割)を支払わないので,原告は,同年九月二一日付,翌二二日到達の書面をもつて,右賃料を同月二五日限り支払うべく,もし支払わないときは同日をもつて賃貸借契約を解除する旨の催告ならびに停止条件付契約解除の意思表示をしたにも拘らず同被告は,右催告期間を徒過したから同被告との賃貸借契約は,同日の経過とともに解除された。よつて,原告は,同被告に対し,第三家屋の明渡を求める。

(五)原告は,あわせて被告松井に対し,昭和三四年一月一日から同年九月二五日までの賃料合計金一〇,六〇〇円ならびに契約終了の翌日たる同月二六日以降右明渡ずみまで一カ月金一,二〇〇円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。」

以上のとおり述べ,なお「本件各家屋は,地代家賃統制令の適用を受ける家屋であつて,その公定家賃はいずれも昭和三五年四月二〇日現在において一カ月金七五〇円である」と附陳し被告松井の相殺の抗弁に対し反対債権の存在事実を否認した。

被告らは「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

被告井上,同橋本は答弁ならびに抗弁として次のとおり述べた。「請求原因(一)の事実は認める(但し家督相続の関係は不知)。請求原因(二)の事実について,同被告らが当初原告に無断で原告主張の日時以前その主張の各部分に屋根葺工事をなし,その部分に被告井上は鉄工機械類を設置して鉄工場として使用し,被告橋本は,大工用具類を持ちこみ大工の仕事場として使用していること,原告主張の頃,その主張の催告および契約解除の意思表示が同被告らに到達したことは認めるが,その余は否認する。なお被告橋本は大工であつて平常自宅以外の場所において,その仕事に従事しており,右部分は,かような仕事のない場合に,内職程度の仕事に稀に使用するだけである。しかし,昭和三一年一二月頃原告と被告井上,同橋本は訴外大西栄を介して話し合つた結果,原告は同被告らが右のごとき無断で改造工事をなし,当該部分をそれぞれ仕事場として使用していることを承認したものであるから,原告の契約解除の主張は理由がない。

請求原因(三)について,原告は,昭和三二年一〇月頃同年一〇月分からの賃料の月額金一,五〇〇円に値上げすべく被告らに要求し,被告井上同橋本がこれを承諾せず同月分の賃料として従前どおり金一,二〇〇円を原告方に持参提供したところ,原告は,その受領を拒絶した。よつて同被告らは同月分以降昭和三五年四月分まで月額金一,二〇〇円の賃料をその都度大阪法務局豊中出張所に供託した。原告の賃料請求は失当である。」

被告松井は,答弁ならびに抗弁として次のとおり述べた。

「請求原因(一)の事実は認める(但し家督相続の関係は不知)。請求原因(四)の事実中,原告主張の日,その主張の催告ならびに条件附解除の意思表示が到達したことは認めるが,その余は否認する。

原告は昭和三二年一〇月頃,同月分からの賃料を月額金一,五〇〇円に値上げすべき旨要求し,被告松井がこれを承諾せず,同月分の賃料として従前どおり金一,二〇〇円を原告方に持参提供したところ,原告は,その受領を拒絶した。よつて被告松井は,同月分以降昭和三五年四月分まで月額金一,二〇〇円の賃料をその都度大阪法務局豊中出張所に供託したから同被告の賃料債務は消滅した。

かりに右主張が理由なくても,同被告は,終戦前から昭和三一年八月までの間に,第三家屋につき,原告先代留次郎及び原告のなすべき修繕を自らなし,その修繕費として合計金六二,八七〇円を支出したから,原告に対し右修繕費の償還請求権を有するものであるところ同被告は,昭和三五年四月二〇日の本件口頭弁論期日において右償還請求権をもつて原告主張の原告の同被告に対する昭和三四年一一月一日以降の月額金一,二〇〇円の割合による損害金請求権と対当額において相殺する旨の意思表示をした。右修繕箇所は,昭和二〇年の空襲及び同二五年五月のジエン台風等により,修繕を要する程度に損傷を生じた部分であつて,同被告は,原告先代及び原告に対しこれが修繕方を再三請求したにかかわらず,同人らは,いずれも正当事由なくしてこれに応じなかつたので,同被告において,右のように,自ら修繕したものであつて,その箇所,日時,費用等の詳細は別紙修繕明細書のとおりである。

よつて原告の契約解除に基づく家屋明渡延滞賃料ならびに損害金の請求はいずれも失当である。」

なお,被告ら三名は「本件各家屋が原告主張のように,地代家賃統制令の適用を受ける家屋であることは認めるが,その各公定賃額は知らない。」と述べた。

証拠(省略)

理由

一,原告の祖父亡水野留次郎が戦前本件第一家屋を被告井上に,第二家屋を被告橋本に,第三家屋を被告松井にいずれも住居として,期間を定めず賃料毎月一日持参先払いの約定で賃貸したこと,賃料は数回改訂された後昭和三一年一二月分以降月額金一,二〇〇円の約定であつたことは当事者間に争なく,証人水野ひろ子の証言によれば昭和二十年九月原告が家督相続により右各賃貸借における賃貸人の地位を承継したことが認められこれに反する証拠はない。

二,被告井上,同橋本に対する家屋明渡の請求について。

同被告らが第一,第二の各家屋の原告主張の各部分につき,当初原告に無断で,それぞれ原告主張の屋根葺き工事をなし,(その日時は,同被告らの各本人尋問の結果によると,原告主張の日時以前であることが認められる。)該部分に被告井上は,鉄工機械類を設置して爾来鉄工場としてこれを使用し,被告橋本は,大工用具類を持ち込み大工の仕事場としてこれを使用して来たこと,原告が同被告らに対しそれぞれ昭和三二年一二月二日付で原告主張の原状回復の催告状を,ついで翌三三年一月三〇日付で賃貸借解除の書面を発し,右各書面がいずれもその頃同被告らに到達したことについては当事者間に争いがない。

よつて,原告のなした右各賃貸借の解除が効力を生じたか否かについて判断する。

検証の結果によれば,被告井上,同橋本のなした前記屋根葺き工事その他若干の改修は,各家屋自体を損壊するものでなく,容易に原状に復しうる程度のもので,却つて各家屋の価値便益を増すものであり,同被告らの持込んだ機械工具類にしても勿論容易に撤去しうるものであり,また同被告らの当該各部分に対する前示各使用の形態から考察すると,右改修による右各使用をもつて,賃貸借の基調である信頼関係を裏切る程度の用方違反とみることはできない。従つて,かかる程度の用方違反あることを前提とする原告の右各賃貸借解除は無効である。しかも,なお証人大西栄の証言(後記認定に反する部分を除く)被告三名各本人尋問の結果と弁論の全趣旨を綜合すれば,昭和三一年一一月頃原告から被告らに対し賃料値上の請求があつたが被告らがこれに応じなかつたところ原告は,被告井上,同橋本に対し前示原状回復の催告を通知して来たので,同被告らはその頃大西栄を介して原告と交渉し同被告らと原告,右大西の四名が話合つた結果,同被告らは,同月分以降の賃料を月額金一,二〇〇円に値上げすることを承諾したが,その際原告において,同被告らが前記改修をなし,該部分をそれぞれ仕事場として使用していることを承認し今後それにつき異議を述べない旨,明示又は少くとも黙示の意思表示をしたことが認められる。証人大西栄,同水野ひろ子の各証言及び右証人大西の証言により成立を認める甲第四号証の記載中,右認定に反する部分はいずれも措信し難い。そうだとすれば原告がその後昭和三三年一月三〇日に至つてなした前記賃貸借解除の意思表示は右の点からしてもその効力がないこと明らかである。右の次第であるから右賃貸借解除が有効であることを前提とする家屋明渡の請求は理由がない。

三,被告井上,同橋本に対する延滞賃料及び損害金の請求について。

四,被告松井に対する家屋明渡の請求について。

原告が昭和三四年九月二一日付,同月二二日到達の書面をもつて,被告松井に対し同年一月分から八月分までの賃料合計金九,六〇〇円(月額金一,二〇〇円の割)を同月二五日までに支払うべく,もし支払わないときは同日限り賃貸借契約を解除する旨の催告ならびに停止条件附契約解除の意思表示をなしたことは当事者間に争いがない。

よつて右解除が有効であるか否かについて判断する。

まず同被告の供託の抗弁について,検討する。

同被告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば,原告は昭和三二年中,同被告に対しても賃料を月額一,五〇〇円に値上げすることを要求し,(第三家屋が地代家賃統制令の適用を受ける家屋であることは,当事者間に争がなく,弁論の全趣旨によれば,当時におけるその公定家賃額は一カ月金一,二〇〇円以下であつたことが認められるので,右値上は不当である。)同被告がこれに応じることなく同年一〇月分の賃料として金一,二〇〇円を原告方に持参提供したところ原告においてその受領を拒否したので,同被告は同月分以降の賃料を月額金一,二〇〇円の割合で数カ月分ごとに大阪法務局豊中出張所に供託してきたのであるが,今問題の時期についてみれば,昭和三四年一月分から同年四月分まで合計金四,八〇〇円を同年七月三日,同年五月分から同年一〇月分まで合計金七,二〇〇円を同年一一月九日にそれぞれ供託していることが認められこれに反する証拠はない。しかして右七月三日の供託は有効であるから,原告が前記催告をなした当時におけるその催告にかかる延滞賃料中,被告松井の未払賃料は同年五月分以降八月分のみであつた。ところで,第三家屋については,昭和三四年度におけるその敷地の固定資産税標準価格の資料がないので,同年度における同家屋の正確な公定家賃額を算定することはできないが成立に争のない甲第一,第五号証,乙第一号証の一ないし三,丙第一号証及び弁論の全趣旨によると,前記請求趣旨第一,二項の本件各一棟の家屋は延坪数は各二八坪六合二勺,固定資産税標準価格は,昭和三二年度から同三四年度までを通じ各年度共各一七一,八〇〇円であること,本件第一ないし第三家屋はいずれも,その構造,延坪数が同一であることが認められる。そこで,地代家賃統制令第五条に基づき右課税標準価格により算出すれば,第三家屋の公定純家賃額(地代相当額を合算しないもの)は昭和三二年度から同三四年度を通じ変更なく,各年度共一カ月六六一円となるこの算定に,昭和三五年四月二〇日現在における第三家屋の公定家賃額は一カ月七五〇円である旨の原告の自陳を合せ考えると,昭和三四年度(同年四月一日から昭和三五年三月三一日まで)における第三家屋の公定家賃額は一カ月金七五〇円程度であることが推認できる。右の次第であるから,原告の前示催告は既に弁済供託の効力を生じた前示四カ月分については,不当であり,前示未払の四カ月分については,右公定家賃額の限度において賃料請求権がある。ところで,右供託が効力を生じた分については,被告松井が供託の資料を示してその旨告知すれば,原告において,該部分を敢えて請求するものでないことは明かであり,また統制違反の右未払賃料についても,統制違反額を含む約定賃料全額の提供がなければ原告においてこれが受領を拒絶すべき意思が明確であることを認めるに足る証拠はないから前示催告を過大催告として無効であるということはできない。また前記昭和三四年一一月九日になされた供託については,催告期間経過後になされたものであるから他に特段の事情のない限りすでになされた契約解除の効力に影響を及ぼすものでないことは明らかである。従つて同被告の前示抗弁は採用できない。

ところで,賃借人が賃料を延滞した場合に,賃貸人において,相当の期間を定めてその支払を催告し,同期間内に支払がなされなかつたとき賃貸借を解除し得る所以は,このような場合通常賃借人において賃料支払義務履行の誠意が認められず,賃貸人の賃借人に対する信頼が裏切られるものであるから,相互の信頼関係を基調とする賃貸借関係を右賃料支払義務の不履行にもかかわらず,なお存続させることは,誠意のない賃借人との契約を強いる結果となり,賃貸人にとつて酷であるとの理由に基づくものであるから,催告期間内に延滞賃料が支払われなかつた場合でも,賃借人に賃貸借の基調である相互の信頼関係を破壊するに至る程度の不誠意が認められないときには,催告期間内に延滞賃料の支払わなかつたことを理由とする賃貸借解除権の行使は,信義則に反し許されないものであると解するを相当する。

今本件につき,この点について検討する。

被告松井本人尋問の結果により成立が認められる丙第二号証,同第三号証の一,二,被告三名各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると,被告松井は,昭和一六年三月原告先代水野留次郎から第三家屋を賃借し,爾来同家屋に居住して現在に至つたこと,同被告は,原告のなした本件賃貸借解除の前提である前示催告に至るまでは,同催告にかかる昭和三四年五月分以降八月分までの賃料を延滞しただけで賃料延滞の事実はなかつたこと,昭和二五年のジエーン台風で右家屋の各所,特に,屋根が甚大な被害を受け,雨もりがひどくなつたので,右留次郎に対し再三屋根の修繕方を請求したが,同人が正当の事由なくしてこれに応じなかつたので,昭和二九年六月頃小畑工務店に依頼して屋根全部を葺きかえ,その費用として合計金二九,〇〇〇円を支出したこと,しかし,右修繕費については,同被告は,敢えて原告側に対し本訴提起まではこれが償還請求をしたことがなかつたこと,原告先代及び原告は,従来右家屋につき,賃料は,公定家賃額を超過する金額を請求して来たので,同被告は,公定家賃額の支払を固持せず,同人らの請求を違法とは知りつつ,やむなくこれに応じて来たことが認められ,証人水野ひろ子の証言中,右認定に反する部分はにわかに措信し難く,他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして,前認定のように,原告の同被告に対する賃貸借解除の前提である前示催告はすでに弁済供託の効力ある前示四カ月分の賃料については不当であり,残余の前示四カ月分の賃料については,公定家賃額を超過した一部違法の点がある。その公定家賃額は一カ月金七五〇円として合計金三,〇〇〇円であるから,結局右催告当時における延滞賃料額は僅かに右三,〇〇〇円に過ぎない。ところで,原告は,同被告に対し前示のように,本訴提起前から月額金一,五〇〇円の賃料を請求し,本訴においても当初昭和三二年一〇月分以降同三三年一月分までの賃料について右同額の割合による請求をなし,(訴状参照),その後請求を拡張して昭和三四年九月一七日の本件口頭弁論期日当時においては,昭和三二年一〇月一日以降毎月末日毎に右同額の割合による賃料の支払を請求していた(昭和三四年六月二七日の本件口頭弁論期日において陳述された原告提出の同日付請求趣旨及び請求原因訂正補充申立書参照)。しかるに,原告は,その後本件訴訟において右請求の内容につき,何らの変更もしないで訴訟進行中,突然前示のように,昭和三四年九月二一日付翌二二日同被告到達の書面をもつて,同年一月分以降八月分までの月額一,二〇〇円の割合による延滞賃料のみについての催告ならびに条件件契約解除の意思表示をなした。そうすると,本訴で従前から請求している昭和三二年一〇月分以降同三三年一二月分までの月額一,五〇〇円の割合による賃料の請求はどうなるのか,右催告にかかる昭和三四年一月分以降八月分までの賃料についても本訴では月額一,五〇〇円の割合で請求しているのに,突然月額一,二〇〇円の割合で催告しているが,催告通り支払つた場合,その支払と訴訟上の請求との関係はどうなるのか,法律の知識に乏しい同被告(弁論の全趣旨により同被告は法律の知識に乏しいものと認められる。)としては,その措置に窮したのであろうことは容易に看取できるのである。なお,同被告としては昭和三四年一月分以降四月分までの月額一,二〇〇円の賃料は前示のように供託により弁済されているのに,重ねてこれが支払を請求する原告の所為に不審の念をいだいたであろうことも推認せられるのである。また,弁論の全趣旨によれば同被告は原告に対し前認定の修繕費償還請求権を有していたところ,右催告を受けた当時右請求権は延滞賃料請求権と同時履行の関係に立ち,同被告において,原告が右修繕費償還債務の履行を提供するまでは,同被告の右延滞賃料債務の履行を拒むことができるものと考えていたこと(陳述せられた同被告提出の答弁書第六項参照),従つて,同被告は,右昭和三四年五月分以降八月分の延滞賃料については,催告期間内に支払わなくても,賃貸借解除の効果は生じないであろうと軽信していたので,前示のように,右催告にかかる右四カ月の延滞賃料を催告期間経過後である昭和三四年一一月九日に供託したものであることが認められる(但し,右供託が無効であることは後示のとおりである。)。

右認定の事実関係に基づいて考察する。

同被告は,昭和一六年三月以降約二〇年の長い期間誠実な賃借人であつたといえるし,原告の前示催告は催告として法律上無効ではないが,前示のように不当,違法の点があつたし,同被告の延滞賃料も僅かに三,〇〇〇円に過ぎなかつた。同被告が右催告に対し延滞賃料につき,支払をするとか,前示修繕費償還請求権をもつて相殺するとか等適切な措置に出なかつたことは,遺憾ではあるが,しかし,一歩退いて同被告の立場において考えるに,前示認定の事情のもとでは,法律知識に乏しい同被告が右適切の措置に出なかつたことにも一応無理からぬところがある。

五,被告松井に対する延滞賃料及び損害金の請求について。

同被告との賃貸借が解除されたとする原告の主張が失当であること前段認定のとおりであるから,これを前提とする損害金の請求はもとより理由がない。

そこで昭和三四年一月一日から同年九月二五日まで一カ月金一,二〇〇円の割合による延滞賃料の請求につき判断する。

被告松井が同年一月分から同年四月分までの賃料計金四,八〇〇円を有効に弁済供託したことは前認定のとおりであるから右期間の賃料請求は理由がない。

また,同被告が同年五月分から同年一〇月分までの賃料計金七,二〇〇円を同年一一月九日に供託したことも前認定のとおりであるが,同年九月二一日原告が前記催告により月額金一,二〇〇円の割合で賃料を受領する旨の意思表示をなすに至つた以上,右供託は同年五月一日から同年九月二五日までの賃料に関する限り弁済供託の事由を欠き無効のものといわなければならない。

ところで,前認定のように第三家屋の昭和三四年度公定家賃額については,正確な金額は算出できず月額金七五〇円程度であると認めるの外ないが,原告は,同年四月二〇日現在の公定家賃額は月額金七五〇円であると自陳しているので,月額金七五〇円として同年九月二五日までの公定家賃額を算出すれば,合計金三,六二五円となることが計算上明らかである。従つて,原告は,右期間の賃料としては,右金額の限度において,その請求権を有する筋合である。

六,以上の次第であるから,原告の被告井上,同橋本に対する請求は,いずれも失当としてこれを棄却し,被告松井に対する請求は,右金三,六二五円の支払を求める限度において認容し,その余は失当として棄却し,訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条但書,仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して,主文のとおり判決する。